アントニオ猪木をめぐる「闘魂」の記憶――スパーリング、脱退宣言、そして“月”と呼ばれた仕掛け人
アントニオ猪木さんが亡くなってから時間が経った今も、プロレス界ではその名前が日々のように語られ続けています。
最近は、長年スパーリングパートナーを務めた木村健悟さんの証言、鈴木みのる選手の“脱退宣言”秘話、そして「過激な仕掛け人」と呼ばれた新間寿(しんま・ひさし)さんの人物像を通じて、改めて猪木さんの「唯一無二の強さ」と「人間力」が見直されています。
木村健悟が語る「それが闘魂なんですかね」――リングの裏側で見た猪木の強さ
元新日本プロレスのレスラーであり、アントニオ猪木さんのスパーリングパートナーとして知られる木村健悟さんは、リングではなかなか見えない猪木さんの「本当の強さ」を証言してきた一人です。
木村さんが振り返るのは、華やかな試合の表側ではなく、血のにじむようなトレーニングと、時に「狂気」とさえ思えるほどのストイックさです。
猪木さんは、スパーリングになると妥協を一切許さず、相手が誰であっても本気でぶつかっていったと言われます。
疲れ切った木村さんが「今日はこれくらいで……」と心のどこかで弱音を吐きそうになると、猪木さんはさらにギアを上げるように攻めてくる。
そんな日々の中で、木村さんの口から自然と出てきた言葉が、「それが“闘魂”なんですかね」という一言でした。
ここで言う「闘魂」とは、単に強い技や体力を指す言葉ではありません。
・限界を超えるまで自分を追い込み続ける姿勢
・自分にも他人にも甘えを許さない厳しさ
・痛みや恐怖をも前進するエネルギーに変えてしまう不思議な力
こういったものが複雑に混ざり合った、人間としての「あり方」に近いものです。
木村さんは、猪木さんの練習を「怖い」と感じる瞬間もあったものの、同時に「この人に付いていけば、きっと自分も強くなれる」という確信を覚えたといいます。
リング上での派手なパフォーマンスの裏には、そうした日々の凄まじい鍛錬があった――木村さんの証言は、そのことを優しく、しかし生々しく伝えてくれます。
鈴木みのる、「新日本をやめたいです」――覚悟の脱退宣言と猪木の“まさかの一言”
もう一つ、今あらためて注目されているのが、パンクラス創設や数々の名勝負で知られる鈴木みのる選手と猪木さんとのエピソードです。
若き日の鈴木選手は、新日本プロレスという大きな船にいながら、「このままここにいても、自分は本当に強くなれないのではないか」という葛藤を抱えていました。
やがて鈴木選手は決意します。
「新日本をやめたいです。ここにいても強くなれません」
この“脱退宣言”は、当時のプロレス界の常識からすれば、非常に重く、ある意味では「反逆」とも受け取られかねない言葉でした。
ところが、そこで返ってきた猪木さんの言葉は、周囲が想像していたものとはまったく違う「まさかの一言」だったと伝えられています。
激怒するでもなく、「裏切り者」と突き放すでもない。
むしろ、鈴木選手の覚悟を値踏みするかのように、静かで短い一言を放ったのです。
その具体的な言葉は、各種インタビューや記事で少しずつニュアンスを変えて紹介されていますが、共通しているのは、
・若者の覚悟と反骨心を肯定的に受け止めたこと
・自分のもとを去る者に対しても、「強くなってこい」と背中を押すような視点を持っていたこと
この2点です。
つまり猪木さんは、「新日本を辞めたい」という言葉の裏にある「もっと強くなりたい」「自分の力で勝負したい」という純粋な思いを見抜き、その気持ちに対しては決して冷たく当たらなかったのです。
表向きは厳しく、時に突き放すような姿勢を見せながらも、心のどこかで「出て行くなら、徹底的にやってこいよ」とエールを送っていた――鈴木みのる選手の証言からは、そんな猪木さんの“器の大きさ”が透けて見えます。
「猪木が太陽なら、月のような存在だった」――過激な仕掛け人・新間寿の人間力
そして、今回の話題の中で外せないのが、「過激な仕掛け人」として知られた新間寿さんです。
多くのメディアは、新間さんを指して「もしアントニオ猪木が太陽なら、新間寿は月のような存在だった」と紹介しています。
