古舘伊知郎、「流行語大賞もういらない」発言が波紋 高市早苗首相の“働いて×5”受賞に疑問の声

2025年の「新語・流行語大賞」をめぐり、フリーアナウンサーの古舘伊知郎さんが「流行語大賞、もういらないよ」「あってもしょうがないよ」と強く疑問を呈した発言が、大きな話題になっています。

年間大賞に選ばれたのは、高市早苗首相が自民党総裁選の勝利演説で口にした言葉「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」。 この“働いて×5”のフレーズについても、「おかしいと思う」「一国の宰相がいちいち言うな」と古舘さんが批判したことで、ネット上では賛否が一気に広がりました。

「流行語なんてもう流行んない」古舘伊知郎が語った“賞そのもの”への違和感

古舘さんは、12月初旬に自身のYouTubeチャンネルにショート動画を投稿し、前日に発表された「現代用語の基礎知識選 T&D保険グループ 新語・流行語大賞」についてコメントしました。

動画の中でまず口をついて出たのは、ため息まじりの次の言葉でした。

  • 「やんなっちゃうんだよな」
  • 「『流行語大賞』っていうもの自体が、もうスポンサーも変わってね、ずっと繋いできたんだけど…」
  • 「みんなわかると思うけど、流行語なんてもう流行んないでしょ?

ここで古舘さんが指摘したのは、「今の流行語大賞は、かつてのような“本当に流行した言葉”を選んでいるとは言えないのではないか」という根本的な違和感でした。

かつては、テレビ番組や街中の会話で誰もが口にしていたような言葉が次々と生まれ、それらが「今年の流行語」としてリストアップされていました。しかし近年の選出語について古舘さんは、「リストを見たって、今年定着した言葉の羅列じゃない」「“流行した言葉”とはもう趣が違う」と分析しています。

こうした時代の変化を踏まえ、古舘さんは次のようにバッサリと言い切りました。

  • 流行語大賞、もう要らないよ
  • 「もう、あってもしょうがないよこんなの」
  • 「もうやめたほうがいいんじゃないかと思うよ俺は」

この率直な物言いに対し、ネット上では「よくぞ言ってくれました」と賛同する声も多く上がっています。

「働いて×5」が大賞に 東大准教授も「政権に忖度?」と疑問

今年の大賞に選ばれたのは、高市首相が自民党総裁選での勝利演説において、「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」と連呼したフレーズでした。

選考側は、高市政権の掲げる「働くこと」を軸にしたメッセージ性や、演説でのインパクトなどを評価したとみられますが、この選出には、古舘さんだけでなく、各方面から疑問の声があがっています。

ニュース内容2では、東京大学准教授の斎藤幸平氏が、「『働いて×5』が流行語大賞というのは、政権に忖度しているのではないか」と率直に語ったと報じられています。これは、流行語大賞が本来持っていた「世相を切り取る」「市井の声をすくい上げる」という役割から、政治権力への“配慮”へと軸足がずれているのではないか、という懸念でもあります。

長年、流行語大賞には「政治ネタが多すぎる」「どこか大人の事情を感じる」という批判がつきまとってきましたが、今回の“働いて×5”受賞は、その不信感に火をつける形になりました。

古舘伊知郎が「おかしい」と感じた理由――首相の言葉としての重み

古舘さんは、高市首相の「働いて×5」が大賞になったこと自体に対しても、「これが大賞を取るってことはおかしいと思う」と明確に疑問を呈しています。

その理由として、動画の中で次のように語りました。

  • 「俺はあの高市さんの発言を聞いたとき、いちいち言うなと思った」
  • 「一国の宰相として、この日本国をけん引していく人というのは、『働いて』という言葉を5回どころか100万回繰り返して働き抜かなきゃいけないでしょ?」

つまり「働きます」と何度も口にするのではなく、実際の政策や行動で示すのが首相の責任ではないか、という視点です。「それを望んで総理になった人」である以上、口先のフレーズを持ち上げること自体に違和感がある、と古舘さんは感じたのでしょう。

さらに古舘さんは、「働いて×5」という言い回しの背景にある価値観にも踏み込んでいます。「仕事って昭和の時代はそんなもんだったな、みたいなノスタルジーみたいなのを含めて、なんで大賞にならなきゃいけないのかな」と語り、「働き詰めが美徳だった昭和」への懐古を批判しました。

今の時代は、「働き方改革」や「ワークライフバランス」、「休む権利」などが重要視されています。そうした状況の中で、「働いて働いて…」を称賛するような選出は、時代錯誤ではないかという指摘です。

