一穂ミチ『たぶん、恋しい』――「名前のない感情」を見つめる最新短編集が話題に

作家・一穂ミチさんの最新短編集『たぶん、恋しい』が発売され、大きな注目を集めています。
「6回泣いて、7回やさしくなれる短編集」というキャッチコピーとともに登場した本作は、見えない猫を愛したり、元妻の幽霊と暮らしたりと、どこか不思議で少しだけ“異様な”世界を舞台にしながら、「恋しい」という感情の正体を、静かに、そして丁寧に描き出した一冊です。

インタビューでは、一穂さんが「『恋しい』は、そばにいない人を思うときに生まれる」と語り、本作で描かれる“名前のない感情”についてじっくりと向き合っています。発売と同時に書評メディアでも取り上げられ、「普通ではない存在にすがる人々の“異様な執着”に胸が熱くなる物語」として高く評価されています。

「恋しい」とはどんな感情なのか――インタビューから見えるテーマ

『たぶん、恋しい』の刊行に合わせて行われたインタビューでは、一穂ミチさんが本作の大きなテーマとなる「恋しい」という言葉について、丁寧に言葉を選びながら語っています。

一穂さんは、「『恋しい』は、そばにいない人を思うときに生まれる感情」だと話しています。ここでいう「そばにいない人」は、物理的に会えない人だけを指すわけではありません。距離や時間、立場や関係性の変化によって、「もう以前のようには会えない」「あの頃には戻れない」と痛感するとき、胸の奥にじんわりと広がってくる感情――それを、一穂さんは「恋しい」と呼び、その揺らぎを物語に落とし込んでいます。

それは、はっきりと「恋」と呼べるようなわかりやすい感情とは少し違います。
友だちかもしれないし、家族かもしれない。あるいは人ではなく、過去の自分や、もう戻ってこない時間、失われた日常であることもあるでしょう。
「恋しい」は、名前をつけにくい感情を、ぎゅっとひとつに抱きしめる言葉なのだと、インタビューの内容から伝わってきます。

インタビューでは、本作に登場する人物たちについても触れられています。
見えない猫を愛する人、元妻の幽霊と暮らす人――一見すると「ちょっと変わった人たち」のように見える登場人物たちは、実は誰もが抱えている「誰かを、何かを恋しく思う気持ち」を、少し極端な形で体現した存在だといえます。

「6回泣いて、7回やさしくなれる」短編集――『たぶん、恋しい』の魅力

今回の新作『たぶん、恋しい』は、「6回泣いて、7回やさしくなれる短編集」というフレーズとともに紹介されています。これは、本書に収められた物語の読後感を端的に表した言葉です。

ページをめくるたびに、心のどこかが静かに揺れ、ふと目頭が熱くなるような瞬間が何度も訪れます。しかし、それは決して読者をただ泣かせるための悲しみではありません。
登場人物たちが抱えてきた孤独や後悔、届かなかった想い、言えなかった一言。それらが物語の中で少しずつほどけていく様子を見つめることで、読み終えたとき、読者の心には「自分や誰かに、少しやさしくなれる感覚」が残ります。

「6回泣いて」の後に、「7回やさしくなれる」と続くことにも意味があります。
涙が一滴落ちるたびに、人は少しだけ他人の痛みを想像できるようになります。
そして、読み終わるころには、泣いた回数をひとつだけ上回る「やさしさ」が、手のひらにそっと残っている――そんな読書体験を、この短編集は約束してくれます。

出版社の紹介文でも、本作は「読後に温かな余韻が残る短編集」として位置づけられています。
派手な事件や大きなドラマが起こるわけではなく、あくまで日常と地続きのささやかな出来事が中心です。それでも、ふとした会話や、ふいに目に入る風景、何気ない仕草のなかに「恋しい」が潜んでおり、それを一穂さんは、すくい上げるように描いています。

