行天豊雄と「プラザ合意」40年——世界の通貨地図が揺らぐ時代の証言
はじめに:40年目の「プラザ合意」とその今日的意味
1985年9月22日、ニューヨーク・プラザホテル。世界経済史に残る重要な合意、「プラザ合意」がここで成立しました。日米英仏独、先進主要5か国の財務大臣と中央銀行総裁が、急激なドル高を是正するための国際協調に合意したこの日、為替制度の新たな章が始まりました。その後40年、世界の通貨地図は大きく揺れ動き、今まさに再び「基軸なき世界」の不透明さが増しています。今日、その舞台裏や影響、今につながる教訓を、当時の日本の通貨外交を担った行天豊雄氏の証言を軸に読み解きます。
1.プラザ合意の背景:「ドル高」への危機感と米国主導の国際協調
- 1980年代初頭、米国の金融政策が生み出した激しいドル高は、世界の貿易・産業バランスを大きく揺るがせていました。特に日本や西ドイツは、1920年代にも例を見ないほどの貿易・経常黒字を積み上げます。
- 米国は巨額の貿易赤字に直面。レーガン政権は国内産業のダメージ増大や雇用不安を背景に、強引な形で他国との協調介入を主導します。これが「プラザ合意」の実現につながりました。
2.「プラザ合意」とは何だったのか?
「プラザ合意」とは、G5各国の一斉協調によるドル高是正策ですが、その本質は単なる通貨政策の合意ではありませんでした。
直接的には、各国政府・中央銀行による協調的なドル売り・自国通貨買いの介入を通じて、急速なドル安・円高誘導を図りました。その背景には、米国の政策失敗のツケを他国と分担させたい米国の「瀬戸際外交」があったという指摘も根強く残っています。
3.合意後の劇的な為替変動と日本経済への衝撃
- プラザ合意発表後、円相場は急騰。1ドル=240円台から、わずか2年で1ドル=120円台へと倍近い円高に。輸出企業はこの変化に苦しみ、多くの産業構造の変革を余儀なくされました。
- 円高の痛手を和らげるため、日本は金融緩和政策を続けますが、これが後のバブル経済につながり、さらにその崩壊による「失われた30年」の原因のひとつともみなされています。
4.行天豊雄氏と日本外交の舞台裏
行天豊雄氏は、当時の大蔵省国際金融局長として、ドル高是正に向けた難しい交渉を担いました。その現場では、米側の強硬な要請に苦悩しつつも、日本経済の将来を見据えた冷静な判断が迫られました。
行天氏はその後、「プラザ合意」のもたらしたプラス・マイナス両面を語り続けてきました。プラス面としては
- 円高・ドル安という急激な変化の中で、日本経済がグローバルな競争力を試され、通貨の安定に重要な教訓を得たこと
- 世界経済において国家が協調して危機に対処した成功例のひとつであったこと
を挙げています。しかし同時に、
- バブル形成・崩壊とその後の経済停滞
- 米国の『内需拡大の圧力』という形で残った外交の不均衡
にも目を向けることの大切さを強調しています。
5.欧州と世界の通貨統合、その成果とほころび
プラザ合意の影響は欧州にも及びました。その後、EU域内では通貨統合が進み、1999年にはユーロが導入されます。しかし2020年代に入ってから、EU内での足並みの乱れや“偽情報戦争”の深刻化、特にブルガリアなどでのユーロ反対派の台頭が伝えられるようになりました。国境や通貨の枠組みを超えたグローバル協調の難しさが明らかになっています。
6.「第2のプラザ合意」再来の可能性とその不透明さ
2020年代半ば、米国の貿易赤字拡大や、再び進むドル高——さらには「トランプ再来」「関税政策の強化」など、新たな保護主義の動きのなかで、「第二のプラザ合意」への期待や議論も見られました。しかし各国の利害の複雑化、米中対立、欧州統合の脆弱化などにより、再び基軸通貨が不安定な「基軸なき世界」が訪れつつあります。
つまり、今や為替・通貨の安定は誰も一人で担えない難題となり、世界は「協調」という理想と、「国家の利害」という現実の間で揺れながら、模索が続いているのです。
7.教訓とこれからの道——行天豊雄氏の視点から
- 行天氏は、プラザ合意の舞台裏で学んだ最も大きな教訓として、「為替政策は国だけでなく企業、人々の生活に直結する」ことを挙げます。
- また、世界が共通の目的で動ける数少ないタイミングで大胆な協調介入をやりきれたこと、しかしその後の副作用の重さを同時に胸に刻み続けています。
- 欧州統合、米中摩擦、グローバル経済秩序の変動――40年前とは異なり、いまは「正解」が見えにくい時代です。
- だからこそ、物事の本質を見極め、国家間の信頼やルール作り、<冷静なデータ分析>の力が一層求められると、行天氏は繰り返し訴えています。
おわりに:揺れる世界、その根っこに生きる知恵
プラザ合意から40年。行天豊雄氏の足跡をたどるなかで見えるのは、歴史が時に繰り返し、時に新たな問題を生み出すという現実です。
協調することの難しさ、でも本当に危機が迫ったときこそ国際社会が団結しえる底力、その両方を記憶し、次の世代へ伝えていかなければなりません。
為替も、経済も、ひとり一人の暮らしと直結しています。これからの基軸なき世界をどう生き抜くか、そのヒントを過去の教訓に学び、未来へつなげていくことが、いま私たちに求められています。