直木賞作家・今村翔吾さんが語った「伊東市長選」とメディアの笑い――田久保前市長をめぐる議論とは
静岡県伊東市の市長選挙をめぐって、政治だけでなく、テレビ番組でのコメントのあり方にも注目が集まっています。特に話題になっているのが、直木賞作家の今村翔吾さんが情報番組「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」で語ったコメントと、番組全体の「笑い」の雰囲気です。田久保真紀前市長の発言や振る舞いを、どこまで茶化してよいのか――視聴者からは「いじめそのものではないか」という声も上がっています。
ここでは、伊東市長選の結果と背景、今村さんや番組出演者の発言の内容、そして「メディアの笑い」をめぐる問題を、できるだけわかりやすく整理してご紹介します。
伊東市長選の結果と背景――田久保真紀前市長の「学歴問題」
伊東市長選は、田久保真紀前市長の学歴問題が大きなきっかけとなって行われた「出直し市長選」でした。田久保氏は、東洋大学を除籍になっていたにもかかわらず、卒業証書とされるものを一部見せる形で示していたことが問題視され、政治的な信頼性が大きく揺らぎました。
市長選では、国民民主党静岡県連の推薦を受けた元市議の杉本憲也氏が当選しました。杉本氏は今回の選挙で初当選を果たし、市長の座に就くことになります。一方、過去に2期市長を務めた元市長の小野達也氏も立候補し、杉本氏と激しく競り合いましたが、僅差で及ばなかったと報じられています。
田久保前市長はこの選挙で3位に沈みました。現職でありながら、学歴問題や対応への不信感が影響したとみられています。結果発表後、予定されていた会見の場に姿を見せなかったことも合わせて、批判や疑問の声が高まりました。
田久保前市長のX(旧Twitter)投稿――「絆は私の宝物」
落選後、田久保前市長は自身のSNS(X)に、敗戦の弁ともいえる文章を投稿しました。そのなかで、「これだけの逆境の中でも私を信じて支えてくれたみなさんの想いに感謝しかありません」「今回の選挙戦で繋がったみなさんとの絆はいつまでも私の宝物です」と、支持者に向けて感謝の気持ちを綴りました。
一方で、「自宅の周辺にマスコミが押し寄せた為、選挙後のコメントを取りやめざるを得ませんでした」とも投稿し、記者会見など公の場での説明を行わなかった理由について、マスコミの動きが原因だったと説明しています。
この「マスコミが押し寄せたためコメントできなかった」という説明に対しては、「説明責任を果たしていないのではないか」という厳しい見方も出ています。ここに、のちに「ゴゴスマ」で問題視されることになる“責任の転嫁”というテーマが浮かび上がってきます。
「ゴゴスマ」での議論――今村翔吾さんの「アイドルが卒業したんか」発言
12月15日に放送されたTBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」では、前日に投開票が行われた伊東市長選を特集しました。番組にはコメンテーターとして今村翔吾さんが出演し、田久保前市長のX投稿の文面についてコメントしました。
今村さんは、田久保氏が投稿した「絆は私の宝物」といった文章の印象について、「あの文章見てたら、アイドルが卒業したんかって思う文章」「市長じゃなく黙って聞かされたら、なんかどっかから脱退したのかなって」と語り、苦笑交じりに表現しました。
この発言は、「政治家としての敗戦の弁というより、芸能人の“卒業コメント”のようだ」というニュアンスを指摘したものだと言えます。政治家には、結果への責任の取り方や、今後の説明の仕方が厳しく求められる一方で、その文章が「感傷的」で、「自己イメージを守る方向」に傾きすぎているのではないか、と問題提起した形です。
同じく番組に出演していたタレントのユージさんは、「マスコミが来なかったら、誰に選挙後のコメントをやろうとしたんですか? マスコミ来なかったらどこでやるの?」と疑問を呈し、CBC特別解説委員の石塚元章氏は、「みんなの前でしゃべらない理由をマスコミのせいにしているわけですよね」「これはマスコミへの責任転嫁だ」と、厳しい口調で批判しました。
「嘲笑」か「正当な批判」か――視聴者が感じた違和感
こうしたコメントが番組のなかで相次ぎ、出演者の間にも笑いが起こったことで、一部の視聴者からは「いじめのように見える」「嘲笑しているようで不快だ」という声が上がりました。この点が、今回のニュースが「炎上」に近い形で話題になっている大きな理由です。
情報番組やワイドショーでは、政治家や公人の行動に対して批判や風刺を行うこと自体は、ある程度許容されています。ただし、それが本人不在の場で、一方向からの「総攻撃」や「笑いもの」に近い形になると、視聴者は「権力を持つ側(メディア)が一人を集団で叩いている」という印象を持ちやすくなります。
