認知症への誤解とやさしい社会へ ― 「物盗られ妄想」や徘徊、偏見なき言葉・行動の広がり
はじめに
認知症は年々増加し、今や日本の高齢者の5人に1人が発症すると言われています。高齢社会の進展とともに、私たちは認知症について深く理解し、本人・家族・支援者・社会全体で寄り添い、支えていく姿勢がより一層求められています。しかし、日常的に使われる言葉やイメージには偏見や誤解が混じりがちです。本記事では、特に話題になっている「物盗られ妄想」や「徘徊」「妄想」などの言葉が生む偏見、その見直し、そしてインクルーシブな社会を目指す取り組みまで、やさしく解説します。
認知症による「物盗られ妄想」とは何か
物盗られ妄想とは、「自分の大切なものがなくなった」ときに「誰かに盗まれた」と強く信じてしまう状態を指します。このような訴えは、アルツハイマー型認知症の方に特に多くみられる症状で、記憶障害により自分で物をしまったことを忘れ、自分以外の誰かが盗ったのではないかと考えるようになるのです。妄想とは、事実ではないことを本人が確信し、周りからどんなに説明されても訂正が困難な考えを指します。
このような「物盗られ妄想」には、日常的な忘れ物や不安、物の場所へのこだわり、そして「自分で管理できていない」という実感などが基盤としてあります。その背景には、認知機能低下による不安・混乱が大きく関わっています。たとえば、財布を自分でどこかに置いたのを忘れてしまい、見当たらない状態が続くと「家族の誰かが盗った」と疑ってしまうケースが典型的です。
なぜ「物盗られ妄想」が起きるのか
- 記憶障害:自分で物をしまったこと自体を忘れてしまう。
- 混乱や不安:ものが見つからないことによる焦りや不安。
- 周囲への疑念:「自分ではない誰かが……」という思い込み。
- 経験の積み重ね:同じような体験が繰り返されることで確信を強めてしまう。
妄想は理屈や説得では簡単に解消できず、否定したり論理的に説明したりすると、かえって本人の怒りや不信感を強めることさえあります。そのため対応には注意が必要です。
「物盗られ妄想」への対応と家族・介護者の悩み
認知症の症状が進行すると感情のコントロールが難しくなり、ご本人も家族や介護者もつらい思いをすることが多くなります。現場では、
「そんなことないでしょう」と否定するのはよくないと分かっていながら、どう接するのがベストなのか悩む声が多く聞かれます。
- 共感しながら、一緒に探す:「なくなった物を一緒に探しましょう」「どこに置いたか一緒に思い出してみましょう」など、気持ちに寄り添い寄り添いながら接することが大切です。
- 感情を受け止める:「困ったね」「心配だよね」と共感し、不安な気持ちを否定しないようにします。
- 介護者自身の負担軽減:家族や介護者の心身のストレスを減らすため、専門家の相談や支援を早めに受けることも重要です。
強い妄想が続く場合、自宅での対応に限界を感じるご家族も少なくありません。そうした時は、認知症疾患医療センターや精神科医など専門機関へ早めに相談することが推奨されています。
「物盗られ妄想」「徘徊」「妄想」――偏見と向き合い、言葉を見つめ直す
最近では「妄想」「徘徊」などの言葉そのものが、知らず知らずのうちに偏見や差別を生み出しているのではないかという声が高まっています。精神科医の大石智さんらは、「物盗られ妄想」も含めて、症状や行動の背景には本人なりの合理的な理由や強い不安があること、ラベル化した言い方は“病気の人”という無意識の差別や距離感につながりやすいと指摘しています。
例えば「徘徊(はいかい)」という言葉自体も、「目的もなくうろうろする」といったネガティブな印象を与えがちですが、本人には多くの場合、理由や目的、動機があります。「家に帰りたい」「昔の職場を探している」「不安を解消したい」といった気持ちが背景にあることも多いのです。
言葉の見直しへの提案
- 症状名ではなく、「状況」の共有:「物盗られ妄想」ではなく「物を探している状態」や「大事なものが見当たらず、不安になっている」と表現するなど、本人の気持ちに寄り添った言い換えが有効です。
- 行動の意味や目的をくみ取る:「徘徊=無目的」ではなく、「歩いている背景には理由がある」と理解することが大切です。
- 言葉がもたらす影響への配慮:「妄想」「徘徊」といった言葉が持つラベリングやレッテル貼りがないか、丁寧に使う姿勢が求められています。
インクルーシブデザインの発想 ― 迷わず履ける靴下の開発事例
認知症の方の生活をより豊かにするため、誰もが使いやすく困難を減らすインクルーシブデザインの試みも広がっています。その一例が「迷わず履ける靴下」の開発です。これは認知症を持つ方が外出を控える背景には、「靴下の表裏や左右が分かりづらく、間違えて履いてしまう」などの小さな困難が大きなストレスや失敗体験につながることがある、という現場の声がきっかけでした。
この靴下は裏表の区別がなく、どちらからでも履ける設計です。これにより、悩むことなくスムーズに外出の準備ができ、自信や自立を促します。高齢者や認知症に限らず、子どもや障害のある方にも優しい、だれもが安心して使える道具なのです。
- 困難の見える化:「できない」ことを責めず、日常の困りごとを細やかに拾い上げて反映する発想。
- 自立心のサポート:少しの工夫で「自分でできる」「外出できる」という自尊心を高める。
- 誰も取り残さないデザイン:年齢や障害の有無を問わず、みんなの使いやすさを追求。
この靴下の事例からも、認知症の方を特別視しすぎることなく、社会全体が「お互いさま」の共生社会を作る発想が大切であると感じさせられます。
認知症とともに暮らす社会へ ― 偏見なき言葉と包摂的な行動を
認知症になっても安心して暮らせる社会には、「寄り添う姿勢」と「偏見のない言葉・まなざし」が欠かせません。たとえば「妄想」や「徘徊」といった言葉をただのレッテルとしてではなく、その人の不安や困難、思いを理解するきっかけに変えていく必要があります。
そのためにも、本人だけでなく家族や支援者、地域社会が悩みを一人で抱え込まずオープンに語り合い、早めに専門機関に相談したり、困難や偏見を小さくしていく工夫を重ねていくことが重要です。また、インクルーシブデザインなど新たな視点も導入しながら、小さな工夫で大きな変化を生み出す「やさしさ」を広げていきましょう。
認知症は決して「特別な人の、特別な病気」ではありません。一人の困りごとやつまずきを、みんなで解決し、共に豊かに生きる社会を目指す。その第一歩として、日々の言葉や行動を見直してみることから始めてみませんか。