假屋崎省吾と広島平和記念の夜──「追悼と平和の祈り」に歩み寄る社会のいま
はじめに
2025年8月6日、広島市で開催された平和記念式典。この日、偉大な華道家・假屋崎省吾氏も深い祈りを胸に、戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて社会に問いかけました。この日付は、広島に原子爆弾が投下された運命の日として、日本中が哀悼と希望の心を重ねる特別な一日です。
さらに、今年は歴史的な新たな取り組みとして、平和公園周辺の車道の一部が歩行者に初めて開放されました。多くの人々が歩み寄り、祈りを捧げる中で「ウォーカブルシティ」としての未来型都市の姿も浮かび上がりました。この記事では、假屋崎省吾氏の想い、被爆体験者の証言、この日の新たな動き、そして原水爆禁止世界大会でのメッセージまで、8月6日に見つめられた平和の本質にやさしく迫ります。
假屋崎省吾――“いのち”を見つめる美の表現者
假屋崎省吾氏は現代日本を代表する華道家であり、いけばなを通じて「いのちの尊さ」「和の美」の世界観を国内外に発信してきました。平和の日にあたり、彼は次のような想いを語りました。「核兵器で美しい街や子どもたちが一瞬で失われる。花を活けることは、いのちを慈しむ行為。それに平和の願いを重ね続けたい」。
氏の作品展示や平和を祈る催しは、広島に限らず多くの被爆地や平和記念行事で見られるようになっています。自身も花の力で悲しみを癒し、人と人とをつなぐ「生きた記憶」を新たな世代へ伝えています。
8歳で死を覚悟した少女の声――被爆体験に学ぶ
今年も、原爆の傷跡を直接知る被爆者が語り部として登壇しました。ある女性は、当時わずか8歳。「被爆で髪がすべて抜け落ち、死を覚悟しました。周囲では多くの子どもや親しい人たちが亡くなりました。」と、声を震わせて証言しました。その苦しみと恐怖、失われた日常への痛みは、戦後80年近い今でも薄れることはありません。
被爆者の話は、核兵器の脅威を「想像」から「現実」として突きつけます。そして、新たな戦争や核使用の危険性が叫ばれる現代で、遺された証言を聞くことは、私たちが「二度と繰り返さない」と誓うための貴重な継承の機会になっています。
8月6日夜、「追悼と平和の祈りを広げよう」――車道一部を初解放
広島市中区の平和公園周辺では、「追悼と平和の祈りを広げよう」との合言葉のもと8月6日の夜、歴史的な試みが実現しました。市中心部の車道約300メートル区間(主に相生橋および西平和大橋付近)が初めて歩行者に解放され、一般車両の通行が禁止されました。安全確保のため、片側3車線のうち歩道側から1.5車線分が歩行者用空間となりました。バスや路面電車などは徐行で運行され、歩行者の安全を最優先する運用となったのです
。
- 本川左岸および元安川付近では午前5時~午後10時ごろまで大規模交通規制を実施
- 午後7時半~9時半ごろ、とうろう流し(灯籠流し)に合わせ歩行者空間に
- 全面的な車両通行止めとし、市民・参列者がゆっくりと歩ける環境を提供
この取り組みは今後の「ウォーカブルなまちづくり」への第一歩と位置づけられ、参加者からは「追悼の気持ちを持ち寄り、静かに祈りながら歩けた」「子どもとも一緒に平和を考える時間になった」などの声が寄せられました
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住民との対話、新しい都市空間――“ウォーカブル”な未来像
今回の歩行者解放により、車道が人をつなぐ憩いの場へと変わりました。今後、恒常的な歩行者優先の通りへの転換を目指す声が高まっています。「自動車中心から人中心のまちへ」の流れが、今後の都市計画やイベントにも波及することが期待されています。
また、交通規制に関しては広島県警および広島市が事前に詳細な通達を出し、公共交通機関の利用や現場警察官の指示の順守が呼び掛けられました。全ては安全な祈りの場を維持するための配慮です。
原水爆禁止世界大会──田村委員長のあいさつ
同日開催された原水爆禁止世界大会では、田村委員長が力強いあいさつを述べました。「被爆の記憶を次世代へ、そして世界へと広げることこそ最大の願いである。」委員長は核兵器廃絶と恒久平和の実現を訴えるとともに、核なき世界に向けての具体的な市民の役割を強調しました。
大会に参加した被爆者や市民団体は、世界中の核兵器廃絶運動と連携しながら、新たな核軍拡や紛争の不安に立ち向かっていく重要性を訴えました。
子どもたちに託す平和への希望
平和公園では今年も多くの子どもたちが親とともに参加し、とうろう流しや祈りの行事を静かに見守りました。そこには、「平和」という言葉だけではなく、実際に命が奪われ、日常が破壊された現場の記憶が、「学び」として根付いていくプロセスがありました。
被爆者や假屋崎省吾氏など、さまざまな立場から発信される平和へのメッセージ。それを受け止めた子どもたちが、時代を超えて祈り・考え・伝えていける環境こそが重要です。
さいごに──平和をつなぐ、それぞれの役割
2025年8月6日の広島。その夜、灯りと人と祈りがひとつになりました。假屋崎省吾氏のような文化人の平和への取り組み、8歳で死を覚悟せざるを得なかった被爆者の叫び、車道を歩む無数の人々。そして世界大会から発せられた核廃絶の願い──それぞれの思いが重なって、「平和都市・広島」は今、新たな歴史を紡いでいます。
迷いや争いの絶えない時代だからこそ、8月6日は一人ひとりが立ち止まり、「命を想う」きっかけの日。来年、その先も必ず、それぞれの場所から平和の祈りが広がることを信じましょう。