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池田エライザ×野田洋次郎が挑む「舟を編む」第9話――辞書作りの地獄が始まる
NHKの連続ドラマ「舟を編む ~私、辞書つくります~」が、8月12日に第9話を迎えます。主演の池田エライザさんが演じる主人公・みどりと、野田洋次郎さん(RADWIMPS)演じる馬締、両名が繰り広げる辞書編集現場の奮闘が、今、静かな感動と共感を集めています。
第9話、重大な「欠落」発覚から始まる物語
第9話の転機は、みどりが「大渡海」という辞書に、本来入っているべき言葉の欠落を発見するところから始まります。この発見は、辞書作りのプロセスの本質――「言葉を網羅し、確実に伝える」ことの困難さ、そして妥協できない現場の苦悩を象徴します。
みどりの「この抜けを全部洗い出すには、100万枚の用例採集カードを全て見直すしかない」という言葉に、作業の過酷さが如実に現れています。しかし、編集部の選択はただ1つ。「大渡海を穴の開いた舟にしない」――辞書が、伝達の役割を果たす「舟」である以上、抜けや誤りを放置できない、プロの矜持が語られます。
「地獄の作業」――全員が一丸となる現場
抜けの確認という膨大な作業に、馬締や西岡(向井理)、天童(前田旺志郎)など、編集部員やバイトたちが集結。辞書の完成が間近に迫る中、「地獄の日々」とも呼ぶべき、人力と集中力のすべてを注ぐ日々が幕を開けます。
- 西岡は刊行発表会の準備を進めながら、現場の士気を上げる役割を担います。
- 天童をはじめとするバイトたちも、最大限の協力体制を敷きます。
- 「言葉」の抜けを許せない現場の緊張感、編集部全員の責任感が強く描写されます。
誰かのミスではなく、チームとしての反省と感謝を忘れない――そんな謙虚で高潔な現場への共感と憧れの声は視聴者の間でも広がっています。
編集長・松本先生に忍び寄る影――チームの結束力
物語は感情面にもおよびます。編集長の松本先生(柴田恭兵)に病が発覚し、現場は動揺と不安に包まれます。しかし、この出来事が逆に、チームの結束力を高める要因となり、辞書完成へのラストスパートを支えていきます。
「松本先生のためにも、穴の開いた舟で海に出るわけにはいかない」という強い想いが、メンバー一人ひとりの胸に刻まれます。作業は人間力・チーム力の総力戦へと変化していきます。
辞書作りに映る「言葉」と「仕事」への誇り
原作・三浦しをんさんが描いた『舟を編む』は、言葉を丁寧にすくい上げ、人々に正しく伝える責任の尊さを物語の中心に据えています。第9話では特に、仕事への「誇り」と「矜持」、そして「タイパ(タイムパフォーマンス)至上主義」の現代社会への鋭い問いかけがにじみます。
まどろっこしい、効率の悪い作業。しかし、それを積み重ねることでしか成し得ない「意味」や「価値」。仕事の本質を登場人物の姿を通して伝え、共感や気づきを与えてくれます。
- 仕事とは何か?
- 本当に大切なものは、効率の中にはないかもしれない
- チームでひとつのものを完成させる喜びと苦しみ
- やり遂げた者にしか見えない景色
キャスト・スタッフの熱演と評価
主演の池田エライザさんは、妥協を許さない取材力と共感力で、辞書作りの現場を主観的に体現しています。同時に、野田洋次郎さんが演じる馬締は、「言葉」を媒介に人と人とを柔らかくつなぐ役として、視聴者からの共感を呼び起こしています。
脇を固めるキャスト陣も、個性豊かな演技で物語の深みを演出。音楽・演出も緻密で、“辞書作り”という一見地味な題材を、静かな熱気と疾走感で描ききっています。
静かに燃えるSNSでの反響
第9話の放送を前に、SNSでも「抜けを許さないチームの誇り」「地獄の確認作業にこそ仕事の本質が現れる」という感想が目立ちます。雑談としての言葉では伝わらない、「仕事に向き合う誠実さ」に多くの共感が寄せられています。
また、「舟を編む」という作品自体に、効率一辺倒になりがちな現代の“働き方”や“生き方”への問いを感じるファンも多いようです。
- 「舟を編む」第9話は、地道で骨の折れる作業の美しさを、ドラマチックに浮かび上がらせます。
- 池田エライザ・野田洋次郎両名の役作りの細やかさも話題です。
- 「ミスをしても支える仲間がいる」現場の空気感にも注目が集まります。
第9話を経て、物語はいよいよクライマックスへ
「大渡海」に淀みなく“全ての言葉”を乗せて送り出すために――。第9話で描かれる苦闘と団結は、最終回に向けての大きな山場となります。視聴者もまた、「人間とは」「言葉とは」という普遍的なテーマに思いを馳せずにはいられません。
最終話へと続く物語の行方と、辞書編集部員たちが見出す“舟を出す意味”に、今、大きな注目が集まっています。
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