二階堂ふみ、渋谷・八分坂で魅せる圧巻の演技──『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』評と人間模様
ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』とは
三谷幸喜脚本・菅田将暉主演の新たな青春群像劇『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(略称:もしがく)は、2025年10月からフジテレビ系「水曜10時」枠で放送されています。1984年の架空の渋谷「八分坂」を舞台に、演劇と街と、そこで生きる若者たちの複雑な群像が丁寧かつ繊細に描かれます。この物語の中心には、演出家・久部三成(菅田将暉)、ダンサー・倖田リカ(二階堂ふみ)、放送作家・古川燎介(神木隆之介)、巫女・樹里(浜辺美波)らがいます。それぞれの夢や苦悩、そして過去が交錯し、瑞々しい青春の光と影が生まれていきます。
三谷幸喜が民放ゴールデンプライム帯の連続ドラマ脚本を担当するのは25年ぶり。タイトルは、シェイクスピア『お気に召すまま』の名セリフからの着想であり、作中にもシェイクスピア的な構造が随所に散りばめられています。
八分坂という舞台、そして「もしがく」の魅力
物語の舞台・八分坂は、渋谷駅から8分の位置にあるという設定の、ジャズ喫茶やストリップ劇場、ラブホテルが入り混じる、どこか退廃的かつ活気に満ちた繁華街です。久部三成は自身の劇団を追放され、路頭に迷った末にこの街へ辿り着き、八分坂で「東京で一番の劇場をつくる」と宣言。街の人々、癖の強い仲間たちとともに理想のシェイクスピア劇を目指していきます。
1980年代の東京には今とは異なる空気が流れており、どこか無骨かつオープンで、失われた何かを探しているような若者が目立ちました。その空気を三谷幸喜自身の青春の記憶(かつて渋谷劇場でアルバイトしていたこと)をもとに、リアリティと幻想のあわいとして描き出している点が、「もしがく」の最大の特徴のひとつです。
二階堂ふみが魅せる「リカ」という存在感
二階堂ふみが演じるのは、「倖田リカ」というダンサー役。彼女は劇中、三島由紀夫の小説を手にどこか影のある雰囲気を漂わせつつも、周囲を惹きつける強い個性を放っています。リカの舞台でのダンスシーンは特に圧巻で、ドラマ初回のラスト4分に披露された妖艶なダンスパフォーマンスは、視聴者の間で「しびれた」「圧巻」「こんな二階堂ふみは初めて」と絶賛されました。このダンスは、リカの心の揺れや現実と夢のはざまにいる痛々しさ、憂いを身体表現として体現したものと言えるでしょう。
「リカ」は、久部三成をはじめ様々な登場人物に影響を与えます。ときに優しく、ときに鋭く、舞台劇のフィクションと現実との境界線を曖昧にする存在なのです。
リカの元カレ登場──新たな三角関係の火花
第6話では、衝撃の展開が訪れます。久部三成とリカ、そして新たに登場したリカの元カレ(生田斗真演じる)が、物語に新たな波乱をもたらします。この元カレの登場により、久部とリカの関係や、劇団内外の人間関係が一気に緊迫。生田斗真演じる元カレは危険な香りとともにリカの前に現れ、久部との三角関係が勃発。互いのすれ違いや嫉妬、誤解が次々と浮き彫りになっていきます。
劇団クベシアターの仲間たちもまた動揺し、それぞれの感情が複雑に入り組んでいきます。視聴者もSNSを中心に「リカがどんどん深みを増していく」「元カレ参戦で人間模様混沌」と話題を呼びました。
「打ち上げ」シーン、緊迫したリカと樹里の対峙
第6話で特に印象的だったのは、ジャズ喫茶「テンペスト」で行われた打ち上げのシーンです。ここでリカ(二階堂ふみ)は巫女の樹里(浜辺美波)を詰問し、激しい火花を散らします。「攻撃力高すぎ」「怖すぎる」とネット上でも多くの反響が寄せられ、これまでのどこかミステリアスだったリカの感情がむき出しになったことで、「新しい二階堂ふみの顔が見れた」「人間の醜さも美しさも同時に表現している」と高く評価されました。
