アサド政権崩壊から1年――シリア難民帰国と「再建」のいま
シリア内戦を終結させたアサド政権崩壊から1年。長く「中東の火薬庫」と呼ばれてきたシリアでは、ようやく戦火が止んだ一方で、新たな難題が山積しています。最大の焦点は、国外に逃れた数百万人規模のシリア難民の帰還と、国土の再建プロセスです。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、内戦終結後、これまでに約120万人の難民と、国内で避難生活を送っていた約190万人の国内避難民が故郷へ戻りましたが、それでも依然として数百万人が国外や国内で避難生活を続けている状況です。アサド政権崩壊から1年たっても、「帰りたくても帰れない」現実が続いています。
難民帰国は「2割」規模にとどまる現実
シリアからの難民は、内戦が激化した2010年代以降、トルコやレバノン、ヨルダン、欧州各国へ大規模に流出しました。なかでもトルコは最大の受け入れ国で、ピーク時には370万人以上がトルコで保護を受けていました。
その後も長くシリア情勢は不安定でしたが、アサド政権崩壊と停戦の定着により、ようやく帰国の動きが本格化しました。それでも、トルコにいたシリア人のうち実際に帰国を選んだのは約40万人とみられ、全体から見ればおよそ2割程度にとどまっていると分析されています。トルコ政府の統計では、2025年中盤までに約41万人の帰還が確認されています。
UNHCRの地域調査によると、シリア難民が帰国に踏み切れない主な理由として、次のような不安が挙げられています。
- 家屋の崩壊(36%)―爆撃や戦闘で家が失われ、そもそも戻る場所がない。
- 雇用と生計の不安(28%)―仕事が見つかる見通しが立たない。
- 安全の確保への懸念(12%)―治安が完全には安定していない。
つまり、戦争が終わったからといって、自動的に「皆がすぐ戻れる」わけではなく、安全・住まい・仕事というごく基本的な条件が揃わないかぎり、帰国は現実的な選択肢になりにくいのです。
トルコに残るか、シリアに戻るか――難民たちの苦しい選択
トルコは、2011年の紛争勃発直後からシリア人を大量に受け入れてきました。ピーク時には認定されたシリア人が300万人以上、さらには未認定の人々も約100万人とされ、合計で370万人超がトルコ社会の一部となっていました。
アサド政権崩壊後、多くの人が「これでやっと帰れる」と期待したものの、現実には帰還は一部に限られていると専門家は指摘します。トルコ側でも状況は複雑です。
- 長期の滞在を経てトルコで生活基盤を築いた人が多く、子どもはトルコ語で教育を受け、仕事やビジネスもトルコに根を下ろしています。
- 一方で、トルコ国内では難民受け入れの負担感や排外感情の高まりも指摘されており、政治の大きな論点になってきました。
また、トルコのビジネス界は別の懸念を抱えています。シリア人労働者は、長年にわたり「低コストの重要な労働力」として産業界を支えてきました。2023年には、シリア人約10万8000人に労働許可が与えられたと報じられています。そのため、難民の大規模な帰国が進んだ場合、
- 一時的に労働力不足を招くのではないか
- 人件費の上昇につながるのではないか
といった経済的な不安も出ています。もっとも、失業率の高さを踏まえ、「不足はあっても一時的」という見方もあります。
トルコで起業したり、高度な技能を持つホワイトカラー層のシリア人の多くは、当面トルコにとどまるとの指摘もあり、「全員が一斉に帰る」というシナリオは現実的ではありません。結果として、
- 一部は祖国へ帰還
- 一部はトルコ社会へ定着・統合
という二つの流れが並行して進む「中途半端な状態」が続いているのが実情です。
帰還した人々を待ち受ける過酷な現実
勇気を出してシリアに戻った人々も、決して平坦な道を歩んでいるわけではありません。むしろ、「帰ってからの方が大変だった」と語る人も少なくないといわれます。
アサド政権崩壊後、新たな政権が発足したものの、復興の遅れと制度の未整備が、帰還者を大きく苦しめています。
- 住宅・財産権の問題
戦闘や空爆で家屋が破壊されたうえ、権利証書の紛失や不正売買などにより、土地や家の所有権をめぐる紛争が頻発しています。戻ってきても、かつての自宅に住めないケースが後を絶ちません。 - インフラの壊滅
多くの地域で電気・水道・道路・病院・学校といった基本インフラの復旧が進んでおらず、一度帰った家族が「生活が成り立たない」として再び避難を余儀なくされる例もあります。 - 地雷や不発弾の危険
