東京・東十条が「リトル・ダッカ」に――バングラデシュ人が集う街を歩く

東京の北、JR京浜東北線の駅として知られる東十条。かつては昔ながらの商店街と住宅街が広がる「下町」のイメージが強いエリアでしたが、近年、この街が静かに姿を変えつつあります。街角を歩けば、ベンガル語の看板、本場のスパイスが並ぶ食材店、イスラム教徒向けのハラール対応レストランなど、まるでバングラデシュの首都・ダッカの一角を切り取ってきたかのような光景が広がっています。

今、東十条は人々から「リトル・ダッカ」と呼ばれ、バングラデシュ出身者が集まる街として注目を集めています。なぜこの下町に、バングラデシュ出身者が「大集結」するようになったのか。その背景には、先に日本へ渡った人々の歩みと、彼らが日本を「永住の地」として選ぶようになった納得の理由がありました。

「リトル・ダッカ」が生まれたきっかけ

東十条とバングラデシュの結びつきは、突然始まったわけではありません。きっかけとなったのは、1990年代以降に日本へやってきたバングラデシュ人の先駆者たちです。彼らの多くは、留学生や技能労働者として来日し、東京のさまざまな地域で仕事や勉学に励んでいました。

そんななかで、東十条周辺は「家賃が比較的手頃」「都心へのアクセスが良い」「商店街があり生活がしやすい」といった条件がそろったエリアとして、徐々に選ばれるようになっていきます。最初は数軒の飲食店や食材店から始まり、そこに母国語で相談に乗ってくれる先輩がいることで、知人・友人がまた一人、さらに一人と集まっていきました。

こうした「口コミ」の積み重ねにより、東十条はいつのまにか、バングラデシュ出身者にとって「頼れる先輩がいる街」「情報が集まる街」となり、現在の「リトル・ダッカ」へと姿を変えていったのです。

街を歩くと見えてくる「バングラデシュの息づかい」

東十条駅を降り、商店街へ足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのがベンガル語と日本語が並んだ看板です。カレーショップ、ビリヤニ専門店、ハラール食材店、携帯電話のショップ、送金サービスの看板など、生活に密着した店が通り沿いに点在しています。

香辛料の独特な香りが漂う食材店では、バスマティライスやレンズ豆、各種スパイス、冷凍のハラール肉など、日本の一般的なスーパーではなかなか見かけない商品が所狭しと並びます。店員と客の会話はベンガル語、日本語、英語が入り混じり、耳を澄ますと、ここが東京であることを一瞬忘れてしまいそうになります。

飲食店に足を踏み入れると、そこは小さな「ダッカ」。チキンビリヤニ、ダル(豆のスープ)、マトンカレー、フィッシュカレーなど、バングラデシュの家庭料理がテーブルを彩ります。日本人客向けに辛さを調整してくれる店も多く、近隣の住民にとっては本格的な南アジア料理と出会える場として親しまれています。

先人が語る「東十条の歴史」と歩み

東十条で長く暮らしてきたバングラデシュ人の「先人」たちは、この街の変化を肌で感じてきました。彼らが語る歴史には、決して華やかなことばかりではなく、言葉の壁や就労の不安定さ、日本社会への適応に苦労した日々も含まれています。

当初、日本にやってきたバングラデシュ人の多くは、将来が見えない中での挑戦でした。アルバイトを掛け持ちしながら日本語学校に通い、在留資格の更新に気を配り、母国との仕送りも続けなければならない。そうした中で、同じ出身国の仲間がそばにいることは、大きな支えになりました。

ある先人は、「最初は同郷の仲間が数人だったが、10年、20年と経つうちに、家族を呼び寄せる人が増え、気づけば子どもたちがここで育つようになった」と振り返ります。東十条は、単なる「働く場所」から、少しずつ「暮らしの基盤」へと変わっていったのです。

なぜ日本を「永住の地」と選んだのか

「一時的な出稼ぎ」から、「永住」を目指す選択へ。東十条に暮らすバングラデシュ出身者の多くは、いま、日本を「永住の地」として選びつつあります。その背景には、いくつかの理由があります。

