おぎやはぎが迫る「初代レガシィ解体新書」 スバル名車誕生の舞台裏とは

お笑いコンビおぎやはぎがMCを務めるBS日テレの人気番組『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』で、スバルを代表する名車「初代レガシィ」にスポットを当てた特別回「愛車遍歴的スバルマスターに聞け!初代レガシィ解体新書」が放送され、クルマ好きの間で大きな話題を集めています。

今回の放送では、「レガシィ生みの親」ともいえる元スバルエンジニア辰己英治

「バブルの恩恵なし」からの大逆転 スバルが託した社運

番組内でまず語られたのは、レガシィ誕生当時のスバル(当時・富士重工業)の厳しい状況です。1980年代後半、日本はバブル景気に沸いていましたが、スバルは社内で「スバルにバブルはない」と言われるほど、その恩恵を十分に受けられていなかったといいます。

当時、スバルの主力だったのは3代目レオーネでした。しかし販売面では苦戦が続き、多くの開発者がディーラーへの出向を経験。現場で営業の厳しさを肌で感じたことが、大きな危機感につながったと、辰己氏は振り返ります。

こうした背景の中で、「レオーネを抜本的に変える」ことを掲げて立ち上がったプロジェクトが、1989年に登場した初代レガシィでした。スバルはこの新型車に社運を託し、「変えられるところはすべて変える」という覚悟で開発に踏み切ったといいます。

開発費は「天文学的数字」 おぎやはぎも驚いたスケール

レガシィの開発では、従来の延長線ではない、新しいスバル像を作ることが求められました。そのために投じられた開発費は、辰己氏いわく「今考えると天文学的数字」。レオーネから見直せる要素は徹底的に見直し、技術もパッケージも一新する大プロジェクトとなりました。

この「天文学的数字」という表現に、スタジオのおぎやはぎ

番組は、単なる「懐かし名車」の紹介にとどまらず、「会社の命運を背負った開発」としてレガシィを捉え、当時のスバル上層部の決断力や、現場エンジニアたちの情熱に光を当てました。

41年前の“名車”の影響 レガシィの原点になったクルマ

今回の特集では、レガシィの開発に大きな影響を与えた1台の名車も紹介されました。それは、当時スバルの主力だったレオーネ

オリコンニュースは、「スバル『レガシィ』誕生に影響を与えた41年前の“名車”」として、このレオーネの存在を詳しく伝えています。レガシィは、あくまで3代目レオーネの後継として位置づけられながらも、「レオーネとはまったく違うクルマを作る」という気概で開発されたといいます。

番組内でレオーネの姿を目にしたおぎやはぎ今でこそかっこいい」とコメント。当時は“地味”と見られていた部分もあったレオーネですが、今あらためて見てみると、そのデザインやキャラクターに独自の味わいが感じられる――そんな、クルマ好きならではの視点が印象的でした。

レオーネがあったからこそ、その反省や経験を踏まえてレガシィが生まれた。その「橋渡し」の歴史を、実車を目の前にしながらたどっていく構成は、番組ならではの醍醐味と言えるでしょう。

“曲がる四駆”として世界へ 初代レガシィが目指した走り

初代レガシィは、1989年に登場して以来、長くスバルのフラグシップモデルとして世界中で愛されてきました。その大きな特徴は、「曲がる四駆」というキーワードに象徴されます。

スバルといえば長年、水平対向エンジンと四輪駆動の組み合わせで知られてきましたが、レガシィではその特長を活かしつつ、「ただ雪道に強い四駆」ではなく、「気持ちよく曲がる四駆」を目指したといいます。

評価担当として初代からレガシィに深く関わった辰己氏は、「安全・安心のためには走りを極めよう」という考えのもと、とにかく走り込みを重ねたと回想。およそ100万キロにも及ぶテスト走行を重ねる中で、「クルマのことが少し分かってくるような気がした」と語るエピソードには、おぎやはぎも思わず絶句していました。

100万キロという距離は、地球を何十周もするほどの途方もない数字です。そのレベルでのテストが行われたからこそ、一般ユーザーが日常の中で「安心して走れる」「どんな道でも頼れる」と感じられるクルマに仕上がったことが、番組を通して伝わってきます。

国内販売終了という節目 小木「僕が寂しいもん」

そんなレガシィも、日本国内では2025年3月をもって販売を終了しました。約36年にわたる歴史にひと区切りがついたことになります。

番組の中で、このニュースに触れた小木博明これは寂しいよね。僕が寂しいもん」と率直な気持ちを口にしています。長年クルマ好きとして多くのモデルを見てきた小木さんにとっても、レガシィの国内販売終了は大きな出来事だったようです。

