中国で尊敬される米国人傭兵「フライング・タイガース」とは

第二次世界大戦直前から日中戦争の時期にかけて、中国の空は激しい戦いの舞台となりました。その中で「フライング・タイガース」と呼ばれる米国人傭兵部隊が、中国側に立ち、日本軍と戦った歴史は現在も中国で高く評価され、両国の友好の象徴ともなっています。この記事ではフライング・タイガースの誕生から活躍、そして今日に至る彼らの歴史的意義についてわかりやすく解説します。

フライング・タイガース(AVG)とは何か

フライング・タイガースの正式名称は「アメリカ合衆国義勇軍(AVG, American Volunteer Group)」です。日中戦争が激化する中、中国国民党軍を支援するために、まだ米国が日本と直接戦争状態ではなかった時期に米パイロットが志願して結成した部隊です。部隊のリーダーはクラレ・L・シェンノート准将で、彼の指揮のもと中国空軍をアメリカ人パイロットが支えました。

結成の背景と目的

1937年に始まった日中戦争は、日本の侵攻に対して中国が苦戦する状況でした。アメリカ政府は公式な参戦をしていなかったものの、中国への支援を模索し、退役や非現役の米軍パイロットらが傭兵として中国に渡りました。シェンノートは中国空軍の顧問として戦術を指導し、AVGを編成しました。彼らの最大の目的は中国の都市や交通拠点を日本軍の爆撃から守ることでした。

AVGの機材と特徴的な戦闘機

フライング・タイガースが使用した主力戦闘機は「カーチスP-40ウォーホーク」です。この機体は頑丈な構造と強力なエンジン、機首に描かれた「鮫の口」のペイントが非常に有名です。P-40は全99機が中国に送られ、前線で活躍しました。その後も強化された新型機が追加され、彼らの空中戦力は着実に強化されました。

ラングーンの防衛と名声の確立

AVGにとって特筆すべき戦いは、ビルマ・ラングーンでの日本軍との空中戦です。1941年末から1942年初頭、クリスマスから新年にかけて、11日間連続して日本軍の爆撃機がラングーンを襲撃。しかしフライング・タイガースは数的不利にも関わらず、日本軍編隊を撃破し、その名声を確固たるものにしました。米国の公式記録によれば、たった4機のP-40で日本軍の戦闘機12機と戦い、6機撃墜という戦果を残し、自身の損害はゼロでした

  • ラングーンでの滞在は計10週間
  • 出撃したP-40の数は25機
  • 交戦数は31回、遇敵は約1000機
  • 撃墜記録は217機、加算未確定撃墜43機
  • AVGの死傷者は操縦士5名、捕虜1名
  • P-40の損失は16機

驚異の戦果とエースパイロット

AVGは常に数的劣勢にも関わらず、航空戦史上最高とされる撃墜記録を達成しました。最終的に
フライング・タイガースのメンバー18名が5機以上を撃墜して「エース」となった(パイロット用語で、5機撃墜がエース基準)、合計で日本軍機296機撃墜、1000名以上の搭乗員戦死という記録が報じられています

一方で、日本側の損失記録では、地上撃破も含め115機撃墜、戦死300名程度と異なった数値が示されています。航空戦の記録は両陣営で差異が生じやすいことにも注意が必要です。

中国での評価とその理由

中国社会においてフライング・タイガースは「飛虎隊」の愛称で深い敬意をもって語られています。彼らは日本軍の空襲から市民を守り、技術のみならず勇気と国際的な正義感を示したことで「義勇」と「友情」の象徴となりました。現在も中国各地では記念館や展示が設置され、当時のパイロット達の名誉が讃えられ続けています。

  • 南京や昆明などで記念碑が保存されている
  • 映画やドキュメンタリーで功績がたびたび特集されている
  • 若い世代にも「中米友好」「英雄精神」の教材として語られている

一方、日本でも歴史的な軍事部隊として関心は高く、航空技術や戦術など専門的な観点から研究が進められてきました。両国において異なる評価があるものの、世界的には国際協力や平和の重要性を考えるきっかけとなる部隊です。

AVG解散とその後の影響

AVGは1942年7月に正式に解散し、メンバーの多くは米軍に復帰または他の連合国部隊に転属しました。フライング・タイガースで培われた戦術や精神は後の米空軍に大きな影響を与え、米中両国の友好の象徴として引き継がれていきます。

シェンノート将軍の願いと歴史的意義

部隊創設者であるシェンノート将軍は、回顧録の中で「二つの偉大な国民の象徴として、フライング・タイガースの旗が高く掲げ続けられ、戦争と平和の共通の目標に向かって共に働いてほしい」と語りました。これは単なる戦果だけではなく、人道的な支援の精神と長期的な友好関係の構築の重要性を指し示す言葉です。

今日、フライング・タイガースの歴史は米中双方にとって「困難な時代を共に乗り越えた証」となっており、平和と協力の価値を伝える強いメッセージとして受け継がれています。

まとめ

フライング・タイガース=米国人傭兵による中国支援部隊は、戦争の荒波の中で数多くの犠牲を払いながら義勇と友情で中国市民を守り抜いた英雄的存在です。彼らの活躍は現在も中米の架け橋となり、世界に平和の意義を問い続けています。歴史を振り返ることで、未来の世代が「国境を越えて協力する勇気と善意」の大切さを学ぶきっかけとなるでしょう。

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