米国務省で「フォント戦争」再燃 Times New Roman復活の裏にあるDEI論争とは

米国務省で、公文書に使う標準フォントをめぐる議論が再び大きな注目を集めています。バイデン政権下で導入された「Calibri(カリブリ)」から、より伝統的な「Times New Roman(タイムズ・ニュー・ローマン)」へと戻す方針が打ち出され、「フォントの変更」が、単なるデザインの話を超えて、政治的・社会的な価値観をめぐる論争、いわゆるDEI(多様性・公平性・包摂性)をめぐる対立の象徴とみなされているのです。

なぜフォントがニュースになるのか:背景にある「Calibri」導入の経緯

まず、今回の「巻き戻し」の前提として、バイデン政権下でのフォント変更の経緯を整理しておきましょう。米国務省は長年、公文書の標準フォントとしてTimes New Romanを使用してきました。Times New Romanは、文字の端に小さな飾りがついたセリフ体で、日本語フォントでいえば明朝体に近い雰囲気を持つ、非常に伝統的な書体です。

しかし2023年前後から、国務省は公式文書の標準フォントをTimes New RomanからCalibriへ変更する方針を打ち出しました。Calibriは、線の端に飾りを持たないサンセリフ体で、日本語でいえばゴシック体にあたる、シンプルでフラットなデザインのフォントです。もともと、Microsoft Office 2007でWordの標準フォントとしてTimes New Romanに代わり採用されたことでも知られています。

この変更の大きな理由として挙げられたのが、アクセシビリティ(利用しやすさ)の向上です。国務長官のメモでは、Times New RomanはOCR(光学式文字認識)やスクリーンリーダーなどを利用する障害のある人たちにとって読みづらさの原因になりうるとされ、より画面表示に最適化されたCalibriへの移行が説明されました。これは、単に見た目の好みではなく、障害者を含む多様な利用者への配慮というメッセージを伴った政策として位置付けられていたのです。

Calibiriは本当に「読みやすいフォント」なのか

では、Calibriは「万能の読みやすいフォント」なのでしょうか。実際には、専門家からはいくつかの懸念も指摘されています。例えば、アクセシビリティのコンサルタントは、Calibriについて次のような問題点を挙げています。

  • 大文字のI(アイ)と小文字のl(エル)の区別がつきにくい
  • 小文字のiのドットの間隔が狭く、視認性が十分でない
  • コンマやピリオドが小さく、高齢者や弱視の人には見えづらい
  • 小文字のaやgの形が、多くの人が学ぶ筆記体の形と異なり、直感的でない

こうした指摘から、Calibriは画面表示に適した設計である一方で、すべての利用者にとって理想的とは言い切れないという評価も存在します。フォントサイズを大きくすれば読みやすくなりますが、その場合は紙の使用量増加や画面に表示できる文字数の減少といった別のトレードオフが生じることも議論されています。

つまり、バイデン政権によるCalibri導入は、DEIやアクセシビリティを重視する時代の流れに沿った施策としながらも、技術的・実務的な側面では賛否両論があったといえます。そのため、今回の「Times New Romanへの回帰」は、単に「古いフォントへの懐古」ではなく、すでに一度議論があったアクセシビリティ政策の見直しという性格も帯びているのです。

Rubio氏による「Times New Roman復活」指示と、その狙い

こうしたなかで報じられたのが、Rubio氏が外交官に対し、Times New Romanへの回帰を指示したというニュースです。報道によれば、バイデン政権で採用されたCalibriは、「無駄が多い」「不要な変更」といった批判とともに見直しの対象とされ、国務省の公式文書をふたたびTimes New Romanに戻すよう命じたとされています。

ここで重要なのは、Rubio氏の判断が、単なるデザイン上の好みだけで語られてはいない点です。ニュースの見出しには、「At State Dept., a Typeface Falls Victim in the War Against Woke」という表現が使われています。直訳すれば、「国務省で、書体が『反ウォーク戦争』の犠牲に」といった意味になります。ここでいう“Woke”とは、近年のアメリカ政治で盛んに使われる言葉で、人種・ジェンダー・LGBTQ+・障害者などへの配慮を重視するリベラルな立場や社会運動を揶揄する際にも用いられる言葉です。

この見出しは、Calibriの採用がDEIや「ウォーク」的な価値観の象徴とみなされ、その流れに対する巻き戻し・反発としてTimes New Romanが復活した、という政治的構図を示唆しています。つまり、フォントの選択という一見小さな変更が、「反ウォーク」「反DEI」を掲げる政治潮流の一部として扱われているのです。

DEIとフォント選び:なぜ多様性の議論と結びつくのか

ここで、今回のニュースのキーワードとなっているDEI(Diversity, Equity, Inclusion:多様性・公平性・包摂性)との関係を整理しておきましょう。バイデン政権下でのCalibri導入は、アクセシビリティの観点から、障害者や視覚的配慮を必要とする人々にも読みやすい文書環境を整えるという目的が強調されていました。これは、まさにDEI政策の一環としての位置づけといえます。

一方で、Rubio氏のように、近年のDEIや「ウォーク」的な取り組みを、過度で非効率なもの、あるいは政治的に偏ったものとみなす政治家や有権者も少なくありません。そうした立場からすると、フォント変更のための事務手続きや文書テンプレートの更新、関係者への周知といった一連の作業は「無駄なコスト」に見える場合があります。

結果として、Times New RomanからCalibriへ、そしてまたTimes New Romanへという往復は、単なる実務上の変更を超え、次のような構図で語られることになります。

  • Calibri採用:DEI・アクセシビリティを重視する「進歩的」な政策の象徴
  • Times New Roman復活:そうした「ウォーク」的な変化への反発・見直しの象徴