今回も、「学歴問題」や「会見を開かなかったこと」は、確かに厳しく問われるべきテーマです。一方で、その問題提起の仕方が、視聴者の目には「からかい」や「嘲笑」として映ってしまった部分があったと言えます。特に今村さんの「アイドルが卒業したんか」という表現は、鋭い比喩であると同時に、田久保氏の人格そのものを揶揄しているようにも受け取られかねません。
今村翔吾さんという存在――直木賞作家のコメントの重み
今村翔吾さんは、人気と実力を兼ね備えた直木賞作家であり、小説家としてだけでなく、テレビやラジオなどでも幅広く活躍しています。その言葉は単なる「お茶の間トーク」にとどまらず、社会的にも影響力を持つ存在です。
だからこそ、多くの人々は今村さんの発言に「鋭い洞察」や「物事の本質を突く一言」を期待しています。一方、その鋭さが時に「痛烈な皮肉」となってしまう場合、受け手にとっては「言い過ぎではないか」と感じられることも出てきます。
今回の「アイドルが卒業したんか」という比喩は、政治家としての姿勢に対する批判としては理解しやすい言葉でしたが、それが笑いを誘う形で提示されたことで、「真面目な問題を茶化している」「感情的ないじりに見える」との反発も呼んだと考えられます。
「宝刀」の価値を知らぬ首長たち――議会解散権乱用への批判
今回の伊東市長選をめぐる一連の報道の中では、「首長による議会解散権の乱用」という、より大きなテーマも取り上げられています。ある新聞のコラムでは、首長が持つ議会解散権を「宝刀」にたとえ、その価値や重みを理解せずに振り回すことへの危うさを指摘しています。
地方自治体の首長は、議会との関係がこじれた際に解散権を行使することができますが、それはあくまで「最後の手段」であり、多くの市民生活を巻き込む重大な決断です。軽々しく使うべきものではありません。それにもかかわらず、対立を解消するための対話や調整を尽くさず、「自分の正しさ」を貫くために解散権を使う首長もいるのではないか、という問いが投げかけられています。
伊東市長選のケースも、首長と議会、市民の間の信頼関係がどう築かれ、どう崩れたのか、そしてその結果として再選挙という重いコストが発生したのではないか、という観点から考える必要があります。
新市長・杉本憲也氏の課題――「信頼関係を築ける市長」を目指す
今回の選挙で当選した杉本憲也氏は、「職員・議会・市民と信頼関係を築ける市長を目指す」と語っています。これは、前市政で浮き彫りになった「不信」の連鎖を断ち切りたいという強いメッセージとも受け取れます。
- 市役所の職員との信頼関係
- 市議会との健全な緊張関係と協力関係
- 市民との対話と情報公開
これらをどのように具体化していくかが、新市長の大きな課題になります。一度揺らいだ信頼を取り戻すには時間がかかりますが、その第一歩として、ていねいな説明と、透明性の高い市政運営が求められるでしょう。
メディアの責任と視聴者のまなざし――「笑い」と「批判」のバランス
今回の「ゴゴスマ」をめぐる議論は、単に一つの番組の「言い過ぎ」が問題になっているだけではありません。政治家や公人に対する批判をどこまで、どのような形で行うべきか、そしてその際に「笑い」をどこまで許容できるのかという、メディア全体に関わるテーマを含んでいます。
視聴者の側も、政治家に対する厳しい追及を望む一方で、「人格攻撃のように感じる表現」や、「多数で一人を笑う構図」に対しては敏感です。今回、「いじめそのもの」という受け止め方が生まれた背景には、こうした感覚の変化があります。
今村翔吾さんのような作家や、タレント、解説者が発する言葉は、その影響力の大きさゆえに、より慎重さが求められます。同時に、視聴者側も、どこまでが「権力者への正当な風刺」で、どこからが「不必要な嘲笑」なのかを、自分なりに考え、番組を見極めていく必要があります。
おわりに――「信頼」をどう取り戻すかという共通のテーマ
伊東市長選をめぐる今回のニュースは、
- 田久保前市長と市民・議会との信頼関係の揺らぎ
- 新市長・杉本氏が掲げる「信頼を築く市政」
- メディアと政治家、そして視聴者との間の信頼
という、複数の「信頼」をめぐる問題が一度に表面化した出来事だと言えます。
直木賞作家・今村翔吾さんの「アイドルが卒業したんか」という一言は、その鋭さゆえに大きな反響を呼びました。しかし同時に、その言葉を通して、私たちが「どのような政治を望み」「どのようなメディアを望むのか」を考え直すきっかけにもなっています。
政治家もメディアも、そして私たち市民も、それぞれの立場で「信頼される言動とは何か」を問い続けていくことが、今回の騒動から得られる、もっとも大きな教訓なのかもしれません。



