鹿児島の老舗洋菓子メーカー「柿原製菓」が破産 地域愛された「マイケーキ」「レモンケーキ」も製造終了
鹿児島市に本社を置く洋菓子メーカー「柿原製菓」が、2025年7月23日付で鹿児島地方裁判所に自己破産を申請し、破産手続き開始決定を受けたことが分かりました。負債総額は約2億7000万円。同日をもって事業を停止し、従業員16人は全員解雇となりました。地元で親しまれてきた老舗メーカーの突然の幕引きに、地元経済や関係者に衝撃が広がっています。
創業から約70年、「マイケーキ」「レモンケーキ」などの名品で親しまれる
柿原製菓は1956年(昭和31年)の創業。カステラにクリームを挟んだ「マイケーキ」や、さわやかな酸味が特徴の「レモンケーキ」、郷土菓子「黒糖まるぼーろ」など、和洋折衷の菓子を製造してきました。なかでも「マイケーキ」は県内スーパーや食品卸売業者向けに販売され、長年にわたり鹿児島の家庭の定番スイーツとして愛されていました。2010年7月期には売上高約3億3000万円を記録。長きにわたって地域に根ざした存在でした。
従業員のみなさんがそれぞれの時代を懸命に作り上げてきた「マイケーキ」「レモンケーキ」は、手土産やお茶請け、デザートとして多くの方に親しまれてきました。地元スーパーの菓子売り場に必ず並んでいた風景は、鹿児島人にとってなじみ深いものでした。
経営悪化の転機と今に至る経緯
しかし、「マイケーキ」以降に大きなヒット商品が生まれず、新しい需要を取り込むことが難しい状況が続きました。売上は2010年のピーク時から大きく落ち込み、2025年7月期には1億7000万円、純損失1000万円となっていました。一部の工場閉鎖など経営のスリム化を図ったものの状況は好転せず、ついに今月、自己破産申請に踏み切らざるを得ませんでした。
破産申請は7月23日付で行われ、同日には事業停止・従業員全員の解雇が決まりました。破産管財人には本多淳太郎弁護士(照国総合事務所、鹿児島市)が就任しています。約2億7000万円の負債は、契約先企業や金融機関などとの今後の清算手続きで明らかになっていく見通しです。
従業員と地元関係者・愛好者に惜しむ声
今回の破産で、家族のように働いてきた従業員16人は全員解雇となり、それぞれの道を模索することになります。鹿児島市内をはじめ、県内各地のスーパーや卸売業者、小売店も、一つの商品・一つの企業が地域の食の風景を作ってきた歴史を振り返り、感慨深い思いを抱いています。
SNSや飲食業界の業界紙を通じては、「子供の頃から食べていた」「マイケーキは我が家のおやつの定番」「レモンケーキの酸味がたまらなかった」など、世代を超えて愛された名品への惜別の声が多数寄せられています。
今後に向けて
柿原製菓が今月いっぱいで生産・販売を終えたことで、「マイケーキ」「レモンケーキ」などは今後、商品名や製造ノウハウが他社に引き継がれることがない限り、市場から姿を消すことになります。この出来事は、地元企業の継承や地域産業の維持の難しさを改めて浮き彫りにしています。
鹿児島という地方都市で約70年、地道に菓子を作り続けてきた柿原製菓。今回の破産は、経営者のみならず、従業員、取引先、地元愛好者など、多くの人々にとって想いのこもった出来事です。地域経済の新陳代謝の一方で、そこにしかない味や記憶が失われていく現実にも目を向ける必要があるかもしれません。
まとめ
- 柿原製菓は鹿児島市の老舗洋菓子メーカー。1956年創業
- 「マイケーキ」「レモンケーキ」など、県内で親しまれる和洋菓子を製造
- 売上減少や赤字が続き、2025年7月23日に自己破産申請。負債約2億7000万円
- 同日付で事業停止、従業員16人は全員解雇
- 地元愛好者からは惜しむ声が続々と寄せられている
鹿児島の食文化を支えてきた一つの老舗の終焉。果たして同じ味、同じ風景がいつか戻ってくるのか――。地域に深く根ざした菓子メーカーの歩みは、ここに静かに幕を閉じました。柿原製菓のみなさんのこれまでのご尽力に、心から敬意を表します。