このシーンは舞台劇のような緊迫感、密室劇を思わせる緻密な心理戦が展開。脚本・三谷幸喜ならではの視線で「登場人物一人一人の感情と過去」が丁寧に掘り下げられています。
うる爺の悲劇と劇団クベシアターの分裂危機
物語の渦中、劇団内では大きな問題が起こります。久部の発言がきっかけとなり、古参の俳優うる爺(井上順)は「降板だ」と思い込み劇団を去る決断をしてしまいます。仲間からの信頼や、居場所への執着、老いとプライドという要素が複雑に絡み合い、その背中には痛々しい哀愁が漂います。しかしその直後、うる爺を悲劇が襲い、劇団には深い亀裂が生まれます。
このエピソードは、単なる演劇ドラマを超え、生きること、変化すること、老いと再生の物語でもあります。
なぜ今、二階堂ふみが絶賛されるのか
二階堂ふみの演技が今、視聴者や評論家から熱い注目を集めている理由は、彼女自身の表現力の進化と、役柄の持つ複雑さが見事に一致しているからです。身体性のあるダンス、鋭い眼差し、ふとした微笑や怒りの爆発など、セリフの一言一言に強い説得力が宿っており、それがこのドラマのリアリティを何倍にも高めています。一方で、リカが他者や自分に向ける厳しさ、寂しさ、時には底抜けの優しさまで、どんな感情も「安易な記号」に陥らず、すべて血の通った人間として描かれるのが二階堂ふみならではの力量です。
「もしがく」第6話、物語の行方と今後の期待
第6話で第一部が一つの区切りを迎え、「久部版 夏の夜の夢」として進んできた舞台も新しい局面に入りました。新たな人間関係の軋轢、うる爺の離脱と悲劇、リカの過去(元カレの登場)と新たな葛藤…。これらは舞台の幕間のように一見静かに描かれているようで、内面では激しい嵐が巻き起こっています。
劇中の台詞「人生は舞台、その裏にこそ本当の現実があるかもしれない」という一節が、ひときわ強い余韻を残します。
視聴者の間では「毎週展開が読めない」「ただの恋愛ドラマでは終わらない奥行きがある」「二階堂ふみに心を持っていかれる」といった声が日に日に増してきています。
緻密な人間ドラマと現代性の融合
『もしがく』は、時代背景こそ昭和の渋谷ですが、その中で描かれる悩みや葛藤、不安や希望は、現代にも通じるものばかりです。特に、「居場所を探す苦しみ」「夢と現実の折り合い」「誰かへの執着と嫉妬」といった要素は、多くの現代人の胸にも刺さるはずです。その中で、二階堂ふみが演じるリカは、ときに誰よりも人間らしく傷つき、誰よりも前に進もうとする力強さを失いません。
- 初回の妖艶ダンスは今なおSNS動画で拡散中
- リカと樹里の衝突シーン、ネットでは「伝説回」と呼ばれる
- 元カレ役・生田斗真の参戦で、人間関係はさらに複雑化
- 菅田将暉、市原隼人ら共演者も圧倒的芝居力を披露
物語全体が「舞台」と「楽屋」(現実と裏側)を往還するように構成され、「見せる世界」と「本当の世界」との葛藤がドラマの主軸です。そして、二階堂ふみの存在がそれを鮮やかに体現しています。
おわりに──今後の展開と「役者力合戦」への期待
『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』は、出会いや別れ、一瞬のきらめき、居場所を失う不安など、誰しもが感じたことのある感情を、演劇という枠組みを通して鮮烈に浮かび上がらせる稀有な作品です。今後の展開では、久部、リカ、樹里、そして仲間たちがどのように傷つき、どんな希望を見つけだすのか──その一挙手一投足から目が離せません。
二階堂ふみという女優がこの時代、この舞台でどんな進化を遂げていくのか。彼女の一挙手一投足が、私たち自身の「人生という舞台」も照らしてくれているようです。