書評が伝える読みどころ――「見えない猫」「元妻の幽霊」と生きる人々

書評メディア「ダ・ヴィンチWeb」では、『たぶん、恋しい』がとりあげられ、
「見えない猫を愛し、元妻の幽霊と暮らす。普通ではない存在にすがる人々の“異様な執着”に胸が熱くなる物語」として紹介されています。

ここで印象的なのは、「普通ではない存在」と「異様な執着」という言葉です。
見えない猫や、元妻の幽霊と暮らしているという設定は、現実にはありえないように見えます。しかし、その「ありえなさ」の奥に、強く切実な感情が隠れています。

例えば、「見えない猫」を愛するというのは、目には見えない何か――もう触れられない存在、過ぎ去った時間、失われた関係――を、それでも確かに「ここにいる」と信じたい心の表れです。
同じように「元妻の幽霊」と暮らす物語では、すでに終わってしまった関係を手放しきれず、なおもその姿に話しかけ続ける人の姿が描かれます。

他人から見れば、それは「おかしい」「やめた方がいい」と感じられる行動かもしれません。
しかし、一穂ミチさんの筆は、そのような「異様さ」を決して笑いません。
むしろ、彼らの行いを支えているのが深い喪失感や、どうしようもなく強い「恋しさ」であることを、静かに描き出していきます。

書評では、そうした人物たちの姿に、読者が次第に共感し、気が付けば胸がじんと熱くなっている読み心地が紹介されています。
一見すると「変わった人たち」の物語が、いつのまにか自分の心の一部と重なっていく――その不思議な体験こそが、この短編集の大きな魅力です。

「普通ではない存在」にすがる人たちが映す、私たちの姿

『たぶん、恋しい』に登場するのは、「見えない猫」や「幽霊」など、日常とは少しずれた存在です。
しかし、そのずれこそが、物語を通して私たち自身の心を照らし出す鏡になっています。

大切な人を亡くしたとき、遠くに行ってしまったとき、あるいは関係が壊れてしまったとき、私たちはときに、現実ではない形にその人を宿してしまうことがあります。
「ここにいるはずだ」と思い込んだり、「もしもあのとき…」と頭の中で何度もやり直したり。
それは突然現れる幻のようなもので、理屈ではない心の動きです。

一穂ミチさんは、そうした心の揺らぎを、「見えない猫」や「元妻の幽霊」といった形に結晶させ、丁寧に描いています。
登場人物たちは、普通の人から見れば確かに「すがっている」ように見えるかもしれません。
けれどもその姿には、「失うこと」「別れること」「終わってしまうこと」の痛みと、それでもなお「まだそばにいたい」と願う切実さがあります。

書評で語られている「異様な執着」とは、裏を返せば、簡単には諦められないほど大切だった何かへの、必死の手伸ばしです。
読者は物語を読み進めるうちに、その執着を「おかしなこと」として笑うことができなくなり、むしろ「ここまで誰かを思ったことがあっただろうか」と、自分の過去や人間関係を振り返ってしまうかもしれません。

「名前のない痛み」への、静かなまなざし

インタビューや書評から見えてくるのは、『たぶん、恋しい』が「恋愛小説」や「純愛物語」といったわかりやすいラベルにおさまらない作品であるということです。

この短編集が扱っているのは、はっきりと言葉にできない、名前のない痛みです。
たとえば、特別な事件が起こったわけではないのに、ふとした瞬間に胸がきゅっと締めつけられることがあります。
「今、誰のことを考えていたんだろう?」と自分でも説明しづらいのに、その感情だけははっきりと存在している――そんな経験をしたことのある人は少なくないはずです。

一穂ミチさんは、そうした「言葉にならない気持ち」を、そのままではなく、物語という形に翻訳してみせます。
見えない猫の鳴き声、幽霊になってもなおそこにいる元妻の気配、ふとした会話の端にのぼる名前――それらが丁寧に積み重ねられ、「恋しい」という言葉では収まりきらない感情の輪郭が少しずつ浮かび上がっていきます。

