渋沢栄一の精神が蘇る―青森から埼玉・深谷市へ帰還した銅像とその背景
2025年11月11日、明治から昭和にかけて日本の近代化に尽力し、約500もの企業や社会事業を興した渋沢栄一の銅像が、青森県三沢市の温泉地から埼玉県深谷市に移設され、そのお披露目式が盛大に執り行われました。この銅像の”故郷への帰還”は、地元住民や関係者にとって長年の悲願であり、地域に新たな誇りと歴史の息吹をもたらしました。
移設された渋沢栄一像とは?
今回深谷市役所本庁舎西側市民広場に設置された銅像は、「東洋のロダン」とも謳われた彫刻家・朝倉文夫(1883~1964年)による高さ約7.4メートルもの堂々たる作品です。この像は、1933年(昭和8年)の渋沢栄一三回忌に合わせて制作されたもので、東京都中央区・常盤橋公園に立つ銅像と同型です。青森県三沢市にあったこの像は、古牧温泉の開発者であり渋沢家とゆかりの深い杉本行雄氏の尽力で建立されました。杉本氏はかつて渋沢家の書生を務め、また現成城大学長の杉本義行氏の父親としても知られています。
「壊すのは忍びない」―銅像保存への想いと寄贈の経緯
深谷市への移設は、古牧温泉を運営する株式会社三沢奥入瀬観光開発からの寄付という形で実現しました。温泉地の開発や都市の再開発計画によって一時は「解体もやむなし」とささやかれましたが、「壊すのは忍びない」という関係者たちの強い思いに支えられました。その中心人物であった杉本義行氏(成城大学長)は、「本来あるべき場所に戻ってきたと思う。銅像が渋沢一族の精神を語り継ぐ存在となってほしい」と式典で語りました。
約1トンの圧倒的な存在感―多様な人の思いを乗せて帰還
重さ約1トン、高さ7.4メートルの銅像は、多くの人々の協力によって青森から埼玉まで運ばれました。移設・設置に要した費用は約3400万円。これには深谷ライオンズクラブ、清和綜合建物(東京都)、企業版ふるさと納税による寄付、まちづくり振興基金など、地域と企業の力が結集しています。
深谷市でのお披露目式と地域の盛り上がり
銅像のお披露目式は、栄一翁の祥月命日である11月11日に深谷市役所本庁舎西側市民広場で行われ、「おかえりなさい」という地元市長の言葉とともに多くの市民が参列しました。式典では、市立八基小学校の生徒たちによる校歌などの披露もあり、地域が一体となって渋沢栄一の帰還を祝いました。さらに深谷駅前の青淵広場でも献花式が開かれ、誰でも自由に参加できる形をとりました。
孫・渋沢敬三の銅像も移設
今回のプロジェクトでは、栄一の孫である渋沢敬三(1896~1963年)の銅像も、青森県から同時に移設されました。彫刻は朝倉文夫に学んだ西常雄氏によるもので、高さ約4.9メートル。旧渋沢邸「中の家」正門南側に建立され、こちらのお披露目式も多くの来賓や地元住民に祝福されて行われました。
銅像と深谷市の歴史的なつながり
渋沢栄一と青森の関わりは、明治時代に十和田地方(三本木渋沢農場)の開発に携わったことに遡ります。その後、農場経営の後継や農地改革の影響による事業清算など、地域には渋沢家の歴史と深い縁が刻まれています。移設に関連して、深谷市役所内では銅像の移設経緯や、渋沢家にまつわる人物、青森との関係を紹介するパネル展示も行われ、市民の学びの場となっています。
デジタルで蘇る“AI渋沢”―深谷市と学校教育で活用へ
加えて、深谷市はAI技術を活用した「AI渋沢」プロジェクトも発表しました。これは、渋沢栄一の理念や人柄、語録をデジタルで再現し、学校教育の現場などで活用していく計画です。AI渋沢の誕生により、児童や生徒が栄一翁の教えに日常的に触れる機会が広がり、地域の歴史・文化に根ざした人材育成への期待が膨らんでいます。
AI渋沢の構想と地域教育の狙い
深谷市は独自に蓄積した渋沢栄一関連の資料や発言録、行動記録などをベースにAIモデルをトレーニング。生成された「AI渋沢」からは、児童が自由に質問し、栄一翁の考えやエピソードをその場で学べる仕組みが目指されています。地元企業や大学とも連携し、社会教育やキャリア教育、道徳教育といった分野での活用も視野に入れています。
なぜ今、“AI渋沢”なのか?
渋沢栄一は、明治期から昭和の日本で資本主義と社会貢献という「道徳と経済の合一」を提唱し続けました。その志や哲学は、多様化・複雑化する現代社会だからこそ、次世代へ語り継ぐ重要なヒントとなります。デジタルを活用した“AI渋沢”なら、いつでも・どこでも・誰もが身近に偉人の思想と対話できるという実用的な側面もちます。地域の誇りを再発見し、子どもたちに夢や希望、チャレンジ精神を与える新たな教育資産として注目されています。
市民とともに未来へ―渋沢栄一顕彰のこれから
深谷市は今後も「渋沢栄一」の生誕地として、顕彰活動や地域資源の発信、教育との連携を続けていくとしています。今回の銅像移設とAI渋沢の誕生は、その象徴的な第一歩です。市民一人ひとりが先人の心を継ぎ、未来への一歩を踏み出す―そのきっかけとなることが期待されています。
まとめ:「ふるさと」に帰った銅像と、変わりゆく時代の渋沢栄一
- 90年以上前に制作され、青森の温泉地に安置されていた渋沢栄一と敬三の巨大銅像が、生誕地の深谷市に移設された。
- 移設には多くの関係者や地域の声援、企業・市民の協力が結集した。
- 「壊すのは忍びない」という思いが大きな推進力となり、歴史と精神が新たに受け継がれる場が生まれた。
- さらに、AI技術を活用した「AI渋沢」プロジェクトも始動。子どもたちの学びや地域活性化に寄与する新たなチャレンジが本格化しようとしている。
- 地域に根ざした偉人顕彰と現代的な教育・デジタル技術活用の融合が、これからの深谷市と日本社会にどのような価値を生み出すのか、ますます注目が集まっている。
渋沢栄一に学ぶこれから
激動の時代をたくましく生き抜いた渋沢栄一。その知恵や行動力、そして地域への愛は、今を生きる私たちにも大きなヒントを与えてくれます。銅像やAIといった新しい時代のシンボルを通じて、その精神はこれからも人々の心の中で生き続けることでしょう。



