香港で最古の民主派政党「民主党」が解散 30年の歴史に幕

香港で最も歴史の長い民主派政党である香港民主党が、特別会議で自発的な解散と清盤(清算)を正式決定し、即日活動を終了しました。これにより、1994年の結党から約30年続いた香港民主党の歩みは、ひとつの区切りを迎えることになりました。

特別会議で「解散・清盤」を正式決定

報道によると、民主党は12月14日(日)に特別中央委員会会議および特別会員大会を開き、党の解散と清盤についての議案を諮りました。

会議では、出席した党員による投票が行われ、多くの賛成票により、自発的解散と清盤の方針がほぼ全会一致で承認されました。
香港メディアの報道では、特別会員大会での投票は121人が投票し、117票が賛成、反対はゼロ、白票が4票という結果で、支持率は約97%に上ったと伝えられています。

この決定を受け、民主党は即日で政党としての運営を終了し、今後は法的・財政的な整理を進める清盤手続きに入ります。

党主席・羅健熙氏「断腸の思いでの決断」

民主党の羅健熙(ロ・キンシー)党主席は、会議後にメディアの取材に応じ、今回の決定について「非常に苦渋の選択」であったと語りました。

羅氏によると、民主党は今後、おおよそ1年程度を目標に清盤の手続きを完了させる方針で、政党として保有している資産や事務所の整理、スタッフへの対応などを順次進めていく見通しです。

特に、党の本部として使用してきた九龍・彌敦道の商業ビルのオフィスについては、すでに買い手が見つかっており、年内に明け渡しを行う予定と説明しています。
オフィスは12月31日前に完全に明け渡す計画で、これにより民主党の「拠点」も物理的に幕を下ろすことになります。

残余資産は労災支援団体へ寄付の方針

清盤の過程で、借金や債務などを整理したうえで資産が残った場合には、その残余資産は「工業傷亡権益会」という労働者の労災や労働権益を支援する団体に寄付される予定だと、羅主席は明らかにしました。

この決定には、民主党としての社会的責任を最後まで果たしたいという思いが込められており、労働者や市民社会の一部を支援する形で党の歴史を締めくくろうとする姿勢がうかがえます。

創党メンバー「政治環境の変化が最大の要因」

民主党の創党メンバーであり元党主席の楊森氏は、今回の解散を受けて、政治的な圧力や香港を取り巻く政治環境の大きな変化が主な原因であると述べています。

香港では、近年の国家安全維持法(国安法)の施行や選挙制度の変更など、政治制度が大きく変化してきました。こうした中で、民主派政党や市民団体に対する圧力が高まっていると指摘されており、民主党の活動も年々難しさを増していました。

楊氏は、民主党の解散は単に一つの政党の幕引きというだけでなく、香港の民主派勢力全体にとって象徴的な出来事であると受け止められるべきだと示唆しています。

中国本土関係者からの「警告」も報道

海外メディアの報道によると、複数の民主党ベテラン党員が、中国本土の当局者や中間者とみられる人物から接触を受け、解散しなければ深刻な結果を招く可能性がある、といった警告を受けていたと証言しています。

その「深刻な結果」には、逮捕の可能性なども含まれていたとされ、党員の安全や今後のリスクを慎重に考慮したことが、解散決定の背景の一つになっていると見られています。

こうした証言は、香港の民主派勢力が直面している厳しい政治的プレッシャーを具体的に示すものとして、国際社会からも注目されています。

黎智英氏の裁判判決前夜というタイミング

海外メディアは、民主党の正式解散決定が、民主活動家・黎智英(ジミー・ライ)氏の裁判の判決を控えた時期と重なっている点にも注目しています。

黎智英氏は、香港の著名なメディア経営者であり、長年にわたり民主化運動を支援してきた人物として知られています。その裁判は、国際的にも香港の言論・報道の自由をめぐる象徴的な案件として大きく報じられてきました。

その判決を目前に控えたタイミングで、香港で最も歴史の長い民主派政党である民主党が解散を決めたことは、香港の民主派にとって二重の試練となっているとする見方もあります。

「民主党」とはどのような政党だったのか

香港民主党は、1994年に結成されました。
前身である「香港民主同盟」「匯點(Meeting Point)」という2つの政治グループが合流し、新たな民主派政党としてスタートしました。

結党から約30年の間、民主党は自由主義・自由民主主義を掲げ、普選(普通選挙)の実現法の支配人権の尊重などを重視する立場で活動してきました。

特に、2000年代から2010年代にかけては、香港の立法会(議会)選挙で多くの議席を獲得し、一時は立法会における最大会派となるなど、香港政治において大きな影響力を持つ存在でした。

また、区議会選挙など地方レベルでも多くの議席を持ち、市民生活に密着した政策提言や、社会保障、住宅、労働問題などへの取り組みを続けてきました。

「民主ゼロ」へ向かう象徴的な出来事

香港メディアや国際的な論評では、民主党の解散を、「民主派政党が次々と姿を消し、事実上『民主ゼロ』状態に近づきつつある象徴的な出来事」とする声もあります。

近年、香港では、選挙制度の変更により、候補者の「愛国者」資格が厳格に審査される仕組みが導入され、民主派候補が選挙に出馬しにくくなっています。
さらに、国安法違反の疑いで民主派政治家や活動家が相次いで逮捕・起訴されるなど、民主派の政治参加の余地が大きく制限されてきました。

その中で、長年にわたり香港の民主化を訴えてきた民主党が自ら解散を決めたことは、香港の「一国二制度」下における政治空間が一段と狭まったことを象徴する出来事と受け止められています。

解散を選んだ理由と今後の見通し

羅健熙主席は、今回の決定に至るまでに、党の存続に向けたさまざまな可能性や選択肢を検討したものの、最終的には解散が最も現実的であるとの判断に至ったと説明しています。

背景には、

  • 党としての活動が極めて制約されていること
  • 選挙への参加が事実上困難になっていること
  • 党員や関係者の安全への懸念
  • 財政・組織運営の継続が難しくなっていること

といった要因が複合的に絡んでいるとみられます。

今後、民主党という組織は清盤を経て消滅することになりますが、党に所属していた元議員や活動家、市民社会の関係者たちが、どのような形で市民活動や政治に関わり続けるのかについては、現時点では明確ではありません。

一方で、民主党の解散は、香港社会の中で、政治参加の方法や市民の声の届け方を改めて考え直す契機になっているとも指摘されています。従来の政党政治の枠組みが大きく変わる中で、新しい形の社会運動やコミュニティ活動がどのように生まれてくるのかも、今後注目される点です。

30年の歴史が残したもの

香港民主党は、1994年の結成以来、およそ30年にわたり香港の政治の一翼を担ってきた政党です。
その歴史の中では、

  • 立法会や区議会での議席獲得
  • 選挙制度改革や普選実現をめぐる議論への参加
  • 市民の生活に関わる政策提言
  • デモや市民運動への支援

など、多くの局面で香港社会に影響を与えてきました。

党としては解散という形で幕を閉じることになりましたが、民主党が掲げてきた価値観や理念、そして30年の活動の中で育まれた市民の意識は、今後もさまざまな形で香港社会に残り続けると考えられます。

羅健熙主席や歴代の党関係者は、最後まで党を支えた市民や支持者に感謝の意を示すとともに、困難な環境の中でも「香港の未来をあきらめないでほしい」というメッセージを繰り返し伝えています。

参考元