「脳だけの病気ではない」認知症 ― 遺伝と環境から見えてきた新しい姿

認知症というと、「脳の細胞が壊れる病気」「年を取ると誰でもなるもの」といったイメージを持つ方が多いかもしれません。しかし、最近の研究や専門家の議論からは、認知症が「脳だけの疾患ではない」こと、そして遺伝と生活習慣・環境が複雑に関わり合う病気であることが、よりはっきりと見えてきています。

この記事では、淡路島で行われた日米中の研究者による議論の内容や、最新の遺伝研究の知見をもとに、「認知症は遺伝するのか?」「親から『なりやすさ』を受け継ぐとはどういう意味か?」を、できるだけやさしい言葉で解説していきます。

淡路島で議論された「認知症は脳だけの疾患にあらず」とは

日本経済新聞の報道によると、兵庫県・淡路島で開かれた会合で、日米中の認知症研究者たちが「認知症は脳だけの疾患ではない」というテーマで議論しました。そこでは、認知症の発症や進行に全身の状態、生活習慣、慢性的な炎症、血管の健康などが深く関わることが改めて共有されたとされています。

認知症は、脳の神経細胞が徐々に傷つき、減っていくことで起こる症状ですが、なぜそのような変化が起きるのかをたどっていくと、

  • 血管の動脈硬化や心血管疾患など全身の血管の病気
  • 糖尿病や脂質異常症、高血圧などの生活習慣病
  • 肥満、運動不足、喫煙・過度な飲酒などの生活習慣
  • 長期にわたるストレスや睡眠不足などの心と体のストレス

といった、脳以外の要因が重なり合っていることがわかってきています。新潟大学脳研究所も、認知症には環境的要因(生活習慣や職業、ストレスなど)と遺伝的要因が両方関わることを指摘しています。

つまり、「脳が悪くなるから認知症になる」のではなく、全身の健康状態や生活、その土台としての遺伝的な体質が、長い時間をかけて脳に影響を与えると考えられるようになってきたのです。

「認知症は遺伝するの?」という素朴な疑問

多くの方が気になるのが、「親が認知症だと、自分も必ずなるのか?」という点でしょう。専門家は、「認知症がそのまま病名として遺伝するわけではなく、『なりやすさ(体質・リスク)』が部分的に受け継がれる」と説明しています。

新潟大学脳研究所は、「ご両親や祖父母、兄弟姉妹に認知症の方がいるかどうかを知ることで、ある程度の遺伝的リスクの傾向を把握できる」と述べています。これは、家族に認知症の人がいると、自分自身もわずかにリスクが高くなる可能性があるという意味です。

ただし、その場合でも、

  • 「必ず認知症になる」ということではない
  • 生活習慣や病気の予防によって、リスクを大きく下げることができる

と説明されています。親子で喫煙や食生活、運動習慣などが似ることも多いため、「遺伝」と「環境」は切り離せません。つまり親から受け継ぐのは、遺伝的な体質と、生活スタイル・価値観の両方であり、それらが重なって認知症の「なりやすさ」に影響するのです。

アルツハイマー病と遺伝的リスク ― 世界28カ国の研究から

認知症の中で最も多いタイプがアルツハイマー病です。新潟大学が参加した国際共同研究では、28カ国のデータを解析し、アルツハイマー病における遺伝的リスクの影響が検証されました。

この研究では、多数の遺伝的な変異を合計して一人ひとりのリスクを数値化するポリジェニック・リスク・スコア(PRS)が用いられました。結果として、

  • アルツハイマー病患者は、健常な人に比べてPRSの値が高い
  • PRSの値が高い人ほど、発症年齢が早くなる傾向や、病気の生物学的な指標(バイオマーカー)が変化していることが確認された

と報告されています。これは、「特定の遺伝的バリアントを生まれつき多く持っている人は、アルツハイマー病の発症リスクが高い」ことを示しています。

一方で、最大の危険因子は依然として「加齢」であり、全ての人が年齢とともにある程度のリスク上昇を経験します。つまり、遺伝的リスクはあくまで「プラスされる要素」であり、生活習慣や病気の管理次第で、その影響を小さくすることも可能だと考えられています。

よく研究されている「リスク遺伝子」たち

アルツハイマー病に関連する遺伝子の中でも、特に有名なのがAPOE(アポリポタンパク質E)という遺伝子です。APOEにはいくつかの型(アレル)があり、そのうち「ε4(イータフォー)」と呼ばれる型を持つ人は、持たない人よりもアルツハイマー病のリスクが高いことが知られています。

ヒロクリニックなどの解説によると、APOE以外にも、

  • TREM2:脳内の炎症反応を調整する遺伝子で、変異があると炎症が強まり、アルツハイマー病の進行を促す可能性がある
  • CLUPICALM:脳内でのアミロイドβタンパク質の蓄積や除去に関わり、その機能異常が病気の発症に影響を与える

など、複数の遺伝子がリスクに関与していることがわかっています。最近では、こうした多くの遺伝子情報を組み合わせて、一人ひとりのリスクを総合的に評価する研究も進んでいます。

また、アルツハイマー病以外の認知症でも、脳の中でタウタンパク質などがどのように蓄積するかと関連する遺伝子が見つかってきています。日本の研究では、脳の前頭葉などの部位ごとに遺伝子発現を細かく地図にした「脳遺伝子発現デジタルアトラス」の作製も進められています。これによって、「どの遺伝子が、どの脳の場所で、どのように働いているのか」がより詳しくわかるようになりつつあります。

