映画「春、阿賀の岸辺にて」――変わり続ける新潟水俣病支援のかたち
新潟水俣病――この名前は、日本の公害史の中で深い傷跡を残してきました。そして今、その出来事に向き合い、共に歩んできた人々の半世紀にもおよぶ記録と想いを見つめ直す映画「春、阿賀の岸辺にて」が劇場公開されています。小森はるか監督が手がけ、旗野秀人さんの献身的な活動を丁寧に映し出したこの作品は、2025年9月、新潟・市民映画館シネ・ウインドを皮切りに多くの注目を集めています。今回は、映画と共に新潟水俣病、そして時代とともに変化する支援のかたちに焦点を当て、その現実をやさしく紐解きます。
新潟水俣病とは――公害がもたらした試練
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公式確認と発生の背景
新潟水俣病は、1965年に新潟県の阿賀野川流域で公式に確認された水俣病です。この病気は、昭和電工(現在のレゾナック・ホールディングス)鹿瀬工場から排出されたメチル水銀を含む排水が原因でした。その汚染水が阿賀野川を通じて広がり、流域の人びとがその川魚を食べた結果、手足の感覚障害や運動失調などの症状を発症する患者が相次ぎました。
これは、1956年に熊本県で公式に確認された水俣病につづく、「第二の水俣病」として、日本社会に大きな衝撃を与えました。
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被害の広がりと支援の始まり
新潟水俣病は阿賀町や周辺地域で多くの被害者を生みました。被害者たちは長く苦しみ、行政や企業の責任追及、補償、そして社会的認知と理解を求めて闘い続けてきました。
この過程で、現場に寄り添い続けてきた支援者たちの存在が重要な役割を果たしてきました。その代表的な存在が、旗野秀人さんです。
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旗野秀人さん――半世紀にわたる支援と継承の物語
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立ち上がった理由と日々の支援
旗野さんは、被害者運動の現場を支えつづけてきた人です。映画『阿賀に生きる』(1992年 佐藤真監督)の発起人でもあり、30年以上にわたり「冥土のみやげ」という名の文化運動を一人で続けています。彼は春になると映画を上映し、亡くなった患者たちを偲ぶ追悼集会を呼びかけてきました。 -
伝え続けるための工夫
旗野さんは様々な媒体を使い、新潟水俣病を広く後世に伝えています。たとえば、聞き書き集の編纂やお地蔵さん建立、絵本のプロデュース、写真や映像での記録保存など、その方法も多岐にわたります。
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変わる社会と支援のかたち
被害の公的認定や補償問題は一時的な関心では終わりませんでした。証言者や関係者が高齢化し、世代交代が進む中で、「どう記憶を継いでいくのか」「事件そのものが風化しないようにするには何が必要か」という課題も強く意識されるようになりました。
旗野さんの活動は、「死を別れとはしない」の言葉に象徴される、そばにい続けること、寄り添い続けることの大切さを社会に問いかけています。
映画「春、阿賀の岸辺にて」――次世代への橋渡し
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小森はるか監督との出会い
小森はるか監督は、震災後に『阿賀に生きる』を観て感銘を受け、旗野さんの人柄や活動に強く心を動かされました。2016年から旗野さんへの密着撮影を始め、2022年には新潟へ移住。約10年の取材の末に本作「春、阿賀の岸辺にて」は誕生しました。 -
映画に込められたメッセージ
シンプルなドキュメンタリーの形式をとりながらも、時代や世代を超えて繋がる人間の営み、記憶の継承、そして「支援とは何か」という根源的な問いに静かに向き合っています。本作は、2025年度の恵比寿映像祭「コミッション・プロジェクト」特別賞にも選ばれており、支援のかたちや物語を繋ぐ新しい出発点となっています。
時代とともに進む支援のかたち――これからも続く歩み
新潟水俣病の発生から半世紀以上が経ちました。だんだんと現地の風景や人の姿が変わる中、それでもこの公害を伝え、被害者たちの記憶を残そうとする歩みは止まっていません。旗野さんが実践してきた追悼集会、聞き書き集、お地蔵さんの建立、映画などはすべて「失われゆくもの」「語られざる声」を記録し、広く知ってもらうための努力です。
今、社会や時代は変わり続けています。事件を直接知る人々が年々少なくなっていくなかで、「阿賀に生きる」や「春、阿賀の岸辺にて」といった映画は、多くの人々に「忘れないこと」「語り続けること」の大切さを語りかけます。支援のかたちもまた、現在進行形で変化しています。制度としての補償や公的認定だけでなく、文化や芸術、物語を媒介とした新たな記憶の共有と継承が、今後ますます重要になるでしょう。
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社会と共に歩む記録
小森監督と旗野さんが映し出すのは、単なる過去だけではありません。いまこの瞬間も続く「支援の現場」であり、未来へ向けた信頼と関係づくりの積み重ねです。そこには、常に寄り添うこと、離れず見守ることの温もりがあります。 -
水俣病問題が教えてくれること
この問題は決して過去のものではありません。生命、尊厳、そして社会の連帯。水俣病が残した課題は、現代の私たちにも深く問いかけています。
まとめ――映画と共にもう一度見つめる、新潟水俣病の今
「春、阿賀の岸辺にて」は、一人一人の歩みや日々の営みを大切に見つめ直す視点を与えてくれます。表面的な支援や補償ばかりではなく、「声なき声」に耳を傾け、日常のなかにある痛みや希望と「そばにいること」の大切さを静かに伝えます。映画を観た人は、きっと外側からでは見えない阿賀野川の流れ、土地の風景、語られなかった想いを感じ取れるでしょう。
時代とともに支援のかたちは移り変わります。ただ、本当に大切なのは「どんな時代であっても、目の前の痛みに寄り添い続ける人がいる」という事実なのかもしれません。新潟水俣病支援の歴史と、新しい映画の公開は、未来を生きる私たちが向き合うべきもうひとつの「今」なのです。