東京新聞元日コラム削除問題とは?やさしく読み解く経緯と背景

2026年の年明け早々、東京新聞の元日コラムが全文削除され、編集局名で謝罪文が掲載されるという、新聞社としては異例の出来事がありました。この記事では、この問題がどのように起き、なぜここまで大きな話題になったのかを、できるだけわかりやすく整理してお伝えします。

問題となったのは「元日朝刊」の特別報道部長コラム

今回、削除と謝罪の対象となったのは、2026年1月1日付の東京新聞朝刊に掲載された、特報部長による新年のコラムでした。この記事は、東京新聞の紙面だけでなく、Web版にも掲載され、多くの読者の目に触れましたが、その後、全文が削除されました。

東京新聞は1月8日付で、このコラムについてのおわび記事を掲載し、コラムそのものは紙面・Webともに読めない状態としました。お正月の節目に出されたコラムが、わずか一週間足らずで消えるという流れは、多くの人に驚きをもって受け止められています。

冒頭の一文「ネットに『中国なにするものぞ』という言葉があふれている」

今回、最も大きな問題になったのは、コラムの冒頭部分の表現でした。報道によると、このコラムは次のような趣旨の一文から始まっていました。

  • 「ネットには『中国なにするものぞ』という威勢のいい言葉があふれている」

この表現について、東京新聞は後に、「ネット上に特定の言葉が『あふれている』とした記述は事実と異なっていた」と説明しています。
つまり、コラムの書き手は「『中国なにするものぞ』という強い言葉がネット上で多数見られる」と描写しましたが、実際にはそうした言葉が広く使われているとは確認できなかったということになります。

この「事実と異なる」冒頭の一文が、今回の削除・謝罪の直接の理由とされています。

なぜ「ネットにあふれている」が問題になったのか

新聞のコラムは、一般的に記者や論説委員が自分の視点や問題意識を述べる「意見・主張」の場です。ただし、事実関係の記述が含まれる場合、その正確さは通常の記事と同じように求められます。

今回のケースでは、

  • 特定のフレーズ「中国なにするものぞ」が、あたかもネット世論の代表的なスローガンのように書かれていた
  • しかし、実際にはそのような言葉は広く使われておらず、「あふれている」と言える状況ではなかった

という事実と表現のギャップが問題視されました。

ネット上では、コラム掲載後から、

  • 「そんな言葉、見たことがない」
  • 「検索してもほとんど出てこないのに、なぜ『あふれている』と言えるのか」

といったツッコミや疑問の声が多数上がりました。
こうした指摘を受け、東京新聞は自社で検証を行い、冒頭の記述が不適切だったと判断したとされています。

東京新聞の対応:コラム全文削除と謝罪

批判や疑問の声が広がる中で、東京新聞の編集局は対応に踏み切りました。報道によると、2026年1月8日、東京新聞は自社サイトなどで次のような対応を行いました。

  • 元日に掲載した特報部長のコラムを全文削除した
  • 編集局名で、誤りを認めて謝罪する文書を公表した
  • 問題となった引用・表現について、「適したものではなかった」と説明した

とくに、コラムを部分的に修正するのではなく、記事全体を削除した点について、東京新聞は「冒頭の表現を削ると、コラムとして成立しなくなる」という趣旨の説明をしています。

つまり、あの誤った一文は単なる導入ではなく、コラム全体の論旨や構成の“土台”になっていたため、そこを抜くと文章が成り立たなくなる――という判断があったとされています。

なぜ「全文削除」という重い判断になったのか

新聞社が記事の誤りを認める場合、通常は訂正記事おわびを出しつつ、元記事には注記を付けるなどの対応が行われることが多いです。それに対し、今回は全文削除という、かなり踏み込んだ措置がとられました。

その背景として、報道や東京新聞の説明から読み取れるポイントは次のような点です。

  • 問題の一文が、コラム全体の趣旨を支える前提となる「事実」として書かれていた
  • その前提が崩れると、コラムで展開されている議論や批判の土台も揺らいでしまう
  • 単に一部訂正で済ませるより、記事そのものの成立性に疑問が生じると判断された

東京新聞は、おわび記事の中で、引用の仕方や表現が「適切ではなかった」と認めており、編集過程でのチェック体制や表現の妥当性について、社内的な反省があったことがうかがえます。

「X引用は誤り」――SNSの扱いも焦点に

今回のコラムでは、SNS(旧Twitter、現X)の投稿などを引用しながら、ネット上の空気感を描写しようとした部分があったとされています。
しかし、その引用や紹介の仕方についても、

  • 実際のネットの雰囲気を正しく反映していない
  • ごく一部の発言を、あたかも「ネット世論」全体のように誇張している

といった疑問が投げかけられました。

東京新聞は、この点についても、「X引用は誤りだった」と認める形で謝罪しています。
つまり、単に一つのフレーズの有無だけでなく、「ネットにはこういう意見があふれている」とする全体の描き方自体が不正確だったということになります。

