川崎フロンターレの聖地「築山」に別れ 等々力で『ありがとう築山 解山式』開催
サッカーJ1・川崎フロンターレの本拠地、Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu(等々力陸上競技場)前にある小高い丘「築山(つきやま)」で12月7日、「ありがとう築山 解山式」が行われました。 川崎フロンターレのサポーターにとって、選手バスを迎え、声援を送る“出発点”でもあったこの場所が、等々力緑地の再編整備にともなう平地化を前に、区切りの日を迎えました。
10年親しまれた「築山」が果たした役割
「築山」は、等々力陸上競技場メインスタンドの改築工事に合わせて整備され、2015年に登場しました。 Aゲート横というスタジアムの玄関口に位置し、来場者が自然に集まりやすい立地を活かして、市民やサポーターが登ったり、座って過ごしたりできる小高い丘として整備されました。
それから約10年のあいだ、「築山」は川崎フロンターレのホームゲームでは、選手バスの到着を待つサポーターが集まる場所として定着しました。 試合前にはユニホーム姿のサポーターたちが丘の上からタオルマフラーを掲げ、バスに向かって声援を送る姿が恒例となり、クラブとファンを結ぶ象徴的なシーンの舞台となってきました。
川崎市が進める等々力緑地の再編整備でスタジアム周辺が大きく生まれ変わることになり、その一環として「築山」は平地化されることが決まりました。 これにより、サポーターに親しまれてきた場所が姿を消すことになり、その“卒業式”ともいえるのが今回の「ありがとう築山 解山式」です。
川崎とどろきパークとフロンターレが共催 「ありがとう」を伝える解山式
今回の解山式は、等々力緑地の整備事業者である川崎とどろきパーク株式会社が主催し、川崎フロンターレが共催、川崎市 建設緑政局 富士見・等々力再編整備室が協力する形で行われました。 スタジアムを取り巻く再編プロジェクトの中でも、サポーターの思い出が詰まった場所にきちんと“感謝”の場を設けたいという意図が込められています。
解山式が行われたのは、12月7日(日)12時20分〜12時50分の約30分間。 この日は午後2時キックオフの「高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2025 EAST第21節 川崎フロンターレU-18 vs 浦和レッズユース」の前座イベントとして実施され、多くのフロンターレサポーターや地域の人々が早めに会場を訪れました。
音楽とトークとともに始まった“お別れの時間”
式典の幕開けを彩ったのは、洗足学園音楽大学の学生による演奏でした。 普段から等々力周辺のイベントにも協力している同大学の学生たちが「時報」演奏を行い、静かに、しかし華やかに解山式のスタートを告げました。
続いて行われたのが、「等々力緑地を愛するゲストによるトークショー」です。
- 中村順司さん(PL学園野球部元監督)
- パンチ佐藤さん(タレント)
といった、スポーツや川崎ゆかりのゲストが登場し、等々力という場所が持つ魅力や思い出、そして今後への期待について語り合いました。 サッカーのみならず、野球や多くのスポーツの舞台として親しまれてきた等々力の歴史に触れながら、「築山」が果たしてきた役割を、多角的な視点から振り返る時間となりました。
サポーターがスコップを入れる「最後のひと掘り」
式典のクライマックスとなったのは、参加者が自ら築山にスコップを入れて土を掘り、その一部を持ち帰る場面でした。 事前の案内で川崎フロンターレは、「築山の土を掘るための用具類(スコップと袋)をご持参ください」と呼びかけており、多くのサポーターが小さなスコップやシャベル、袋を手に集まりました。
解山式当日、築山には順番を待つ人の列が途切れることなく続き、サポーターや家族連れが土に丁寧にスコップを入れて、少しずつ土をすくい上げていました。 サポーターの中には、「子どもが初めてスタジアムを訪れたときにここで写真を撮った」「優勝がかかった試合の日、ここで緊張しながら選手バスを待っていた」といった思い出を語りながら、名残惜しそうに土を袋へと移す人の姿も見られました。