「若年発症の遺伝性認知症」と一般的な認知症の違い

ここで注意したいのは、認知症には「若い年齢で発症し、遺伝性が強いタイプ」と、一般的な高齢者の認知症(アルツハイマー病など)とがあるという点です。

量子科学技術研究開発機構などの研究では、比較的若い年齢で発症する遺伝性認知症について、脳内で起こるタウ病変などの異常が解明されつつあります。このようなタイプでは、特定の遺伝子の変異が強く発症に結びつくことがあり、家系内に多くの患者がいることもあります。

一方で、一般的なアルツハイマー病や血管性認知症などは、先ほど述べたように、

  • 多数の遺伝子変異が少しずつリスクを高める
  • 加齢や生活習慣病、環境・生活習慣(環境要因)が大きな影響を持つ

という特徴があります。つまり、「若年発症の遺伝性認知症」は遺伝の要素が非常に強いタイプ、「多くの人がかかる高齢者の認知症」は遺伝と環境が重なり合うタイプとイメージすると、整理しやすいかもしれません。

「親から受け継ぐなりやすさ」とどう向き合うか

専門医は、「認知症の『なりやすさ』を親から受け継ぐことはある」と説明しつつも、そのことを過度に恐れる必要はないと繰り返し強調しています。

新潟大学脳研究所の解説では、家族に認知症の方がいる場合、

  • 自分もリスクが高いかもしれないという「傾向」は知っておく価値がある
  • そのうえで、血圧・糖尿病・脂質異常などを早めにチェックし、生活習慣を整えることで予防につなげる

ことが勧められています。遺伝的な体質は変えられませんが、環境と生活習慣は自分の選択で変えられる部分です。

最近では、血液中のタンパク質を解析し、将来の認知症リスクを予測する研究も進んでいます。約7000種類の血中タンパク質を測定し、認知症の発症リスクと関連する25種類のタンパク質を特定した研究では、最大で20年先の認知症発症リスクの予測が可能な方法が報告されています。これは、若い時期からリスクを知り、生活習慣を整えることで、将来認知症になる人を大幅に減らせる可能性があるとされています。

もちろん、こうした検査や予測はまだ研究段階のものも多く、全員が受けるべきという段階ではありません。しかし、「早い時期から脳と身体の健康を意識することが、認知症予防にもつながる」という方向性は、多くの専門家が一致しているところです。

遺伝情報をどう活かすか ― 予防と治療の新しい可能性

遺伝の話を聞くと、「検査をして、自分がリスク遺伝子を持っているかどうか調べた方がいいのでは?」と考える方もいるかもしれません。現時点では、一般の方が広く遺伝子検査を受けるべきかどうかについては、賛否や議論が続いています。

一方で、研究の世界では、遺伝情報が予防策や治療法の開発に大きく役立ち始めています。例えば、

  • リスクの高い人を早期に把握し、認知症になる前の段階から生活習慣の改善や治療介入を行うための基盤づくり
  • 特定の遺伝子を標的にした遺伝子治療・ゲノム編集の研究
  • 脳の細胞ごとの遺伝子発現を詳しく調べ、薬の効きやすいポイントを探す研究

などが進んでいます。東京医科歯科大学の資料では、「従来の薬の臨床試験が相次いで難航する中、ゲノム編集技術などの進歩が後押しし、認知症の遺伝子治療に向けた臨床研究が米国で始まっている」とされています。

もちろん、安全性や倫理面など課題も多く、すぐに実用化されるわけではありません。しかし、認知症が「脳だけの病気ではない」と理解されるようになり、全身状態や遺伝情報を合わせて見ることで、より早く・より個別に対応できる時代へと、少しずつ歩み始めているのです。

まとめ ― 「脳」と「遺伝」を知ることは、希望の入口でもある

認知症は、「脳だけの疾患」でも、「完全に遺伝だけで決まる病気」でもありません。脳の中で起きる変化の背景には、

  • 加齢という避けられない要因
  • 家族から受け継ぐ遺伝的な体質(なりやすさ)
  • 日々の生活習慣、病気の管理、ストレスといった環境的な要因

がかさなりあっています。そして、このうち環境的な要因の多くは、自分の選択や支援によって変えていける部分です。

「親が認知症だから、自分も必ずそうなる」と悲観する必要はありません。むしろ、「自分は少しリスクが高いかもしれない」と知ることは、

  • 血圧や血糖のチェックを早めに始める
  • 運動や食生活を見直す
  • 孤立を避け、人とのつながりを大切にする

といった具体的な行動につながる、前向きな一歩でもあります。

淡路島での国際的な議論や、日本国内の多くの研究が示しているのは、「認知症を、脳の病気としてだけでなく、人の生き方や社会のあり方と結びつけて考える」重要性です。脳のしくみや遺伝のことを少し知るだけでも、「どう生きるか」「何を大切にするか」を考えるきっかけになります。

認知症の研究はまだ進行中で、すべてがわかったわけではありません。それでも、遺伝と環境をていねいに見つめることで、予防の可能性も、治療の可能性も、少しずつひらけてきています。脳を守ることは、今日の一つひとつの選択から始められる――そう考えると、認知症の話題は、決して暗いニュースだけではないのかもしれません。

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