イギリス「Hull & Humber」A&EでのHIV・肝炎スクリーニング拡大とアメリカCDC HIV予防事業の危機
はじめに
HIV(ヒト免疫不全ウイルス)とB型・C型肝炎ウイルスは、世界的に依然として深刻な感染症です。2025年9月、イギリスのHullとHumber地域の救急外来(A&E)で、全患者へのHIVおよび肝炎のスクリーニング体制強化が発表される一方、アメリカでは疾病対策センター(CDC)のHIV予防部門が存続の危機に陥っています。感染症対策の最前線で何が起きているのか、本記事では両国の最新状況を詳しく解説します。
HullとHumber:A&E患者全員へのHIV・肝炎検査導入
イギリスのHullおよびHumber地区の病院救急外来(A&E)では、2025年9月より、来院した全患者を対象にHIVおよび肝炎の標準的なスクリーニング検査が行われることになりました。これは、従来高リスク群を対象としていた体制を拡大し、感染症の早期発見・拡大防止を目指す全国的な取り組みの一環です。
- これにより、無症状や自覚症状が乏しい状態での感染も早期に発見されやすくなります。
- 早期診断は、患者の予後改善や、他者への感染リスク低減に大きく貢献します。
- 感染判明者には速やかな治療開始やカウンセリングにつなげる体制が用意されています。
- 検査は迅速かつ匿名で実施されるため、患者の精神的・社会的不安にも十分配慮されています。
欧州では、HIVや肝炎の早期発見の遅れから重症化リスクや院内感染拡大が問題視されてきました。今回の取り組みは「潜在患者が支援や医療につながるきっかけを増やす」ことを主眼としています。
社会的な意義と今後の課題
イギリス保健当局によると、救急外来は高リスク患者のみならず、幅広い層が受診する場であるため、レギュラー検査の場として極めて有効です。特にHIVは感染初期に気づかないケースが多いため、来院機会を活用したスクリーニングが感染拡大防止の要となります。
一方で、検査体制拡大に伴うマンパワーやコスト、患者通知方法、プライバシー保護強化など新たな課題も浮上しています。そのため、今後は十分な予算確保や地域住民への情報発信、サポートラインの設置など、制度の継続・発展へ向けて多角的なアプローチが求められます。
アメリカ CDC「HIV予防部門」縮小・廃止の危機
一方、アメリカでは、2025年現在、CDC(疾病対策センター)HIV予防部門の廃止・縮小案が進行しています。トランプ政権による2026年度予算案では、CDCのHIV予防や監視活動に充てられていた年間15億ドル以上の資金削減が盛り込まれ、その機能の他機関(HRSA等)への移管や、州への一括補助金化が提案されているのです。
- HIV予防部門は感染率の監視や啓発、効果的な予防法(PrEP等)の普及で中心的な役割を担ってきました。
- 2022年には米国内の新規HIV感染が約31,800件(依然として高水準)を記録しています。
- 現在のRyan White HIV/AIDS Programや治療・PrEP維持サービスは継続とされますが、予防・監視機能の停止により、感染抑制の取り組み自体が大幅後退する恐れが指摘されています。
専門家・患者団体の懸念
この動きに対して、各地の公衆衛生当局や患者団体、医療現場から強い反発の声があがっています。
- AIDS United会長のJesse Milan氏は「HIVの新規感染一例ごとに生涯コスト約50万ドル、最終的に国家的な医療費増大を招く」と述べています。
- Shelby County(テネシー州)などの現場では「予防部門の喪失は新規感染や死亡の増加を誘発する」「Ryan Whiteプログラムは治療特化で予防には十分に対応していない」と強調しています。
- 米国感染症学会(IDSA)は「州や地域の保健当局が頼りにする技術支援・検査・啓発・PrEP拡大等が失われれば、エイズ終息目標が遠のき、数十年分の進歩が無に帰す」と警告を発しています。
また、従来は連邦政府主導で進められてきた海外支援やPEPFAR等の実績も、国際的な感染拡大リスクの再燃という形でアメリカ国内の公衆衛生安全保障に波及しうるため、多くの識者が「予防は将来的な医療コスト削減に直結する公的投資」として予算削減への反対姿勢を示しています。
両国の対策の違いと社会への影響
イギリスのHullやHumberなどで進む医療現場での一斉スクリーニングと、アメリカのHIV予防・啓発プログラムの事実上の削減。この対照的な潮流は、各国の感染症対策思想と、その社会的背景や制度設計の違いを浮き彫りにしています。
- イギリスでは「誰もが受けられる無料・匿名の検査」を軸に感染早期対応を強化、一方で米国は個人の医療制度や州ごとの政策差異が大きく、連邦主導の役割が失われることで地方間や人種・所得格差の拡大が懸念されています。
- HIVは近年治療薬の進歩により「慢性疾患」としてコントロール可能になりましたが、依然として発症後のケア・差別・孤独等のあるべき支援体制も重要です。
- 啓発・予防施策や無料検査の充実は、患者やハイリスク層のみならず社会全体の「いのち」と「経済」に無形の利益をもたらします。
今後、公衆衛生体制のあり方が感染症流行や健康格差是正、社会的包摂(インクルージョン)にどれだけ貢献できるかが、両国の先行事例から問われることになります。
おわりに――感染症に「国境」はない
HIVや肝炎は、今なお全世界で新規感染が年間数万人規模で発生しています。どの国も<予防・早期発見・治療>の三本柱が欠かせません。イギリスでの救急受診者全員検査の制度化、アメリカでの予防部門廃止問題を通じ、私たちは「ともに支え合う公衆衛生体制」の必要性を再確認しています。社会的スティグマや不平等、そして医療現場の課題を乗り越えるため、今後も多様な主体が連携し、科学と人権にもとづいた感染症対策がますます求められるでしょう。
参考情報:HIV・肝炎とは
- HIV(ヒト免疫不全ウイルス):主に体液を介して感染し、未治療の場合エイズ(後天性免疫不全症候群)へと進行します。抗HIV薬の進歩により、現在では発症前にコントロールできる慢性疾患です。
- B型・C型肝炎ウイルス:血液や体液を介して感染し、慢性化すると肝硬変や肝がんリスクが高くなります。
- いずれも「早期発見・早期治療」が本人の健康だけでなく、社会全体への感染拡大防止にもつながります。