脚本家・山田太一さん没後2年――「繫ぐ会」設立と横浜での企画展から見えるもの

2023年に亡くなった脚本家・山田太一さんの没後2年を迎えるにあたり、作品と精神を未来へ受け継ごうとする新たな動きが始まっています。山田さんの子ども世代と、テレビドラマ制作に関わってきた制作者たちが中心となり、「繫ぐ会」という会を設立しました。また、横浜では、山田さんの業績を振り返る大規模な上映・展示企画が開催され、あらためてその魅力と意義に光が当てられています。

山田太一さんとはどんな人?――日本のドラマ史を形づくった脚本家

山田太一さんは、戦後日本のテレビドラマを語るうえで欠かせない脚本家のひとりです。1960年代以降、家庭や職場、地域社会といった身近な世界を舞台に、人間の弱さや迷い、ささやかな希望を丁寧に描き出し、多くの名作ドラマを生み出してきました。

派手な事件や大きな奇跡を起こすのではなく、ふだんの暮らしの中にある感情の揺れや、言葉にならない寂しさをすくいあげる作風は、多くの視聴者の共感を呼び、「生活者のドラマ」という新しい地平を切りひらいたと言われます。その作品群は、テレビドラマが単なる娯楽を超え、「社会や時代を映す鏡」となりうることを示してきました。

2023年に逝去した後も、再放送や配信を通じて作品に触れる人は増え続けており、その世界観の豊かさは、世代を超えて受け継がれつつあります。

家族と制作者が設立した「繫ぐ会」とは

山田さんの没後、子ども世代や、長年一緒に仕事をしてきた映像制作者、そして作品研究を行う研究者や学生などが集まり、山田作品の魅力を伝え、後世へ継承していくことを目的とした組織「繫ぐ会」が設立されました。

「繫ぐ会」は、次のような活動を柱にしています。

  • 山田太一さんの代表作・隠れた名作の上映会や語り合いの場の開催
  • 脚本や原作、関連資料の紹介を通じた作品理解の手助け
  • ドラマ制作者・俳優・研究者などによるトークイベントやシンポジウムの実施
  • 学生や若い制作者に向けた、ドラマ制作・脚本に関する学びの機会の提供

会のメンバーには、山田さんの家族に加え、放送局や制作会社のスタッフ、学校や大学でドラマを学ぶ若い世代など、さまざまな立場の人々が名を連ねています。こうした多様なメンバー構成は、「テレビドラマは、多くの人の手と心でつくられてきた」という現場の実感をそのまま反映しているとも言えるでしょう。

また、「繫ぐ会」は、作品を単に「懐かしい名作」として紹介するだけでなく、現在の社会が抱える問題や、これからの生き方を考える「きっかけ」として山田ドラマを捉え直そうとしています。たとえば、家族のあり方、働き方、老い、孤立、地域とのつながりなど、山田作品が描き続けてきたテーマは、今も決して色あせてはいません。

横浜で始まる「業績を振り返る展示会」

こうした継承の動きと連動するかたちで、横浜では12月12日から、「脚本家・山田太一さんの業績を振り返る上映展示会」が開催されます。会場となるのは、テレビやラジオの番組を保存・公開している横浜の放送ライブラリーで、会期は2025年12月12日から2026年2月11日までと、約2か月にわたる大規模な企画です。

この上映展示会は、山田さんの作品世界を多角的に体験できる内容となっており、次のような要素で構成されています。

  • 代表的なドラマ作品の映像上映
  • 台本やメモ、絵コンテなど、制作の過程がうかがえる資料展示
  • 出演者・演出家・スタッフなどによるコメント紹介
  • 放送当時のポスターやスチール写真などのビジュアル資料

これらを通じて、視聴者は一つひとつの作品がどのように生まれ、どのような思いを込めて作られてきたのかを、立体的に感じ取ることができます。単なる「名シーン集」にとどまらず、脚本家としての歩みや、テレビドラマというメディアの歴史そのものをたどることができる展示と言えるでしょう。

「行ってみたら」見えてくるもの――企画展が投げかける問い

展示の紹介では、「行ってみたら」という言葉が使われています。これは、実際に会場へ足を運び、映像や資料に向き合うことで、言葉だけでは伝えきれない空気や温度を感じてほしい、という願いの表れでもあります。

横浜での企画展は、山田さんが遺した作品を「過去の名作」として静かに陳列する場ではなく、「今の自分の問題」として受け止めなおす場でもあります。たとえば、次のような問いが、展示を通して自然と立ち上がってきます。

