王貞治選手と「国民栄誉賞」 ~その始まりと日本社会への影響~

はじめに:国民栄誉賞の誕生背景

国民栄誉賞は、1977年(昭和52年)8月、国民的な偉業を成し遂げた人々を称えるために創設された日本の賞です。この賞のきっかけとなったのは、プロ野球界のスーパースター・王貞治選手の並外れたホームラン記録でした。実は、それまで政府が現役のプロスポーツ選手を公式に表彰する制度は存在していませんでした。福田赳夫首相(当時)が内閣総理大臣としてその偉業を讃え、国民栄誉賞を新たに設けたのです

1977年9月5日:王貞治選手、初の国民栄誉賞受賞

1977年9月5日、その新設されたばかりの栄えある第1号として王貞治選手が表彰されました。この時、日本中が王選手の偉業を称え祝福ムードに包まれました。王選手が受賞した主な理由は、9月3日に行われたヤクルトスワローズ戦で、史上最多となる通算756号ホームランを放ち、米大リーグのレジェンド、ハンク・アーロン選手を超える「ホームラン世界一」となったことです。

  • 当時の野球界、そして日本社会全体に大きな希望と感動をもたらした瞬間でした。
  • 王選手が受賞した際の年齢は37歳。
  • 受賞理由は「ホームラン新記録達成の功」と明記されています

王貞治選手ってどんな人?

王貞治選手は、1940年生まれ。読売巨人軍(通称・ジャイアンツ)で活躍した国民的英雄です。特筆すべきはその成績だけでなく、圧倒的な努力家であり、決して才能だけではない地道な練習の積み重ねで記録と記憶に残る存在となったことです。

  • 1977年にホームラン数756本で当時の世界新記録を樹立。その後、1980年の引退までに通算868本を積み上げました
  • 現役時代から「一本足打法」というユニークなバッティングフォームを編み出し、努力と技術で成し遂げた記録です。
  • 引退後は監督や球団会長などを歴任し、今も野球界発展のため尽力しています。

まさに「芯の通った努力の人」であり、国民全体に勇気や希望、挑戦する価値を体現した存在でした。

なぜ国民栄誉賞は創設されたのか?

国民栄誉賞が作られる前にも「内閣総理大臣顕彰」という表彰制度がありましたが、対象はスポーツ選手や多彩な分野に拡がっていませんでした。そのため、国民感情や時代のニーズを反映した新たな表彰が求められ、王選手の歴史的快挙をきっかけに制度ができました。

創設から約半世紀、国民栄誉賞は「時代を象徴する大きな功績」を持つ人に贈られる日本最高レベルの名誉となっています。

その後の受賞者と国民栄誉賞の広がり

王選手以後も多くの人々が国民栄誉賞を受賞しています。その一覧を見ることで、時代ごとに社会に大きな影響を与えた分野や人がよく分かります。

  • 古賀政男(作曲家・1978年受賞)「古賀メロディー」で知られる昭和歌謡の巨匠。
  • 長谷川一夫(俳優・1984年受賞)演劇と映画界への多大な貢献。
  • 植村直己(冒険家・1984年受賞)世界五大陸の最高峰登頂を達成。
  • 衣笠祥雄(プロ野球選手・1987年受賞)連続試合出場の世界記録達成。
  • 美空ひばり(歌手・1989年受賞)歌謡界と日本文化に多大な影響を与えた。
  • 他にも柔道家、棋士、サッカー選手などスポーツ・芸能・学術・芸術の幅広い分野に功績を持つ方が続いています

最近では、女子サッカー日本代表や車いすテニスの国枝慎吾さんのように、団体・パラスポーツ分野にも授与の幅が広がっています

国民栄誉賞の社会的意義と受賞者への思い

国民栄誉賞が多くの人に愛され社会的意義を持つ理由は、「時代の空気」を象徴した受賞者が国民と分かち合う感動や尊敬の念が根底にあるからです。受賞者たちは自分自身だけでなく、家族や仲間だけでなく、社会全体にひとつの夢を与えてきました。

  • 国民が悩みや困難に直面した時、希望や目標を見いだす支えになる。
  • 文化・スポーツ・芸術など異なる分野でトップに立つ人が社会的意義と役割を担う。
  • 特に王選手の受賞は、「努力や継続が人生を変える」という強いメッセージを日本中に発信しました。

「栄誉」とは一部の人だけでなく、日本国民一人ひとりの誇りとして広がり、今なお多くの人に語り継がれています。この賞が持つ社会的意味の大きさは、まさに日本社会の成熟や多様化を象徴しているといえるでしょう。

王貞治選手受賞後のエピソードと功績

王選手は記録達成後も決して現役生活に満足することなく、野球文化の発展と後進育成、さらにはスポーツマンシップ醸成に心血を注いできました。

  • 引退後は監督・指導者としても大活躍。読売巨人軍、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)などの監督を歴任。
  • 日米野球やWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表監督としても手腕を発揮。
  • 国内外問わず日本野球を代表する存在として社会貢献活動にも力を入れています。

「国民栄誉賞第1号」としての存在感は、単なる記録保持者という枠を超え、文化・教育・国際交流など幅広い活躍にまで至っています。

国民栄誉賞が生み出したもの

国民栄誉賞は、単なる顕彰だけでなく、
「努力する意義」「夢に挑戦する心」「社会への影響力」
といった時代を超えて色あせない価値観を日本中に提示しました。

昭和・平成・令和と時代が巡っても、王貞治選手の偉業や国民栄誉賞創設の意義は変わることがありません。むしろ、多様化した現代において、さまざまな価値観や立場を認め合うきっかけとして、ますます重要になっているのかもしれません。

今後も、社会や時代の「希望」となる人々が、この賞を通じて輝き続けることでしょう。

おわりに:永遠に語り継がれる偉業

王貞治選手の国民栄誉賞受賞は、日本のスポーツ史、いや文化史においても特筆すべき出来事でした。「現役スポーツ選手への賞」という前例のない勇気ある制度設計と、国民全体を巻き込んだ祝福は、日本社会の持つ底力と優しさ、そして未来への希望を象徴しています。

これからも私たちは、努力と誇りを胸に、国民栄誉賞を受賞した偉人たちの志を受け継いでいきましょう。

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