フォント自体には政治的な色はありませんが、その「理由づけ」や「タイミング」によって、政治的なメッセージを帯びてしまうという点が、今回のニュースのポイントだといえるでしょう。

Times New RomanとCalibri、それぞれの特徴と象徴性

ここで、2つのフォントの特徴を、少し丁寧に比較しておきます。

  • Times New Roman:セリフ体で、印刷媒体での読みやすさに優れるとされる。新聞や書籍などで長く使われてきた「伝統」の象徴でもあり、公文書や論文など「フォーマルな文書」の定番フォントとして根強い人気がある。
  • Calibri:サンセリフ体で、画面表示に最適化された現代的なデザイン。Microsoft Office 2007以降、Wordなどで標準フォントとなり、デジタル時代の新しい標準として広く普及している。

タイポグラフィの専門家やビジネス実務の現場では、Times New Romanには「伝統」以外の明確な優位性は少ないとする見方もあり、読みやすさや印象のバランスからArialなど別のフォントを推す声もあると紹介されています。一方で、Calibiriも、アクセシビリティの観点からは必ずしも完璧ではなく、用途や利用者によって評価が分かれています。

このように、純粋に「読みやすさ」や「見た目」だけで評価すれば、どちらのフォントにも長所と短所があります。しかし、Times New Roman=伝統と権威、Calibri=新しい標準・デジタル・アクセシビリティというイメージが政治的文脈と結びつくことで、今回のニュースのようにイデオロギー対立の象徴として扱われるようになりました。

「税金の無駄」か「必要な配慮」か:DEI施策への視線

Rubio氏がCalibriを「wasteful(無駄)」と批判したと報じられている点は、DEI全般をめぐるアメリカ社会の分断とも重なります。フォントの変更それ自体は小さな出来事に見えますが、次のような二つの見方が対立しています。

  • 無駄とみる立場
    ・フォント変更に伴うコスト(テンプレートの更新、研修、再印刷など)が税金の負担になる
    ・外交や安全保障と比べれば、フォントは本質的でない「周辺的な問題」にすぎない
    ・DEIやアクセシビリティが理由に使われることで、かえって「形だけの配慮」に見えてしまう
  • 必要な配慮とみる立場
    ・公文書はすべての市民が等しくアクセスできるべきであり、障害者を含む多様な人々への配慮は「本質的」な要件
    ・フォントやフォーマットの標準化は、長期的には誤読やトラブルの防止につながり、結果的に効率性も高める可能性がある
    ・「見た目」の問題に見えるが、実際には情報へのアクセス権・公平性という民主主義の基盤に関わる

今回のニュースは、単に「どのフォントが好きか」という好みの話ではなく、行政がどこまでDEIやアクセシビリティに配慮すべきかという、より大きなテーマの一部として捉えられています。フォント選びがここまで政治化される背景には、社会全体の分断と価値観の対立があるといえるでしょう。

日本への示唆:フォントと「読みやすさ」をどう考えるか

日本でも、公文書では明朝体が標準的に使われることが多く、デジタル文書の普及や高齢化、視覚障害者支援の観点から、フォントや文字サイズを見直す動きが少しずつ広がっています。契約書や履歴書などのビジネス文書においても、読みやすさや印象を左右する要素として、フォント選びの重要性が指摘されています。

米国の事例は、政治的要素が強く、日本にそのまま当てはめることはできませんが、次のような点は参考になるかもしれません。

  • フォントは単なる「デザイン」ではなく、誰がどのように文書を読むかに影響を与える「アクセシビリティの一部」である
  • 公的機関がフォントやフォーマットを変更する際には、その目的やメリットを丁寧に説明するコミュニケーションが重要になる
  • 政治的対立が激しくなると、本来は技術的・実務的な議論であるはずのテーマまで、イデオロギー対立に巻き込まれやすい

DEIという言葉が先行するとき、時に「形だけの配慮」や「政治的正しさ」への反発が生まれることがあります。一方で、実際にアクセシビリティの恩恵を受ける当事者にとっては、フォントやレイアウトなどの細かな工夫が、情報にアクセスできるかどうかを左右する重要な要素となることも事実です。今回の「フォント戦争」は、その微妙なバランスの難しさを象徴しているともいえるでしょう。

これからの国務省文書はどうなるのか

Rubio氏の指示により、少なくとも当面、米国務省の公文書はTimes New Romanを標準フォントとして使用する方向に戻ると報じられています。一方で、アクセシビリティを重視する専門家や関係者からは、障害者への配慮が後退するのではないかという懸念も出る可能性があります。

今後、実務レベルでは、次のような対応が検討されるかもしれません。

  • 標準フォントはTimes New Romanとしながらも、個別のニーズに応じてフォントやサイズを柔軟に変更できる仕組みを整える
  • PDFなどで配布する文書において、スクリーンリーダーに最適化したデータ構造を採用することで、フォント以外の方法でもアクセシビリティを確保する
  • 内部向け文書と対外的な公式文書で、フォントの使い分けを検討する

アクセシビリティの専門家は、最終的には「人々が自分のニーズに合わせてフォントを選べること」こそが最良の解決策だと指摘しています。標準フォントの選択は重要ですが、それだけで全ての課題を解決できるわけではありません。むしろ、多様な利用者を想定した柔軟な設計が、これからの公的文書には求められていると言えるでしょう。

今回のニュースは、フォントという身近なテーマを通じて、DEI、アクセシビリティ、行政コスト、政治的対立といった現代社会のさまざまな論点が凝縮された一件です。今後も、米国の動きがどのように推移するのか、そして他国の行政機関や企業がどのようにフォントとアクセシビリティの問題に向き合っていくのか、注目が集まりそうです。

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