  • あの時代に描かれた家族や働き方の姿は、今の自分とどう重なるだろうか
  • 人と人が分かり合えないもどかしさは、今も変わらず続いているのではないか
  • それでも人が誰かと関わろうとする理由は何なのか

映像の中で交わされるささやかな会話や、行き違い、謝り合い、黙り込む背中。その一つひとつと向き合うことで、ドラマの中の人物たちが、いつのまにか「物語の登場人物」から「自分の隣にいる誰か」のように感じられてくるかもしれません。

なぜ今、山田太一さんのドラマを「繫ぐ」のか

「繫ぐ会」の設立も、横浜での上映展示会も、その根底には「このまま忘れられてしまってはもったいない」という切実な思いがあります。ドラマの世界は、新しい作品が次々と生まれ、視聴スタイルも大きく変わってきました。配信サービスやSNSが主流となり、視聴者の関心が細かく分かれる中で、過去のテレビドラマが語られる機会は少しずつ減っています。

しかし、山田さんが描いてきたテーマは、「いつの時代にも変わらない人間の感情」に深く根ざしたものです。家族や友人との距離感、仕事と自分らしさとのバランス、老いに向き合う不安、社会からこぼれ落ちてしまいそうな人々へのまなざし――。これらは、現代に生きる私たちにとっても、決して他人事ではありません。

だからこそ、作品をもう一度見直し、その魅力を言葉にし、次の世代へ手渡していくことが大切になります。「繫ぐ会」は、その役割を担うための場として生まれました。そして、横浜での企画展は、「繫ぐ」ための具体的な一歩として、多くの人に開かれた形で行われています。

これから作品に出会う人へ――展示と会の意義

まだ山田太一さんのドラマを観たことがない人にとって、今回の上映展示会や「繫ぐ会」の活動は、作品世界への入口となるでしょう。会場で流れる映像や、ガラスケースの中に並ぶ脚本、そこに添えられた短い解説文は、「まずは一作品から、気軽に触れてみてください」という静かな招待状のようなものです。

一方で、すでに作品に親しんできた世代にとっては、自分の人生のある時期と結びついたドラマを、改めて別の角度から見直す機会にもなります。若い頃に観た物語を、年齢を重ねてから見返してみると、かつては理解できなかった登場人物の心情が、ふと胸に落ちてくることがあります。そうした「再発見」の喜びも、この企画の大きな魅力の一つです。

「繫ぐ会」や企画展を通じて浮かび上がってくるのは、テレビドラマが持つ力です。日常の一コマを切り取り、そこに光を当てることで、ふだん見過ごしている感情や風景を、新たな意味を持ったものとして見せてくれる。その積み重ねが、いつのまにか「時代の記憶」となり、「誰かの生き方を支える物語」となっていきます。

受け継がれるのは「作品」だけではない

今回の動きで特徴的なのは、受け継がれているのが作品だけではない、という点です。脚本家としての姿勢、物語に向き合う態度、人を描くときの優しさや厳しさ――。そうした「仕事の哲学」まで含めて、次の世代へと渡していこうという意識が色濃く感じられます。

たとえば、若い脚本家やドラマ制作者にとって、山田作品の台本は、単なる「過去の脚本」ではなく、学びの教材でもあります。一つひとつのセリフの選び方、場面の切り替え方、沈黙の置き方。そうした細部の積み重ねが、人間の複雑な感情をどのように表現しているのか――その秘密を読み解いていくことは、これからドラマを作る人たちにとって、貴重なヒントとなるでしょう。

「繫ぐ会」が目指しているのは、そうした学びと対話の場を継続的に用意し、山田太一さんの仕事から生まれた「知恵」を、業界の中だけでなく、広く社会に開いていくことでもあります。

おわりに――「行ってみたら」から始まる継承

没後2年という節目の年に生まれた「繫ぐ会」と、横浜での上映展示会は、「名作を記念するイベント」という枠を超えて、これからのドラマ文化を考えるきっかけとなる取り組みです。

静かに会場へ足を運び、スクリーンに映るドラマを見てみる。展示された台本や資料の前で立ち止まり、そこに込められた時間と手間に思いを巡らせてみる。そのような「行ってみたら」の一歩一歩が、作品を生かし続ける力になります。

そしてその先で、ふと自分のこれまでの人生や、これからの生き方について考えてみたくなる――。そんなささやかな心の動きこそが、山田太一さんがドラマという形で私たちに手渡してくれた、何よりの遺産なのかもしれません。

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