特に農村部では、地雷や不発弾の除去作業が大幅に遅れ、農地や自宅周辺に近づくこと自体が命がけという地域も残っています。これは個人の生活再建だけでなく、地域全体の安全と安定を脅かしています。 - 治安の不安定さ
地中海沿岸北西部や南部では、依然として暴力事件や虐殺が発生し、新たな避難の波が生まれていると報告されています。内戦は終わったはずなのに、「また逃げなければならない」状況に追い込まれる人々がいるのです。
こうした現実から、シリアへの帰還はしばしば「命がけの決断」になっています。帰還は決してゴールではなく、長く困難な“再出発”の始まりにすぎません。
欧州で高まる「強制送還」論と人権上の懸念
一方、欧州ではアサド政権崩壊後、シリアを「安全な帰還先」とみなし、シリア難民の強制送還を求める声が一部で強まっています。長年続いた大量の受け入れにより、財政負担や社会的対立が深刻化していることが背景にあります。
しかし前述のように、シリア国内ではインフラの未復旧や治安の脆弱さ、住宅問題が深刻であり、国連をはじめとする国際機関は、時期尚早な強制帰還は人権上問題が大きいと警鐘を鳴らしてきました。
難民保護の原則である「ノン・ルフールマン(迫害が予想される国に送り返してはならない原則)」に照らせば、「安全で尊厳ある帰還」が保証されない状況での送還は、本来避けなければなりません。それでも欧州内では、国内政治や世論の圧力を背景に、「いつまで保護を続けるのか」という現実的な議論が高まっています。
このギャップこそが、「難民の帰還」をめぐる国際社会の大きなジレンマです。受け入れ国にとっては財政や社会統合の負担が重く、送り出した国には復興の遅れという現実があり、その狭間で難民本人たちが苦しい選択を迫られています。
「中東の火薬庫」シリアはいまどこに向かうのか
アサド政権崩壊後のシリアは、新政権のもとで民主化と再建を進めようとしているものの、その歩みは決して順調とはいえません。国内では、
- 地域ごとの権力構造の複雑さ
- 旧体制からの利権構造の持ち越し
- 治安維持をめぐる武装勢力の存在
など、多くの問題が絡み合っています。
また、シリアは地政学的に、トルコ、イラン、イスラエル、湾岸諸国、さらにはロシアや欧米諸国など、多くの国の利害が交差する場所に位置しています。そのため、復興支援や政治プロセスにも、周辺国や大国の思惑が色濃く影響してしまいます。
国際社会の支援も、当初の勢いに比べて徐々にドナー疲れが見られ、資金や関心が他の危機へと移る兆しも指摘されています。支援が細るなかでの再建は、どうしてもペースが遅くなり、結果として難民の帰還がさらに進みにくくなるという悪循環が生まれてしまいます。
社説が問う「シリア再建」と新たな火種
多くの論評や社説は、「シリア再建」が中東全体の安定と直結する課題だと指摘しています。もし復興が行き詰まり、貧困や不満が蓄積すれば、
- 国内で新たな武装勢力や過激派が台頭する
- 周辺国との国境紛争や介入が再燃する
- 再び大規模な避難民の波が生じる
といった、「第二の内戦」や地域紛争につながるリスクも否定できません。
その意味で、「シリア再建 中東に新たな火種を加えぬよう」と題された社説が訴えるメッセージは明快です。国際社会はただ「戦争が終わった」と安堵するのではなく、
- 帰還した人々が安心して暮らせる環境を整えること
- 帰還を望まない、あるいは望めない人々の長期的な受け入れと統合を支えること
- 復興支援を通じて、新たな対立や格差を生まない仕組みを作ること
が求められています。
求められる「人間中心」のアプローチ
「シリア難民帰国2割」「独裁政権崩壊から1年」「シリア再建」というニュースの背後には、それぞれの人生を背負った人々の選択があります。
- シリアに戻って、廃墟と向き合いながら土地を耕し直す人
- トルコや欧州に残り、新しい国で子どもを育てる決意をした人
- どちらにも踏み切れず、宙ぶらりんのまま揺れている人
彼らに共通しているのは、「安全に暮らしたい」「子どもに教育を受けさせたい」「普通の生活を送りたい」という、ごくささやかな願いです。だからこそ、難民政策や再建支援は、国益や安全保障だけではなく、こうした人間としての尊厳に根ざして考えられる必要があります。
アサド政権崩壊から1年。シリアはようやく「戦後」を歩み始めました。しかし、その歩みが誰かの犠牲や排除の上に成り立つものであってはならない、ということも、私たちは同時に忘れてはならないでしょう。