読者やネット上の反応:「ツッコミ続出」の背景

このコラムは、新年早々からネットで大きな話題となりました。
特に、次のような点が、多くの人の違和感や批判を呼んだとされています。

  • 「中国なにするものぞ」というフレーズ自体、ほとんど見かけない言葉だった
  • それにもかかわらず、「ネットにあふれている」と断定的に書かれていた
  • 新聞社が、具体的な根拠が乏しいまま「ネット世論」を描いたように見えた

こうした点から、SNSでは、

  • 「東京新聞はどこのネットを見ているのか」
  • 「自分で作った言葉を、ネットの声のように見せていないか」

といったツッコミが相次いだと報じられています。

結果的に、コラム自体よりも、その不正確な描写と、新聞社としての判断の甘さが注目される形になりました。

東京新聞が示した反省点:「適したものではなかった」という言葉の重み

東京新聞は、おわびの中で、問題となった引用や表現について「適したものでなかった」と表現しています。
この一文には、

  • 事実確認の面での不備
  • 引用の妥当性の欠如
  • コラムとしての構成や説得力への影響

といった複数の反省点が、簡潔な言葉で込められていると考えられます。

新聞社にとって、コラムは「意見のページ」であると同時に、社としての見識や取材力が問われる場でもあります。そこに誤った前提が含まれてしまうと、その媒体全体への信頼にも影響しかねません。

今回、東京新聞が比較的早い段階で削除と謝罪を行ったことは、誤りを認めて正す姿勢として評価する声もある一方で、「なぜ掲載前に気づけなかったのか」「チェック体制はどうなっているのか」といった疑問も残しています。

「中国」をめぐる論調とメディアの責任

コラムの内容自体は、日中関係や安全保障、国際情勢などに関連する論点を扱っていたとされますが、その前提となる「ネットの空気」の描写に誤りがあったことで、肝心の議論の部分にまで不信感が及んでしまった形になりました。

特に、中国に対する世論をめぐる報道は、政治的・感情的に影響が大きいテーマでもあります。そうしたテーマで、

  • 実際には広がっていない極端な言葉を
  • 「ネットにあふれている」と表現してしまう

ことは、読者に誤った印象を与えかねません。

メディアには、世論の「温度」や「傾向」を読み解き、読者に伝える役割があります。しかし、今回のように根拠が乏しいままに「ネットの空気」を描いてしまうと、逆に世論をゆがめて伝えてしまう危険があります。

コラムという表現形式と「事実」の境界線

今回の問題は、「コラムはあくまで意見だから、多少の誇張は許されるのか」という問いも投げかけています。

一般に、コラムには次のような特徴があります。

  • 筆者の視点や主観を前面に出す
  • 比喩や象徴的な表現、キャッチーなフレーズを使うことも多い
  • 必ずしもニュース記事のような中立性は求められない

とはいえ、今回のケースで問題になったのは、

  • 「ネットに『中国なにするものぞ』という言葉があふれている」という部分が
  • 単なる比喩というより、事実の記述として読まれやすい表現だったこと

です。

この一文が、たとえば「ときおり『中国なにするものぞ』といった強い言葉を目にすることもある」といった書き方であれば、ここまで大きな問題にはならなかったかもしれません。しかし、「あふれている」という表現は、量的な印象を明確に与えます。

そのため、多くの人が「本当にそんなにたくさん見かけるのか?」と疑問を抱き、検証し、「あふれているとは言えない」という結論に至ったことで、誤りとして批判されることになりました。

今後に向けて求められるもの

今回の東京新聞の一連の対応は、新聞という伝統的なメディアと、ネット世論・SNSとの距離感を、あらためて考えさせる出来事になりました。

今後、メディア側に求められるのは、たとえば次のような点だと考えられます。

  • SNS上の空気を語る際にも、具体的な根拠や調査に基づいた記述を心がけること
  • 「ネットにあふれている」「多くの人が言っている」といった表現を使う際は、とくに慎重な検証を行うこと
  • 誤りがあった場合には、迅速かつ丁寧な説明と謝罪を行うこと

一方で、読者側も、「ネットで話題になっている」「SNSで批判が殺到している」といったフレーズに対して、すぐに鵜呑みにするのではなく、「どれくらいの規模なのか」「本当に『あふれている』と言えるほどなのか」と、少し立ち止まって見る視点が求められるのかもしれません。

おわりに:新聞の信頼性とコラムのあり方

今回の東京新聞の元日コラム全文削除と謝罪は、新聞メディアにとって、そして情報を受け取る私たちにとっても、「事実」と「印象」をどう扱うかという重要なテーマを浮かび上がらせました。

一つの言葉、「ネットに『中国なにするものぞ』という言葉があふれている」という表現が、コラム全体の信頼性を揺るがし、結果として全文削除にまで至ったことは、言葉を扱う仕事をするメディアにとって大きな教訓と言えるでしょう。

今後、東京新聞がどのようにコラムのあり方やチェック体制を見直していくのか、また、他のメディアがこの出来事から何を学ぶのかも、注目されるところです。

参考元