プチ鹿島の「発表してからツッコまれるまでが流行語大賞」という視点

ニュース内容3では、時事ネタを得意とする芸人のプチ鹿島さんが、「発表してからツッコまれるまでが流行語大賞」とコメントし、今回の選考に対しても猛烈なツッコミを入れたと伝えられています。

このフレーズには、「毎年、選考結果そのものがネタになってしまう」という、ここ数年の流行語大賞をめぐる空気感がよく表れています。「今年もまた“なんでこれ?”ってツッコまれて、それ込みで1セットのイベントになっている」という、半ば自虐的な見方とも言えるでしょう。

プチ鹿島さんの視点は、流行語大賞がもはや「純粋に言葉を楽しむ場」から、「選考への違和感をみんなで語り合う場」へと変質していることを、ユーモラスに言い当てていると言えます。

なぜ「もういらない」とまで言われるのか――積み重なった“流行語大賞不要論”

流行語大賞をめぐっては、ここ数年、「もうやめたらいいのに」「いつまで続けるの?」といった声が繰り返し上がってきました。

背景には、次のような理由が挙げられます。

  • 本当に流行した言葉とのズレ
    SNSなどで自然発生的に広がる言葉と、選考リストに並ぶ言葉が一致していない、という感覚を持つ人が増えています。
  • 政治色の強さ
    政治関連のワードが多く、「世間というより“政治ニュースのハイライト集”のようだ」との指摘もあります。
  • スポンサー変更後も残る不信感
    以前から選考過程への不透明感が指摘されており、「スポンサーが変わっても、結局は大人の事情で選んでいるのではないか」という疑念は完全には消えていません。
  • 言葉の流行の仕方そのものの変化
    昔のようにテレビ発の“決めゼリフ”が全国に広がる時代ではなくなり、バラバラのコミュニティごとに違うミームやスラングが生まれるため、「全国共通の流行語」を一つに絞ること自体が難しくなっています。

古舘さんの「流行語大賞、もう要らないよ」という発言は、こうした長年のモヤモヤを、分かりやすい言葉で代弁したものとして、多くの共感を呼んだと考えられます。

古舘伊知郎と高市首相――これまでも続いてきた厳しい視線

今回の動画は、高市首相への初めての批判ではありません。古舘さんは、これまでも自身のYouTubeチャンネルなどで、高市首相の言動をたびたび厳しく論じてきました。

たとえば、9月には高市首相の笑顔について「作り笑顔がはなはだしい」「5秒に1回の作り笑顔」と苦言を呈し、かつて総務大臣時代に「電波停止」発言でテレビ局を震撼させた“鬼の形相”とのギャップを指摘しています。

また、「台湾有事」をめぐる「存立危機事態」発言に対しても、「あの高市さんの発言は言うべきではなかったという立場です。はっきり言わせていただきます」と動画で明言しており、言動の一貫性や、政治家としての責任ある発言を求める姿勢を示してきました。

そうした文脈の中で今回、「働いて×5」が流行語大賞に選ばれたことは、古舘さんにとって「首相の言葉」が軽く扱われているように感じられたのかもしれません。「首相がいちいち『働きます』と連呼することを持ち上げるのは違う」という感覚は、単なる揚げ足取りではなく、「権力者の言葉の重み」に対する問題提起とも受け取れます。

これからの「言葉の賞」はどうあるべきか

今回の騒動は、「流行語大賞という枠組みを、今の時代に合わせて見直す必要があるのではないか」という問いを、あらためて社会に突きつけています。

たとえば、次のような方向性が考えられます。

  • 「本当に使われたか」を重視する
    SNSデータなどを活用し、実際の使用頻度や広がりを元に選出することで、「聞いたこともない」というギャップを減らす。
  • 政治と距離を取る
    政治的なメッセージやスローガンより、生活実感に根ざした言葉や、市民のユーモアをすくい上げる方向へ軸足を移す。
  • 「大賞」より多様性を尊重する
    無理に1つの大賞を決めるのではなく、ジャンルごとに複数の言葉を紹介し、「言葉の年表」として楽しむ形にする。

もちろん、こうした議論はすぐに答えが出るものではありません。ただ、「発表して終わり」ではなく、「発表されてからツッコまれるまでが流行語大賞」(プチ鹿島さん)という今の状況をどう受け止め、どう変えていくのか。古舘伊知郎さんの「もういらない」という強い言葉は、その議論のきっかけとして、大きな意味を持っているように見えます。

来年以降も流行語大賞が続くのかどうかは分かりませんが、「言葉」が人々の気持ちや時代の空気を映し出す鏡であることは変わりません。どのような形であれ、私たち自身が「どんな言葉に笑い、怒り、傷つき、励まされてきたのか」を振り返る場が、より多くの人にとって納得のいくものになることが求められているのかもしれません。

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