サウジアラビア発:MBCグループと「リヤド・シーズン」の波紋――芸術とアイデンティティを巡る論争
はじめに:今なぜ「MBC」と「リヤド・シーズン」が注目されているのか
2025年8月、サウジアラビアで大きな波紋を呼ぶ動きが明らかになりました。リヤドにて毎年開催される一大イベント「リヤド・シーズン(Riyadh Season)」が、今後は湾岸諸国(GCC)出身のアーティストのみを出演対象とするとの発表がなされたのです。それに続き、サウジアラビアの代表的メディアグループであるMBC(Middle East Broadcasting Center)に関連し、これまでエジプト主体だった「MBCエジプト(MBC Masr)」の名称が「MBCアフリカ」に変更されるというニュースが伝わりました。
この流れを受け、エジプト人アーティストやファンからは戸惑いや反発の声が相次ぎ、SNSや各種メディアでも激しい議論が巻き起こっています。本記事では、サウジアラビアでもっとも影響力のあるメディアグループ「MBC」の動向や「リヤド・シーズン」の方針変更、その影響と背景、そしてアラブ世界で議論されている「アイデンティティ」とは何なのか、分かりやすく解説します。
リヤド・シーズンの方針転換――なぜエジプト人アーティストが除外されたのか
- リヤド・シーズンとは: サウジアラビア政府主導の巨大な娯楽・文化イベント。「音楽」「演劇」「スポーツ」「グルメ」など多彩なジャンルの催しが一年を通じて行われ、世界中から観光客を呼び込んでいる。
- 方針転換の内容: 2025年以降、アーティストの参加資格が「サウジアラビアおよび湾岸協力会議(GCC)加盟国(UAE, カタール, クウェート, オマーン, バーレーン)」出身者に限定され、伝統的に中心的存在だったエジプト人アーティストは除外されることになった。
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背景:
- サウジアラビアの国策である「サウジ・ビジョン2030」に沿った自国文化・アイデンティティの強調という方針との見方。
- 長年エジプト芸能がアラブ世界で圧倒的な影響力を持ち続けてきた状況を変えたいとの意図。
- 反発: エジプト国内外のファンのみならず、多くのアラブ文化関係者が「分断を生む」「歴史的な文化交流を損なう」と強く反発し、#Egyptians_Out_of_Riyadh_Seasonなどのハッシュタグで議論が加熱した。
MBCの新方針と名称変更――「MBCアフリカ」になぜ変わるのか
- MBCとは: サウジアラビア発、アラブ世界最大級のメディアグループ。アラビア語圏向けの多チャンネル放送網を擁し、中でも「MBC Masr」はエジプト人視聴者向けの主要チャンネルだった。
- 名称変更の概要: これまで「MBCエジプト」としてエジプト文化・芸能に特化してきたが、今後は「MBCアフリカ」として、サブサハラを含むアフリカ諸国の多様なコンテンツも取り込んだ編成に移行すると発表。
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意図されるもの:
- サウジアラビアを中心とする新たな文化戦略の一環。
- アラブ世界の中でも「サウジ・リーダーシップ」を強調し、エジプトの存在感を相対的に薄める動き。
- 新興アフリカ市場への進出・競争力強化の狙い。
- 反応: エジプトの芸術家やクリエイターから「自分たちの存在をないがしろにされた」と強い不満が広がり、SNSを中心に激しい批判が続いている。
サウジアラビアの国家戦略と文化主導権――現代アラブの「アイデンティティ」論争
- サウジ・ビジョン2030とは: サウジアラビアが進める経済・社会改革プロジェクト。石油依存からの脱却、多角的な産業振興、そして「ソフトパワー」の強化(文化・メディア・観光振興)が柱。
- 文化的主導権の確立へ: 近年は映画館の解禁、大型音楽フェスの開催、国際的エンターテインメント企業の誘致等を加速。アラブ世界での影響力を「経済」だけでなく「文化」面でも主導的に確立したい意向が鮮明。
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「自己主張」と「包摂性」のせめぎ合い:
- サウジを筆頭に湾岸諸国が自国文化やアーティストを積極的に売り出す一方、従来のアラブ世界最大の文化大国・エジプトの〈包摂的〉価値観との対立。
- エジプト側からは「文化の壁を設けるのか」という懸念の声が上がっている。
「サウジ人俳優のみ」――著名人コメントと議論の広がり
- 人気俳優・モハメド・ヘニディ(محمد هنيدي)氏のリアクション:有名エジプト人俳優のモハメド・ヘニディ氏は、サウジのエンターテインメント政策決定者のターキー・アル=シェイク(تركي آل الشيخ)氏に対してSNSでコメント。「文化は国籍やパスポートを超えて人々を結ぶもの」という主旨の発言をし、多くの支持を集めた。
- ターキー・アル=シェイク氏の立場:サウジエンターテインメント庁のトップであり、改革を断行する中心的存在。「これからのリヤド・シーズンは“サウジ人、そして湾岸諸国アーティストのため”」と強調。
- 世論の分裂:サウジ、エジプト両国のファンやメディアがそれぞれの立場から議論を展開。中東全体で「アートとアイデンティティの意味」「国境と文化の関係」をめぐる大論争となっている。
「分断」か「再編」か――現地目線でみる各国の反応
- サウジアラビア国内:一部では「自国アーティストの育成強化は待望の政策」と歓迎の声も。ただし「長年の文化的伝統を尊重してほしい」という慎重な意見も存在する。
- エジプト国内:政府高官やメディアが公式に抗議表明。「アラブ文化の連帯が壊される」という危機感が強い。
- 他のアラブ諸国・アフリカ諸国:湾岸諸国出身のアーティストはチャンスと捉える一方で、サブサハラ地域では「MBCアフリカ」への関心も高まっている。
歴史的なエジプト文化の重み――なぜ今回の動きが大きな波紋になったのか
- アラブ世界の「心臓」だったエジプト文化:映画、音楽、演劇、テレビドラマ…20世紀以降、アラビア語作品のスタンダードはつねにカイロ発だった。アラブ人の多くが「自分のルーツ」をエジプトの大衆文化に見いだしてきた面が大きい。
- 変わりゆくパワーバランス:近年、サウジやUAEなど新興経済国が文化投資を本格化。MBCはその象徴的存在であり、「文化の中心」が地理的にも経済的にも転換する予兆という受け止め方が広がる。
- 文化の未来像をめぐる「正しさ」の対立:「アラブは一つ」という考えか、「多様なアイデンティティを主張」する多国籍なアプローチか――中東の将来像そのものをかけた論争が渦巻く。
まとめ:今後の展望と日本からみた注目点
今、中東、とりわけサウジアラビアの「ソフトパワー戦略」と、巨大メディアグループであるMBCの政策転換は、アラブ世界の文化シーンに劇的な変化をもたらしています。エジプト芸能界の影響力の後退、サウジを中心とする新たな文化的主導権の出現、「アートと国境」「アイデンティティ」といったテーマがあらためて問われているのです。
日本にとっても、多国籍化・グローバル化が進む現代において「アイデンティティ」「文化戦略」がどのような意味を持つのか、サウジ・MBC・リヤド・シーズンの事例は貴重な教訓となるでしょう。