建築家・隈研吾と山本理顕が語る「東京再開発」という大問題──金融商品化する都市と建築家の役割
東京の再開発をめぐって、今、建築界の巨匠たちによる議論が大きな注目を集めています。中心にいるのは、国立競技場や多くの木質建築で知られる建築家隈研吾さんと、「東京は富裕層の植民地になる」と再開発のあり方を強く批判してきた建築家山本理顕さんです。
2人の対談では、山本さんが隈さんに対して「つきあう仲間が悪すぎるんじゃない?」と投げかけるなど、踏み込んだやり取りが交わされました。 その背景には、東京の再開発が「金融商品化」し、市民の暮らしよりも投資や利回りが優先されているのではないか、という大きな問題意識があります。
「東京は富裕層の植民地になる」山本理顕の危機感
山本理顕さんは、日本外国特派員協会での講演で、現在の東京を「新自由主義信奉者の植民地のようだ」と強く批判しました。 さらに別の論考では、「東京は富裕層の植民地になる」という強い言葉で、再開発の未来像に警鐘を鳴らしています。
ここで山本さんが問題視しているのは、東京の再開発が
- 超大規模であること
- グローバルマネーや投資資本を前提にした「金融商品」として扱われていること
- その結果、地元の暮らしや小さな商店、長年のコミュニティが追い出されること
といった構造です。
ビルや街区そのものが、投資家にとっての資産商品として組成され、売買されるようになると、優先されるのは「利回り」や「資産価値の最大化」です。 そうなると、家賃は上がり、テナント料も高くなり、結果的に富裕層やグローバル企業が占めるエリアが増えていきます。山本さんの「植民地」という表現は、そうした経済ロジックに支配された都市への危機感の表れだといえます。
「つきあう仲間が悪すぎる?」──再開発と建築家の距離感
今回話題となった対談の中で、山本さんは隈研吾さんに対し、「つきあう仲間が悪すぎるんじゃない?」と迫りました。 この言葉には、建築家がどのようなクライアント、どのような開発主体と組むのかという、職能の倫理に関わる問題が含まれています。
東京の大規模再開発は、多くの場合、大手デベロッパーや巨大資本が主導します。そこに関わる建築家は、単に美しい建物をつくるだけでなく、都市構造の変化や住民の生活環境にも大きな影響を与える存在になります。山本さんの問いかけは、建築家が権力や資本とどう距離を取るべきかという根源的なテーマへとつながります。
この問題は、別の論考「金融商品化した都市開発『建築家と権力』議論深めよ」でも取り上げられています。そこで示されているのは、都市開発が金融商品化するなかで、建築家が単なる「デザインの提供者」にとどまってよいのか、それとも公共性や民主性を代弁する専門家として振る舞うべきなのか、という問いです。
隈研吾が描いてきた「東京」とは
批判の矢面に立たされるかたちになった隈研吾さんは、これまで一貫して、巨大で威圧的な建築よりも、「人にやさしいスケール」や「自然との調和」を重視する建築観を語ってきました。
インタビューで隈さんは、世界の都市が国際競争を繰り広げるなかで、「東京は巨大な建築物で競い合おうとする考えを捨てるべきだ」と述べています。 高さやスケールで勝負するのではなく、路地や木、素材感、光と影といった要素を通じて、東京らしい人間的な都市空間を目指すべきだという考えです。
また、都心の高層ビル建設ラッシュが続く現状に対しても、隈さんは「庭」や「村」といったキーワードを用いながら、新しい都市像を提案しています。 高層化一辺倒ではなく、緑や小さな広場、人が立ち止まれる場所を積極的に取り入れようという姿勢です。
ただし、そうした理念を掲げつつも、実際には大規模な再開発プロジェクトに関わる場面も多く、その点で、「誰と組み、どんな枠組みの中で仕事をしているのか」が批判の対象となりやすくなっています。 山本さんの「つきあう仲間が悪すぎる」という言葉は、隈さん個人だけでなく、スター建築家が巨大開発に動員されていく構造全体への批評ともいえます。
都市開発の「金融商品化」とは何か
今回の議論を理解するうえで重要なのが、「金融商品化した都市開発」というキーワードです。 これは、都市の不動産や再開発プロジェクトが、証券化や投資ファンドなどの仕組みを通じて、世界中の投資家にとっての金融商品として扱われるようになっていることを指します。
具体的には、以下のような動きが含まれます。
- 再開発されたビルや街区を、REIT(不動産投資信託)などの形で金融市場に流通させる
- 不動産の価値を、現地の暮らしではなく、グローバルな投資需要によって決めていく
- 短期的な収益性や利回りを最優先にした賃料設定やテナント構成が行われる
こうした流れの中で、再開発は「地域住民のためのまちづくり」というより、「投資家のポートフォリオを構成する一商品」として組み立てられやすくなります。 その結果、地価や家賃の上昇が加速し、もともと暮らしていた人や小規模事業者が居場所を失うケースが各地で見られます。