読者は、登場人物たちの一言一句を追いながら、自分の中にも同じような感情がかつてあったこと、もしくは今まさにあることに、静かに気づかされます。
それは派手なカタルシスではありませんが、読み終えたあとに長く残る、じんわりとした余韻として心に宿ります。

一穂ミチという作家が描き続けてきた「痛み」と「やさしさ」

これまでの作品でも、一穂ミチさんは、人の心の奥に潜む痛みや、ささくれだった感情、その裏側に隠れているやさしさを繰り返し描いてきました。
派手な事件や劇的な恋愛ではなく、「誰にでも起こりうるけれど、誰にも打ち明けられない」心のひだに光を当てる作家として、多くの読者から支持を集めています。

『たぶん、恋しい』は、その一穂作品の系譜に連なる一冊でありながら、短編集という形をとることで、さまざまな角度から「恋しい」という感情を描き出しています。
ある話では、別れを受け入れられない登場人物が描かれ、別の話では、すでに日常の一部になってしまった喪失の影が描かれます。
その多様な物語を読み進めるうちに、読者は「恋しい」という言葉の幅広さと奥行きを実感することになるでしょう。

書評で語られている「異様な執着」も含めて、一穂さんは、登場人物たちを決して突き放しません。
どれだけ偏って見える感情でも、そこにはその人なりの必然と、辿ってきた時間の重みがあります。
その一つひとつを尊重するような眼差しがあるからこそ、この短編集は「読者をやさしくする」力をもつのだといえます。

『たぶん、恋しい』が今、私たちの心に響く理由

『たぶん、恋しい』が話題になっている背景には、時代の空気も関係しているのかもしれません。
人と人との距離感が変化し、当たり前だった日常が少しずつ姿を変えていくなかで、「あの頃が恋しい」「あの人が恋しい」と感じる瞬間は、以前よりも増えているのではないでしょうか。

しかし一方で、忙しい日常のなかでは、その気持ちにゆっくり名前をつけたり、向き合ったりする余裕がないことも多いものです。
自分の中にある「恋しい」という感情を見ないふりをしてしまったり、言葉にならないまま流してしまったりすることもあるでしょう。

『たぶん、恋しい』は、そうした気持ちに、そっと寄り添ってくれる本です。
登場人物たちの「異様な執着」や、「普通ではない存在」との暮らしは、どこか極端で、物語的です。
だからこそ、読者は一歩距離を保ちながら、自分自身の感情を見つめ直すことができます。

ページを閉じたあと、「自分にとって『恋しい』と思えるものは何だろう」と静かに考えてしまう――。
その問いこそが、今この作品が多くの人の心に届いている理由といえるのかもしれません。

これから『たぶん、恋しい』を手に取る人へ

これから一穂ミチさんの『たぶん、恋しい』を手に取る方は、ぜひ、少しだけ心に余白のある時間にページを開いてみてください。
短編集なので、一編ずつ区切って読むこともできますし、一気に読み進めても、じわじわと感情が積み重なっていく体験が味わえます。

物語に「正解の読み方」はありません。
ある人にとっては、「見えない猫」の話が一番心に残るかもしれませんし、別の人にとっては、「元妻の幽霊」と暮らす話が忘れられない一編になるかもしれません。
どの物語であっても、きっとどこかに、ご自身の記憶や感情と響き合う一行が見つかるはずです。

涙がこぼれそうになったときは、無理にこらえず、そのまま読み進めてみてください。
その涙の数だけ、誰かにやさしくなれる瞬間が、きっと後から訪れます。
「6回泣いて、7回やさしくなれる」という言葉は、単なる宣伝文句ではなく、この本を読み終えたときの実感に近いものとして、多くの読者の心に刻まれていくでしょう。

「そばにいない人」を思いながらページをめくるとき、
「たぶん、これが『恋しい』ってことなんだ」と、ふと気づく瞬間が訪れるかもしれません。
そのとき、あなたの中にある名前のない感情にも、そっと小さな名前が与えられているはずです。

参考元