終戦80年のいま、「ペリリュー」を見つめ直す――愛子さまのご発言と映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』がつなぐ「戦争を考える」時間
太平洋戦争の激戦地として知られる「ペリリュー島」と、その戦いを描いた作品『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』が、いま大きな注目を集めています。 その背景には、愛子さまと人気俳優・板垣李光人さんの言葉のやり取り、そして原作者・武田一義さんが作品に込めた「子どもたちへのメッセージ」が重なり合い、戦争を自分ごととして考えようという空気が広がっていることがあります。
ペリリュー島とはどんな場所か
ペリリュー島は、現在のパラオ共和国に属する小さな島で、太平洋戦争末期に日米両軍が激突した激戦地として知られています。 南国の美しい海と豊かな自然に囲まれた「楽園」のような景色とは裏腹に、当時は多くの兵士が飢えや渇き、病気、そして激しい戦闘に苦しみながら命を落としました。
特に1944年9月からの戦いでは、約1万人の日本兵に対し、4万人以上の米軍が上陸したと言われ、圧倒的な戦力差の中で持久戦が続きました。 終戦後もしばらくの間、終戦を知らない日本兵たちが島に潜伏し続けた史実は、多くの記録や証言として残されています。
愛子さまと板垣李光人さんの「神々の会話」
話題となったニュースのひとつが、愛子さまと俳優・板垣李光人さんとの会話です。ある場の中でお二人が交わした言葉が「まるで神々の会話のようだ」とネット上で大きな話題になりました。 報じられている内容によると、作品や芸術への洞察の深さ、他者への思いやりのこもった受け答えなどが印象的で、多くの人が感嘆の声を寄せています。
とりわけ、板垣さんが出演する作品や、表現を通じて何を伝えたいのかといった問いかけに対し、愛子さまが丁寧に耳を傾け、言葉を選びながら応じる姿が報じられました。 このやり取りは、若い世代同士が真剣に「表現」や「いのち」について語り合う場面として受け止められ、戦争を描く作品への関心とも重ねられています。
映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』とは
『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は、武田一義さんによる同名漫画を原作としたアニメーション映画です。太平洋戦争末期、ペリリュー島の戦いを背景に、漫画家志望の若い日本兵・田丸の視点から、戦場に生きる兵士たちの姿が描かれます。 原作は戦争を真正面から描きながらも、兵士それぞれの人間らしさや日常のささやかな笑いを織り交ぜた作品として高く評価され、日本漫画家協会賞の優秀賞も受賞しています。
映画版では、アニメーションならではの表現を活かし、美しい島の風景と、そこに広がる地獄のような戦場の対比がより強く描き出されています。 カラフルで一見柔らかいタッチの絵柄でありながら、爆撃の衝撃、飢えや渇きに苦しむ兵士たちの様子、仲間を失う痛みなどがリアルに伝わってくるとされています。
アニメだからこそ描けた「戦場のリアル」
実写映画では、どうしても俳優の顔立ちや撮影技術、予算などの制約があり、戦場の悲惨さをそのまま再現することが難しい面があります。これに対して『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は、アニメだからこそ、兵士たちの心の揺れや恐怖、葛藤を象徴的かつ丁寧に描き出しています。 たとえば、南国の光あふれる海と、暗く狭い壕の中の対比、鮮やかな色彩の中に紛れ込む血の赤や煙の黒などが、言葉以上に戦争の異常さを伝えてくれます。
また、アニメ表現は若い世代にとっても親しみやすく、「戦争映画はちょっと苦手」という人にも、まず作品の世界に入り込んでもらうきっかけになります。 キャラクターデザインは柔らかい印象でありながら、兵士たちの表情の変化や、些細な仕草の中に、恐怖や希望、諦めきれない願いが繊細に表現されています。
主人公・田丸が背負う「功績係」という役目
物語の中心にいる田丸は、漫画家になることを夢見ていた21歳の青年で、その絵の才能を買われて「功績係」という特別な任務を任されます。 功績係とは、戦死した仲間の最期の勇姿を、遺族に届けるために記録し、時には美談として描き出す役割です。