この構図を、山本理顕さんは「富裕層の植民地」と表現し、中島岳志さんは「建築家と権力の関係をもっと議論すべきだ」と論壇で指摘しています。 都市が金融市場の論理に回収されるなかで、建築家はその一部となってしまうのか、それとも批判的な立場から別の可能性を提示できるのかが問われているのです。
「建築家と権力」をめぐる議論を深める必要性
「金融商品化した都市開発 『建築家と権力』議論深めよ」と題された論壇時評では、建築家が政治権力や経済権力とどう向き合うかというテーマが、改めて提起されています。
ポイントとなるのは、次のような視点です。
- 建築家は、再開発の「顔」として動員されているだけではないか
- 巨大プロジェクトに名前を連ねることで、都市の不平等や排除を「デザインの力」で覆い隠してしまっていないか
- 公共性や市民の暮らしを守るために、建築家はどこまでクライアントに異議を唱えられるのか
これは、特定の建築家を批判するだけの問題ではありません。東京の再開発は、オフィス、商業施設、住宅、ホテルなどが一体となった超大規模なプロジェクトが多く、その裏側には法制度、税制、金融、グローバルマネーなど、複雑な利害が絡んでいます。
そうした巨大な力の中で、建築家がどこまで主体性を発揮できるのか、あるいは発揮すべきなのか。対談や論壇での議論は、その難しいテーマを公の場に引き出したという意味で、大きな意義があります。
「東京らしさ」と再開発──庭と村か、タワーとモールか
東京の再開発をめぐる議論のもう一つの焦点は、「東京らしさをどう守るか/つくるか」です。隈研吾さんは、東京を巨大な建物でグローバル都市と競わせるのではなく、より人に近いスケールや自然との共存を重視すべきだと繰り返し語ってきました。
YouTubeの番組などでも、隈さんは都市開発に「庭」と「村」というイメージを持ち込む必要性を説いています。 それは、タワーとショッピングモールだけで構成された都市ではなく、地面に近いところに小さな広場や木々があり、人が集まり、偶然出会うような環境を重視する姿勢です。
一方で、山本理顕さんは、東京の再開発の規模があまりに大きく、富裕層やグローバル企業のニーズに偏っていると批判します。 その視点から見ると、「庭」や「村」のイメージも、金融商品として設計された巨大開発の一部に取り込まれないか、という懸念が生じます。
つまり、
- 「人にやさしいデザイン」が、実は高級さや差別化のための装飾として使われていないか
- 「伝統素材」や「らしさ」が、投資価値を高めるブランド戦略の一環になっていないか
という問いです。 ここでもやはり、建築家と資本の関係が問題の核心になってきます。
市民に開かれた議論へ──東京再開発を自分ごととして考える
今回の一連の議論が注目されている理由は、単に著名な建築家同士の“バトル”だからではありません。東京で暮らす人、働く人、これから家を探す人々にとって、再開発は非常に身近な問題だからです。
たとえば、
- 馴染みのあった街並みや小さな商店街が、大規模再開発で一変してしまう
- 家賃が高くなり、長年住んだ地域から転居を余儀なくされる
- 新しいビルはきれいだが、どこも同じブランド店ばかりで、地域性が薄れる
といった変化を、多くの人が実感しているのではないでしょうか。
山本さんの発言や中島さんの論壇時評は、そうした変化の背後にある構造を「金融商品化」「植民地化」といった言葉で可視化し、「本当にこれでいいのか?」と問い直すきっかけを与えています。
同時に、隈研吾さんが提案する「庭」や「村」のイメージは、再開発のあり方を完全に否定するのではなく、「もっと人に近い、やわらかな都市」を目指すヒントにもなり得ます。 問われているのは、どのような仕組みで、誰のために、そのような都市をつくるのかという点です。
これからの東京と建築家の責任
東京建築祭2026など、都市の裏側や再開発の現場を市民に開いていく試みも始まっています。 再開発エリアを案内しながら、そのデザインの意図や裏側にある計画を解説するガイドツアーは、「都市は誰のものか」を考える入り口として注目されています。
今後、東京の再開発は、老朽化したインフラの更新や防災の観点からも、一定の規模で続いていくと考えられます。そのプロセスの中で、
- 市民が意思決定にどれだけ参加できるのか
- 地元の生活や歴史が、どのようにデザインに反映されるのか
- 建築家が資本や権力に対して、どれほど批判的なまなざしを持てるのか
といった点が、これまで以上に重要になっていきます。
隈研吾さんと山本理顕さんという、現代日本を代表する建築家同士の議論は、その入口に過ぎません。今回の論争をきっかけに、「建築家と権力」「金融商品化する都市」「東京の再開発の大問題」というテーマを、専門家だけでなく市民も一緒に考えていくことが求められています。
静かに進む再開発の裏側で、私たちの暮らしや街の未来がどのように形づくられているのか。そのプロセスを見つめ直し、ときに問いを投げかけていくことこそが、これからの東京にとって大切な「デザイン」なのかもしれません。