この表現は、新日本プロレスの黄金期を支えた二人の関係性を、とても象徴的に表しています。
猪木さんは、リングの上で全身全霊を燃やす“燃える闘魂”。
一方で新間さんは、リング外で興行を仕掛け、世間を驚かせる企画を次々と実現させた男でした。
アリとの対戦をはじめ、大型の国際試合や異種格闘技戦の数々は、「新間なくしては語れない」とまで言われます。
新間さんは1935年生まれ、東京都新宿区出身。中央大学卒業後に一般企業で働きながらも、力道山率いる日本プロレスのジムで練習していた経験があり、その縁からプロレス業界に深く関わっていきました。
やがて、猪木さんと共に東京プロレスを立ち上げ、新日本プロレスの営業本部長として数々のビッグマッチを成功させていきます。
新間さんのすごさは、一言で言えば「人を動かす力」でした。
・観客が何に熱狂するのかを敏感に読み取るセンス
・選手、マスコミ、スポンサー、政治家まで巻き込んでいく交渉力
・時に「やり過ぎ」と言われるほどの、ギリギリを攻める仕掛け
そのどれもが、プロレスという枠を超えたスケールを持っていました。
もちろん、新間さんの人生は「きれいごと」だけでは語れません。
長年にわたる猪木さんとの愛憎劇、クーデター未遂や旧UWFにまつわる騒動、さらにはマルチ商法まがいのビジネスに関わったことなど、「黒い部分」も少なくなかったと指摘されています。
それでもなお、「新日本プロレスの隆盛の陰には、新間寿という“月”の存在があった」という評価は、多くの関係者が認めるところです。
ある記事では、「プロレスラー猪木は、私との合作ですよね?」と新間さんが語ったエピソードが紹介されています。
自信満々にも聞こえるこの言葉の裏には、「自分は表舞台には立たないが、リングの上で輝く猪木をどう見せるか、命がけで考えてきた」という誇りと責任感が感じられます。
また、晩年の新間さんは、「今のプロレスには一番肝心の“心”がない」と苦言を呈しながらも、最後までプロレスと猪木さんへの愛情を失うことはありませんでした。
プロレスの未来に対しても、「もっと人の心を揺さぶる試合、事件を起こさなければいけない」と語っており、その言葉にはかつて“過激な仕掛け人”として時代を動かした男の信念がにじんでいました。
太陽と月、そして受け継がれる「闘魂」
ここまで見てきたように、木村健悟さんは“リングの裏側から見た強さ”を、鈴木みのる選手は“若者の葛藤と覚悟に対する猪木の向き合い方”を、そして新間寿さんは“リング外から支え続けた人間力”を、それぞれの立場から語っています。
猪木さんの「闘魂」は、決して一人だけで成り立っていたわけではありません。
・スパーリングで拳を交わした仲間たち
・自分の道を貫くために、あえて離れていった後輩たち
・ときに対立しながらも、最大の理解者であり続けた仕掛け人
そうした人々の思いや人生が折り重なって、私たちが知る「アントニオ猪木」という巨大な物語が形作られていきました。
「太陽」である猪木さんが、リングの上で激しく燃え上がるたび、
どこかで「月」と呼ばれた新間寿さんが、その光をより鮮やかに見せるための夜空を用意していた。
そんな関係性を思い浮かべると、プロレスというものが、いかに多くの人の情熱と矛盾とドラマによって支えられてきたかが、少しだけ見えてくるような気がします。
そして今、その物語を受け継いだレスラーたち、ファンたちが、それぞれの場所で新しい「闘魂」の形を模索しています。
木村さんのように「それが闘魂なんですかね」としみじみ振り返る人もいれば、鈴木みのる選手のように、環境を変えてでも強さを追い求める人もいる。
そこには共通して、「どんなに苦しくても、自分の信じた道を貫く」という、猪木さんから受け継いだスピリットがあります。
アントニオ猪木という太陽が沈んだあとも、その光は新たな世代の中で確かに生き続けています。
そして、太陽の隣で静かに輝いていた“月”――新間寿という仕掛け人の人生もまた、プロレスという世界の奥深さと、人間の業のようなものを私たちに教えてくれています。



