「失望しかない」――村木厚子さんらが法務省「刑事手続き研究会」に投げかけた重い疑問

法務省が、取り調べの可視化拡大や日本版「司法取引」の在り方などを検討するため、新たに「これからの刑事手続に関する研究会」を立ち上げました。刑事司法の大きな転換点になりうるこの研究会ですが、そのメンバー構成をめぐり、冤罪被害を経験した村木厚子さんや、映画監督の周防正行さんらが「失望しかない」と強い言葉で疑問を投げかけています。

この記事では、この研究会が何を議論しようとしているのか、なぜ村木さんらが批判しているのか、そして私たち市民にとって何が問題なのかを、できるだけわかりやすく整理してお伝えします。

法務省「これからの刑事手続に関する研究会」とは

法務省は、刑事手続をめぐるさまざまな制度――例えば、取り調べの録音・録画(可視化)や、いわゆる日本版「司法取引」、通信記録の取得など――の在り方を検討するため、「これからの刑事手続に関する研究会」を設置すると発表しました。

報道によると、この研究会は、今後の捜査や公判の在り方について、幅広く議論する場と位置付けられています。具体的には、次のようなテーマが想定されています。

  • 取り調べの録音・録画(可視化)をどこまで拡大するか
  • 日本版「司法取引」(協議・合意制度)の運用や見直し
  • 通信記録などの証拠収集方法の在り方
  • 被疑者・被告人の権利保障と、犯罪捜査のバランス

初会合が開かれ、今後継続的に検討が行われる予定ですが、そのスタート時点から、大きな批判の声が上がりました。それが、「非専門家ゼロ」というメンバー構成への疑問です。

「非専門家ゼロ」に広がる懸念

報道によれば、この研究会のメンバーは、学者や実務家など、いわゆる「専門家」のみで構成されています。ここでいう専門家とは、法学者、検察・裁判所・警察の経験者、弁護士など、法曹・官僚に近い立場の人を指します。

しかし、冤罪事件の当事者や、その家族、市民団体のメンバーなど、「制度の当事者」でありながら法律のプロではない人、いわゆる非専門家は、一人も参加していません。

これについて、村木厚子さんや周防正行さんらは、「非専門家がゼロであることに失望しかない」とするコメントを出し、強い問題意識を示しました。

彼らが指摘するのは、「法律の専門家だけで議論を進めると、捜査機関や司法に有利な発想に偏りやすく、市民や冤罪被害者の視点が欠けてしまうのではないか」という点です。刑事手続の制度は、最終的には市民一人ひとりの権利を守るためのものですから、その設計を「当事者不在」で進めることへの危機感がにじみます。

村木厚子さんとは――冤罪事件を経験した当事者の声

村木厚子さんは、厚生労働省の元事務次官で、いわゆる「郵便不正事件」で逮捕・起訴され、最終的に無罪が確定した冤罪被害者です。この事件では、検察官によるフロッピーディスクのデータ改ざんが問題となり、捜査の在り方そのものが厳しく問われました。

村木さんは、その経験から、取り調べの可視化拡大や、捜査の透明性向上を一貫して訴えてきました。取り調べ室で何が起きているのかを、客観的に検証できるようにすることが、冤罪の防止に不可欠だという切実な実感に基づく主張です。

法務省が今回の研究会設置を発表したことを受けて、村木さんら5人は12月17日、法務大臣らに対して、次のような内容を盛り込んだ要請文を提出しました。

  • 取り調べの録音・録画(可視化)を、すべての事件に拡大すること
  • 弁護人の取り調べ立ち会い権を保障すること
  • 日本版「司法取引」など、被疑者・被告人に大きな影響を与える制度の見直し

しかし、その直後に公表された研究会のメンバーには、村木さんのような冤罪被害者や、市民側の当事者は含まれていませんでした。ここに、今回の「失望しかない」という厳しい言葉の背景があります。

取り調べ可視化の「全面拡大」を求める声

村木さんらが特に重視しているのが、取り調べの可視化の全面拡大です。現在も、一部の重大事件などでは取り調べの録音・録画が義務化されていますが、すべての事件が対象ではありません。

可視化が限定的なままだと、取り調べの現場でのやりとりが、捜査官のメモや証言に大きく依存することになります。その結果、被疑者の供述がどのように引き出されたのか、誘導や威圧がなかったのかなどを、後から客観的に検証することが難しくなってしまいます。

冤罪事件では、「自白の信用性」がしばしば大きな争点になります。録音・録画があれば、裁判所も実際の映像や音声をもとに判断できますが、記録がなければ、供述の信用性判断はどうしても不十分になりがちです。