レガシィは、日本自動車殿堂が選ぶ「歴史遺産車」にも認定されており、1つの時代を象徴するクルマとして、その功績が正式に評価されています。今回の放送は、その節目のタイミングで「生みの親」を迎え、レガシィの足跡を振り返る内容となりました。

開発者の本音「レガシィへの想い」

番組では、技術的な話だけでなく、開発者としての辰己氏の個人的な想い

また、開発に携わったエンジニアたちが、ディーラー出向を通して「お客様と直接向き合う経験」をしたことが、クルマ作りの姿勢を変える大きなきっかけになったとも語られています。売り場での苦労やお客様の声が、開発現場にリアルな危機感とモチベーションをもたらしたという話は、クルマ作りに限らず、多くの業界にも通じるエピソードと言えるでしょう。

おぎやはぎの2人は、そうしたシリアスな話も、ところどころにユーモアを交えながら聞き出していきます。笑いと真剣さのバランスが、この番組ならではの魅力です。

愛車遍歴だからこそ見える「人とクルマの物語」

『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』は、ゲストの「愛車遍歴」をたどることで、その人の人生や価値観に迫るカートークバラエティです。「愛車遍歴を辿れば、その人の人生が見えてくる!」というコンセプトのもと、これまでにもさまざまなゲストのクルマとの付き合い方が紹介されてきました。

今回は、一般的な「タレントの愛車」ではなく、「レガシィの生みの親」を迎えたことで、開発者目線の愛車遍歴が語られた形になっています。スバルに入社したきっかけ、自身のマイカー遍歴、そしてレオーネからレガシィへと続く開発人生――それらが、実際のクルマを前にしながら丁寧にひも解かれていきました。

視聴者にとっても、普段何気なく乗っているクルマの裏側に、どれだけ多くの人の思いや試行錯誤が詰まっているのかをあらためて感じるきっかけになったと言えるでしょう。

おぎやはぎとクルマ文化 “クルマ好き芸人”だからできる聞き役

今回の放送であらためて印象的だったのは、おぎやはぎの2人が「クルマ好き」だからこその距離感です。専門家のように難しい技術用語で突っ込むのではなく、ユーザー目線で「そこが気になる」「それってどういうこと?」と素朴に聞きながらも、要所要所でマニアックなポイントも押さえてくる――そのバランスが、辰己氏の本音を自然と引き出していました。

レオーネを見て「今でこそかっこいい」とコメントしたり、開発費やテスト距離の話に素直に驚いたりする姿は、クルマ好きの視聴者と同じ目線を共有しているようにも感じられます。

単に情報を紹介するだけでなく、「クルマを好きになる気持ち」を一緒に楽しんでくれるMCとしての存在感が、「レガシィ解体新書」という一見マニアックなテーマを、誰にでも楽しめる内容へと変えていました。

レガシィが残したもの “歴史遺産車”としての価値

国内販売こそ終了したものの、レガシィが自動車史に残した足跡は小さくありません。フラグシップとして長年スバルブランドを牽引し、世界的な評価も築いてきたことに加え、「曲がる四駆」という新しい価値観を提示したことは、今のスバル車にも脈々と受け継がれています。

日本自動車殿堂の歴史遺産車に選ばれたことは、その功績が公式に認められた証でもあります。今回の番組は、その歴史的評価を支える「開発の現場の声」を可視化した点でも、貴重な内容だったと言えるでしょう。

視聴者にとっては、街中で見かける1台のクルマが、単なる「移動の道具」ではなく、多くの人の情熱と決断の積み重ねによって生まれた存在であることを再認識する機会になったのではないでしょうか。

これからのスバルと、おぎやはぎの“愛車遍歴”

番組の最後には、直接的な未来予測こそ語られないものの、レガシィが築いた技術や精神が、今後のスバル車の中にも生きていくであろうことが感じられるトーンでトークが締めくくられました。

おぎやはぎの2人にとっても、今回の「初代レガシィ解体新書」は、単なる1台の名車紹介を超え、「クルマ文化」と「日本のものづくり」に触れる特別な回になったと言えるでしょう。クルマを愛するMCと、生みの親であるエンジニア、そして長年親しまれてきたフラグシップモデル――その三者が交わることで、視聴者にとっても心に残る時間となりました。

レガシィに思い入れのある人はもちろん、これまであまりスバル車に触れてこなかった人にとっても、「一度レガシィをじっくり見てみたい」「クルマの成り立ちを知るって面白い」と感じさせてくれる内容だったと言えるでしょう。

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