昭和57年7月23日の「長崎大水害」から43年

1982年(昭和57年)7月23日から翌24日にかけて、長崎県長崎市を中心に発生した集中豪雨は「長崎大水害」と呼ばれています。この大雨により、死者・行方不明者は合わせて299人にのぼり、特に西彼杵郡長与町で観測された1時間に187ミリという記録的な雨量は日本の観測史上でも最大級です。この豪雨は土石流や土砂崩れ、河川の氾濫をもたらし、多くの住宅被害とともに甚大な人的被害をもたらしました。

川平地区の土石流災害と慰霊祭

特に長崎市の川平(かわびら)地区では土石流により34人の尊い命が失われました。この地域では43年を迎えた2025年7月に慰霊祭が厳かに執り行われ、犠牲者の冥福を祈るとともに、災害の教訓を後世に伝える重要な儀式となっています。

川平地区での慰霊祭の開催

  • 日時:2025年7月22日夜(報道によれば21:00頃から)
  • 場所:川平地区及び長崎市内
  • 内容:犠牲者への献花や黙祷、関係者による式辞
  • 目的:悲劇を繰り返さないための防災意識の啓発と地域の結束強化

長崎市内での黙祷と「竹灯り」追悼イベント

毎年7月23日には、長崎市内全体で長崎大水害の犠牲者を想い午前11時00分から1分間の黙祷が捧げられます。2025年も例年通り、多くの市民や関係者が参加しました。

また犠牲者を追悼し、災害の記憶と教訓を伝え続ける催しの一つとして、被災地では「竹灯り」イベントが行われています。2025年でちょうど43年目となるこの「竹灯り」は、犠牲者299人の冥福を祈る灯火として多くの人々の心に響いています。

「竹灯り」イベントの意義と開催内容

  • 開催時期:7月23日前後
  • 場所:犠牲者が多かった地域や長崎市内の特設会場など
  • 内容:竹筒に灯された灯りが夜を照らし、犠牲者の魂を慰める
  • 訴えたい想い:災害の記憶の継承と防災への意識向上

長崎大水害の背景と被害の実態

長崎大水害は、気象庁が「昭和57年7月豪雨」と命名した梅雨末期の集中豪雨の影響で発生しました。長崎県中部から南部にかけて停滞した梅雨前線によって、降り始めから24日までのトータル降雨量は572ミリに達しています。特に1時間に187ミリの豪雨は前例のない規模でした。

この豪雨によって引き起こされた土砂災害や河川氾濫による被害は、地域の生活を一変させました。地滑りが151か所、崖崩れが4,306か所に及び、住宅の損壊は約39,755戸に及んだ被害規模は未曾有でした。犠牲者299人のうち約90%は土砂災害によるものであり、特に斜面崩壊や土石流の影響が甚大だったことがわかっています。

教訓と未来への歩み

長崎大水害は、防災

参考元