  • 安全で落ち着いた生活環境:犯罪率の低さや治安の良さ、公共交通機関の整備、医療や教育へのアクセスなど、日本の生活環境に安心感を抱く声は少なくありません。
  • 子どもの教育への期待:日本の学校制度や教育水準に魅力を感じ、子どもには日本で学び、将来の選択肢を広げてほしいと願う親が多くいます。
  • コミュニティの存在:「リトル・ダッカ」と呼ばれるほどに同胞が集まったことで、母語や宗教、文化を保ちながら暮らせる環境が整ってきました。
  • 経済的・社会的な安定:長年働き続け、在留資格が安定した人が増えたことで、「いつか帰る」から「ここで人生を築く」へと意識が変化しています。

こうした条件が重なり、東十条は「バングラデシュ人が日本で家庭を築き、世代をつなぐ街」へと変わりつつあります。

日本社会との関わり方――共生の現場としての東十条

「外国人が集まる街」と聞くと、不安を感じる人もいるかもしれません。しかし、東十条を歩いてみると、そこには日本人住民とバングラデシュ人・他国出身者が、日常生活の中で自然にすれ違い、言葉を交わす光景があります。

商店街では、昔からの和菓子店や惣菜屋、クリーニング店などと、バングラデシュ系の店舗が並んで営業しています。互いにあいさつを交わし、時には店同士で買い物をし合うなど、ゆるやかな交流が積み重ねられています。

また、地域によっては、学校や自治会が中心となり、外国につながる子どもたちの学習支援や、日本語教室、多文化交流イベントを行う動きも出てきています。東十条も例外ではなく、バングラデシュ出身者を含む住民と、日本人の地域住民との間で、少しずつ「顔の見える関係」が育っています。

変わる「下町」のイメージ――東十条が映し出す日本のいま

東十条は、もともと昭和の雰囲気を残す落ち着いた住宅街と商店街が特徴の「下町」でした。そのイメージは今もなお色濃く残りながらも、そこにバングラデシュをはじめとする多様なルーツを持つ人々が加わることで、街の姿はゆるやかに変化しています。

商店街を歩けば、日本の伝統的な飲食店の隣に、本格的なバングラデシュ料理店、アジア食材店が並びます。夕方になると、仕事帰りの日本人と、モスクへ向かうイスラム教徒の人々が、同じ道を行き交います。こうした光景は、いまの日本が抱える人口減少や人手不足、多文化共生の課題と密接に結びついています。

地方から人口が流出し、都心部でも高齢化が進むなか、外国にルーツを持つ人々が地域の担い手となり、空き店舗に新たな店を構え、子どもを育て、コミュニティを作っていく。東十条は、その変化をいち早く体現している街のひとつといえるでしょう。

「移住の街」から「故郷の街」へ

東十条に暮らすバングラデシュ出身者にとって、この街は単なる「移住先」ではなくなりつつあります。子どもたちは日本語を自然に使いこなし、学校では日本人の友だちと遊び、家ではベンガル語で家族と会話し、バングラデシュの行事を祝います。

大人たちもまた、日本のルールやマナーを学びながら、同時に自らの文化や宗教を大切にして暮らしています。ラマダン(断食月)の時期には、日没後の食事を家族や友人とともに取り、祭りの日には民族衣装を身にまとい、祈りを捧げます。

そんな姿は、「どちらか一方を選ぶ」のではなく、「日本」と「バングラデシュ」両方に根を伸ばしながら生きるという、新しいスタイルの暮らし方を示しています。東十条は、彼らにとって第二の故郷であり、子どもたちにとっては、最初の故郷でもあるのです。

これからの東十条と「リトル・ダッカ」

バングラデシュからの移住者が増え、「リトル・ダッカ」と呼ばれるようになった東十条。今後も、日本社会全体の国際化が進むなかで、この街の役割はさらに大きくなっていくと考えられます。

一方で、言語や文化の違いから生まれるすれ違いや、生活習慣の違いに伴う課題が生じる可能性もあります。学校現場での支援、日本語教育、医療や行政サービスへのアクセスなど、解決すべきテーマは少なくありません。

しかし、日常の挨拶や買い物、子どもを介した交流といった、小さな接点の積み重ねが、地域の信頼関係を育てていきます。東十条の「リトル・ダッカ」は、単に異国情緒を楽しむスポットではなく、多様なバックグラウンドを持つ人々が共に暮らし、未来をつくる「実験の場」になりつつあります。

東京の一角で進むこの静かな変化は、日本全体のこれからを考えるうえでも、多くの示唆を与えてくれます。東十条の街角で交わされるささやかな会話や、店先に並ぶスパイスの香りの向こうに、私たちは新しい日本の姿を見ることができるのかもしれません。

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