そのため、村木さんらは、冤罪防止の観点から、事件の大小を問わず、すべての取り調べを録音・録画の対象とするべきだと訴えています。

弁護人の「立ち会い権」をめぐる議論

もう一つ、大きな論点になっているのが、弁護人の取り調べ立ち会いです。現在の日本の刑事手続では、弁護人が取り調べに立ち会うことは基本的に認められておらず、被疑者は、弁護人のいない密室で捜査官から取り調べを受けるのが一般的です。

この状況について、人権の観点から強い懸念が示されてきました。取り調べの長時間化や心理的圧力、供述の誘導などが起きたとしても、それをチェックする第三者がいないからです。

村木さんらの要請文は、この点を踏まえ、弁護人の立ち会い権を法的に保障するよう求めています。もし弁護人が取り調べに同席できれば、被疑者の権利を守る立場から、その場で不適切な質問や圧力に異議を唱えることができ、後の裁判でも重要な記録となります。

一方で、捜査機関の側には、「弁護人の立ち会いは捜査の機動性を損なうのではないか」といった懸念もあり、この点は今後の研究会でも大きな議論の対象になるとみられています。

日本版「司法取引」の課題――虚偽供述のリスク

法務省の研究会では、いわゆる日本版「司法取引」(協議・合意制度)についても議論される見通しです。この制度は、自分の刑を軽くしてもらう代わりに、他人の犯罪についての情報提供や証言を行う仕組みです。

この制度は、組織犯罪などの全体像解明に役立つ一方で、「刑を軽くしてほしい」という動機から、虚偽の供述が行われるおそれが指摘されています。とくに、証言の内容が他者の有罪・無罪を大きく左右する場合、制度設計を誤ると、冤罪を生み出す危険性が高まります。

村木さんらは、こうした司法取引制度のリスクを直視し、透明性の高い運用と実効的なチェック体制が必要だと訴えています。しかし、ここでも、「誰がその制度を点検するのか」「冤罪被害者や市民の声が、どのように制度の見直しに反映されるのか」が問われています。

なぜ「市民の参加」が重要なのか

今回の問題の核心は、「専門家だけで刑事手続の将来を決めてよいのか」という点にあります。刑事手続のルールは、犯罪捜査の効率化だけでなく、一人ひとりの人権や自由と直結しています。

冤罪事件の被害者や、その支援に関わってきた市民、取材を通じて司法の現場を見てきたジャーナリストなどは、法律の条文だけでは見えてこない「現場のリアル」を知っています。そのような当事者が議論に参加することで、制度の危うさや、見落とされがちな問題点が、より具体的に浮かび上がります。

ところが、今回の研究会には、そのような非専門家のメンバーが一人もいないと報じられています。この構成では、「市民のための制度」という本来の目的よりも、「制度を運用する側」に寄った議論になってしまうのではないか、という強い懸念が表明されています。

村木さんらが「失望しかない」とまで述べたのは、単にメンバーの肩書きに不満があるからではなく、「過去の冤罪の教訓が、本当に今回の議論に生かされるのか」という、より深い問いかけに基づくものだといえるでしょう。

法務省研究会に求められる「開かれた議論」

法務省の研究会は、今後、取り調べ可視化の範囲、司法取引の運用、弁護人の関与の在り方など、刑事司法の根幹に関わるテーマを扱っていくとみられます。その議論のプロセスがどれだけ透明で、どれだけ多様な意見に開かれているかは、私たちの社会の「司法への信頼」を左右する重要なポイントです。

たとえメンバーが専門家中心だとしても、パブリックコメントや公開ヒアリング、冤罪被害者・支援団体からの意見聴取など、市民の声を丁寧に取り入れる工夫は可能です。逆に、クローズドな場で結論が決まってしまえば、「また当事者不在でルールが決められた」との不信感が広がりかねません。

村木厚子さんや周防正行さんらの発信は、そのような事態を防ぐための、いわば警鐘でもあります。取り調べの可視化、弁護人の立ち会い、司法取引――どれも少し聞き慣れない言葉かもしれませんが、その一つひとつが、もし自分や家族が疑いをかけられたときに、「何が守られ、何が守られないか」を決めるルールです。

だからこそ、この問題は、法律家だけでなく、私たち市民一人ひとりが関心を持つべきテーマだと言えます。今後の研究会の議論の進め方と、その中で村木厚子さんらの指摘がどのように受け止められるのか、注視が必要です。

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