戦後80年にふりかえる硫黄島:遺族の手紙が語る本当の戦争と、いまも叶わぬ「帰郷」

はじめに――硫黄島という場所、その意味

硫黄島(東京都小笠原村)は、太平洋戦争末期に繰り広げられた激しい戦闘の舞台として、多くの日本人の記憶に根強く残る存在です。その島で戦った兵士たちは、どんな思いを抱え、家族にどのような手紙を綴ったのでしょうか。戦後80年が経過した今、「硫黄島からの手紙」の発掘と研究を通じて、島根大学の学生や研究者が、その“赤裸々な戦争の現実”や、いまだ帰ることのできない元住民・遺族の思いを明らかにしようとしています。

島根大学プロジェクト――手紙が語る戦争の実相

島根大学では、法文学部の教員や地元行政機関、有識者が連携し、「硫黄島からの手紙」を中心に戦争資料の調査・聞き取り調査を進めています。島根県内では、戦没者供養塔や関連資料のほか、遺族から提供を受けた手紙などが丁寧に分析され、地域ごとの戦争被害の実態を地域史・家族史の視点から明らかにしています。この活動は、全国的にも稀有な学際的研究であり、戦争の記憶を後世につなぐ大切な取り組みとなっています。

  • 主な調査内容
    • 松江市・善光寺資料(戦没者供養塔や墓碑に関わる史料)の調査
    • 大田市内に残る「硫黄島からの手紙」の分析および遺族への聞き取り
    • 新聞記録、厚労省・防衛研究所での公文書調査、戦没者名簿の検証
  • 研究成果は市民向け講演会などで発表し、戦争の記録・記憶の継承につなげている

実例――「硫黄島からの手紙」が伝える家族の想い

具体的な調査事例として、松江市本庄町の石橋道忠さんが硫黄島から家族に宛てて出した7通の手紙が、2024年3月、島根大学により解読されました。これらの手紙は、石橋さんの妻の遺品に大切に保存されていたもので、戦地から家族を思いやる気持ち、故郷を懐かしむ心情、戦況への不安など、赤裸々な兵士の内面がつづられていました。

手紙から読み取れるもの

  • 家族の無事と幸せを願う切実な言葉
  • 物資不足や厳しい環境下での苦労
  • 戦友とともに戦う心の葛藤
  • 「もし自分が帰れなかったとき」の備えへの思い
  • 平和を願う祈りと、日常の平穏への強い希求

調査に携わった学生は、「ただ勇ましいだけではない、一人の人間としての不安や愛情に胸を打たれた」と語っています。手紙は語り継がれるべき貴重な歴史資料であると同時に、記憶の継承者=私たち市民一人ひとりに託された問いでもあります。

遺族・元島民の苦悩――なぜ今も故郷に帰れないのか

太平洋戦争末期、硫黄島は熾烈な戦闘の末に日本側の守備隊が全滅、多くの戦没者が故郷に還ることなくこの地で命を落としました。しかし戦後80年が経った今もなお、元島民や遺族は自由に「故郷に帰る」ことができていません

  • 米軍管理下:終戦後、硫黄島は長く米軍の管理下に置かれ、日本人の上陸や墓参りが厳しく制限された。
  • 自衛隊基地化:現在も自衛隊基地や滑走路、慰霊碑など一部の施設を除き、一般人の立ち入りは制限されたまま。
  • 元島民の思い:島に置き去りにされた家族・先祖の無念、未だに帰郷できない苦しみが今も続いている。

島根大学や地元有識者の継続的な活動は、「戦地の声」に耳を傾けるその第一歩であり、「戦争の痛みを自分ごととして捉え直す」重要な契機といえます。

家族・地域が果たす記憶の継承

本プロジェクトや市民講演会などでは、「手紙の読み解き」を通じて、“いまを生きる人々”が戦争の現実を知ることの大切さが強調されています。当時を知る遺族や地域社会が協力し、調査成果を広く発表し続けることで、「戦争の事実」を風化させない努力が続けられています。

市民ができること

  • 遺品や古い手紙を家族で見直し、その意味や背景を話し合う
  • 講演会や展覧会に参加し、地域の歴史に触れる機会を持つ
  • 記録された資料を家族や友人と共有し、戦争体験の継承に努める

「戦後80年」その先へ――いま、私たちが考えるべきこと

歴史的事実としての「硫黄島の戦い」「硫黄島からの手紙」は、単なる過去の出来事ではありません。一通一通の手紙の向こうにひとりの命があり、そこにはかけがえのない人間の思いが息づいています。戦没者遺族や元島民の“帰れぬ故郷”への思いは、戦争の記憶とともにこれからも語り継がれなければなりません。

現在、島根県内では学校教育の場にもこの調査成果が還元され、新しい世代への「平和のバトン」として活かされています。島根大学の研究プロジェクトは道半ばですが、引き続き、資料調査・聞き取り・成果の公開などを通じて、少しでも多くの人が「戦争の現実」を自分自身の問題として考える“きっかけ”になることを目指しています。

おわりに――手紙から見える私たちの未来

硫黄島から送られた7通の手紙、家族や地域、元島民の声。戦後80年の節目を迎えたいま、それぞれの思いを“つなげる”ことは、史実の伝承を超えて、私たち一人ひとりが”平和”について考える機会になります。「記憶と継承」は、過去の重さを軽んじず、未来の選択に責任を持つこと――。このメッセージの重みを、あらためて胸に刻みましょう。

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