川崎市幸区から訪れたという28歳の男性サポーターは、「選手を迎えて励ます大事な場所。思い入れがある」と話し、持ち帰った土は自宅の植木鉢に入れて大切にするつもりだと語りました。 この言葉には、多くのフロンターレサポーターが共有してきた「築山」への感情が凝縮されています。
等々力緑地再編整備とスタジアムの未来
今回の「築山」平地化の背景には、川崎市が進める等々力緑地全体の再編整備があります。 川崎市は、スポーツと憩いの拠点である等々力緑地をより使いやすく、魅力的なエリアにするための計画を進めており、その一環としてスタジアムも大きく生まれ変わります。
等々力陸上競技場は、2030年春ごろに改築が完了し、球技専用スタジアムとなる予定です。 これにより、サッカー観戦の環境はピッチとの距離が近くなるなど、より臨場感のある空間への進化が期待されています。 一方で、「築山」のようにこれまでの風景の一部だった場所が姿を消すこともあり、今回の解山式は、その変化を前向きに受け止めつつ、過去に感謝する機会ともなりました。
再編整備後、「築山」のあった場所は平地となり、試合時には来場者動線やイベント・催事の設営物を置くスペースとして活用される予定です。 スタジアムに訪れる人々を迎えるという役目は続きつつ、その形を変えて新たな機能を担うことになります。
フロンターレと街が育んだ「風景」を受け継いでいく
2005年のJ1再昇格以降、川崎フロンターレはJリーグ屈指の強豪クラブとして成長してきました。 リーグ上位争い、アジアへの挑戦、そしてタイトル獲得と、クラブが積み重ねてきた歴史のそばには、いつも等々力スタジアムとその周辺の風景がありました。
「築山」もまた、その風景の一部であり、サポーター文化を象徴する場所のひとつでした。 試合前、ここで選手バスを待ちながら仲間と談笑し、応援歌を口ずさみ、ときに悔しい敗戦の後もここで言葉を交わして帰路についた人も多いはずです。
解山式の開催にあたり、「川崎とどろきパーク」と川崎フロンターレは、公式のお知らせの中で「多くの皆さまに親しまれてきた『築山』が役目を終える」と表現しています。 それは、ただ施設が取り壊されるという意味ではなく、「築山」がこれまで果たしてきた役割を丁寧に認め、その歴史に感謝を伝えるという姿勢の表れでもあります。
平地化工事は12月中にも始まる予定で、「築山」は物理的な姿を消すことになりますが、その土を持ち帰った人々の自宅や、そこで交わされた会話、写真、記憶の中で、その存在はこれからも生き続けます。 サポーターが「大事な場所」と語ったように、「築山」はひとつの施設を超えて、クラブと街、人と人をつなぐ心の拠り所となっていました。
変わりゆく等々力で、変わらないもの
等々力緑地の再編整備が進み、スタジアムはより快適で現代的な空間へと生まれ変わろうとしています。 その過程で、見慣れた風景に別れを告げることは、ファンにとって少し寂しさを伴う出来事でもあります。しかし、変わっていくのは「形」であって、「等々力でフロンターレを応援する」という根っこの部分は変わりません。
「ありがとう築山 解山式」は、まさにそのことを確かめるような時間でした。サポーターが自らスコップを入れ、土を手に取るという行為は、「ここで過ごした時間をこれからも大切にしていく」という、静かな宣言のようにも見えます。
クラブの公式サイトは、解山式のお知らせの最後に「解山式の後はヤンフロたちへの応援よろしくお願いします!!」と呼びかけています。 歴史を受け継ぎながら、次の世代のフロンターレファンへとバトンをつないでいく。その循環の一コマとして、「築山」での解山式は、多くの人の記憶に残る一日となりました。
これから等々力スタジアムが球技専用スタジアムへと生まれ変わり、新たな観戦スタイルや応援文化が生まれていくなかで、「築山」で育まれた温かな空気感や、選手とサポーターの距離の近さは、きっと別の形で受け継がれていくことでしょう。 川崎フロンターレの歩みとともにあった小さな丘は、役目を終えても、クラブとサポーターの心の中で、これからも静かに寄り添い続けます。