しかし、現実の戦場は「美談」と呼ぶにはあまりにも過酷で、仲間は理不尽な砲撃や事故のような一瞬の出来事で命を落としていきます。 田丸は、「見栄えのいい最期」を描くことが本当に正しいのか、自分の絵が真実から目をそらさせてしまうのではないかと悩み始めます。
1万人のうち生き残ったのはわずか34人
ペリリュー島の戦いは、その犠牲の多さからも「地獄の戦場」と呼ばれてきました。日本軍約1万人の兵士のうち、最終的に生き残ったのは34人ほどだったと伝えられています。 彼らの多くは飢えや病気、終わりの見えない戦闘の中で心身をすり減らし、戦後も深い傷を抱えながら生きることになりました。
映画は、この「34人」という数字だけでは見えてこない、一人ひとりの顔や物語を丁寧にすくい上げようとしています。 彼らにも家族があり、夢があり、帰りを待つ人がいたという当たり前の事実を、観客に静かに問いかけてくるのです。
原作者・武田一義さんが子どもたちに伝えたいこと
『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』の原作者である武田一義さんは、インタビューなどで、この作品を通じて「戦争を知らない世代の子どもたちに、戦争を遠いものではなく自分ごととして考えてほしい」と語っています。 武田さんは、戦場にいた兵士を特別な英雄として描くのではなく、「ごく普通の若者たち」の目線で物語を紡ぐことにこだわりました。
武田さんにとって重要なのは、「戦争は歴史の教科書の中だけの出来事ではなく、今を生きる自分たちとも地続きの問題である」という感覚を、読者・観客に持ってもらうことだとされています。 そのため作品の中では、兵士たちの日常の会話や小さな笑い、ささやかな夢も丁寧に描かれ、「もし自分が同じ時代に生まれていたら」と想像しやすい構成になっています。
若い世代と「ペリリュー」がつながる意味
終戦から80年が近づく中、日本社会では戦争体験を直接語れる世代が減ってきています。その一方で、アニメやマンガ、映画といったメディアを通じて、若い世代が過去の戦争を学び、考える機会が増えています。 『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』はまさにその代表的な存在で、「戦争ものは難しそう」と感じていた人にも、自然に関心を広げる入り口となっています。
愛子さまと板垣李光人さんのやり取りが話題になったことも、「若い世代が真剣に歴史や表現について語り合っている」という象徴的な出来事として受け止められています。 有名人の言葉がきっかけとなり、「ペリリューって何?」「どんな戦いだったの?」と興味を持つ人が増えることは、過去を忘れず、次の世代へと語り継いでいくうえで大きな意味を持ちます。
「ペリリュー」が教えてくれるもの
『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』が伝えようとしているのは、決して「勇敢な日本兵の武勇伝」だけではありません。過酷な戦場であっても、人を思いやる心や、ささやかな笑いを忘れまいとする姿が描かれ、「どんな状況でも人間らしさを捨てないこと」の大切さが浮かび上がります。 また、命令に従うしかなかった兵士たちの苦悩を通じて、「戦争という仕組みそのものがどれほど多くの理不尽を生み出すのか」を、観客に考えさせてくれます。
作品を観た人の中には、「戦争を扱っているのに、ただ暗いだけで終わらない」「登場人物たちが自分の友だちのように感じられた」といった感想を持つ人も多いと伝えられています。 それはきっと、ペリリュー島で戦った兵士たちを、誰かの父であり兄であり友人であった「身近な人」として描こうとする原作者と制作陣の思いが、アニメーションを通して観客に届いているからなのでしょう。
今、わたしたちができること
戦争の記憶は、放っておけば少しずつ風化していきます。ですが、映画やマンガ、そしてニュースで取り上げられる人々の言葉を通じて、その記憶を「今の自分たちの課題」として受け止め直すことができます。 ペリリュー島で亡くなった多くの命、そして生き残った人々が背負った苦しみを想像することは、「二度と同じ過ちを繰り返さない」という誓いを、より具体的なものにしてくれます。
愛子さまと板垣李光人さんの丁寧な対話、武田一義さんの真摯な創作、アニメーション映画という表現手段――これらが重なり合って、「ペリリュー」という一つの島の出来事が、現代に生きるわたしたち一人ひとりの心に届こうとしています。 作品を手に取ること、ニュースで知ったことを家族や友人と話し合うこと、それだけでも、遠い島で起きた出来事を忘れないための大切な一歩になるはずです。




