阪神淡路大震災から31年――「忘れない」を「つむぐ」取り組みが各地で進む
阪神淡路大震災から31年を迎えようとしている今、兵庫県や周辺地域では、震災の記憶を伝え続ける取り組みが改めて注目されています。
阪神高速による「震災資料保管庫」の公開、亡くなった子どもたちの“生きた証し”を残そうとする遺族の歩み、そして鳥取から神戸へ届けられる竹灯籠――。
それぞれの場所で、一人ひとりの「忘れない」という思いが、静かに、しかし確かに受け継がれています。
阪神淡路大震災とは――31年目を迎える大災害の記憶
阪神淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分に発生した、マグニチュード7.3の大地震です。兵庫県南部を中心に、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市など広い範囲で甚大な被害が出ました。
建物の倒壊や火災、高速道路や鉄道の崩落といったインフラ被害に加え、6434人もの尊い命が失われました。
あれから31年。神戸の街は大きく復興し、高層ビルや新しい商業施設、再整備された港湾エリアなど、日々のにぎわいを取り戻しています。しかし、その一方で、街角には今も震災の痕跡や、被害を伝えるモニュメントが残され、あの日の記憶を静かに語り続けています。
年月が経つにつれ、当時を知る人の年齢は上がり、震災を知らない世代も増えています。そうした中で、「どうやって震災の記憶と教訓を伝えていくのか」が、今、大きな課題となっています。
阪神高速「震災資料保管庫」公開――崩落の教訓を未来へ
その一つの答えが、阪神高速道路による「震災資料保管庫」の公開です。
阪神淡路大震災では、神戸市などを通る高速道路が大きく損壊し、とりわけ高架橋の倒壊は、世界にも衝撃を与えました。倒れた橋脚や、ねじれた鋼材の映像を覚えている方も、多いのではないでしょうか。
阪神高速では、震災で被害を受けた構造物の一部や、当時の写真、設計資料などを保管し、耐震補強や構造改善の検討に活用してきました。
今回公開された「震災資料保管庫」は、そうした資料を体系的に保存・展示し、技術者だけでなく、一般の人にも震災の被害と復旧の歩みをわかりやすく伝える場として整備されたものです。
展示されているのは、例えば次のような資料です。
- 損傷した橋脚や桁(はり)の実物断片
- 当時の現場写真や航空写真
- 崩壊前後の設計図・補強図面
- 復旧・復興工事の記録、技術報告書
これらは単なる「過去の遺物」ではなく、現在進行形の防災・減災の教材でもあります。
なぜ崩壊したのか、どのような設計上の前提が不足していたのか、その反省は、耐震基準の見直しや補強工事に反映されました。
そして今も、大地震が起きたときの構造物の挙動を考えるうえで、かけがえのない実証データとなっています。
「震災資料保管庫」が一般に公開されることにより、市民や学生が、教科書だけでは伝わりにくい「本物の重み」に触れられるようになります。
壊れたコンクリートの断面、曲がった鉄筋を目の前にすると、「あの日、ここで何が起きたのか」を、自分事として考えずにはいられません。
「のんちゃんの生きた証し」を残す――遺族がつなぐ記憶
震災を語り継ぐ取り組みの中でも、とりわけ心に迫るのが、亡くなった一人ひとりの“物語”を伝える試みです。
「手から、手へ 記憶をつなぐ」と題した連載では、その一つとして「のんちゃん」と呼ばれた少女の足跡が紹介されています。
「のんちゃん」は、震災で命を落とした子どもの一人です。
31年という歳月の中で、家族は「生きていた証しを残したい」「名前を呼び続けたい」という思いから、日記や写真、友人との文通、通っていた学校の記録など、さまざまな資料を集めてきました。
それは、決して簡単な作業ではありません。悲しみと向き合いながら、一つひとつの記憶を拾い上げる作業でもあるからです。
この連載では、遺族が大切に保管してきた手紙や作品、当時の写真を通して、「のんちゃん」がどんな子どもだったのか、どんな夢を持っていたのかが丁寧に描かれています。
震災の報道では、犠牲者数という「数字」が語られることが多い一方で、その一人ひとりが持っていた日常や未来の可能性は、どうしても見えにくくなってしまいがちです。
「のんちゃんの生きた証しを残す」という行為は、数字ではなく「顔のある命」として震災を見つめ直す営みだと言えます。
そして、その物語を他の人に手渡していくことで、「あの日の悲しみ」を、「これからの命を守る力」へと変えていこうとしています。
遺族のこうした歩みは、「語る側」にも「聞く側」にも、決して楽なものではありません。しかし、誰かが耳を傾け続ける限り、その命は「今を生きる私たちの中で生き続ける」とも言えます。
「手から、手へ」という言葉には、そうした人と人とのつながりへの静かな願いが込められています。
鳥取から神戸へ――500本の竹灯籠に込められた祈り
震災の記憶をつなぐ輪は、兵庫県の外にも広がっています。
鳥取県東部森林組合は、1月17日に神戸で行われる追悼行事に向けて、500本の竹灯籠を制作し、神戸へ届ける取り組みを続けています。
竹灯籠は、長さをそろえた竹の表面に穴を開け、そこからこぼれる明かりで言葉や模様を浮かび上がらせるものです。
神戸の東遊園地などで開催される「1.17のつどい」では、毎年、竹や紙の灯籠を並べて文字を形づくり、犠牲者を追悼しています。
2026年の「1.17のつどい」で灯籠が形づくる言葉は「つむぐ」に決まりました。
「つむぐ」には、「震災を知らない世代が増える中で、当時の記憶や教訓を誰かと分かち合いながら、未来につないでいく」という願いが込められています。
この言葉に思いを重ねるように、鳥取から届けられる500本の竹灯籠も、神戸の夜を柔らかい光で照らし出します。
竹灯籠づくりには、多くの人が関わります。
- 竹の伐採・加工を行う森林組合の職員
- デザインや穴あけ作業を担当する地域のボランティア
- 安全に会場へ運び、並べる人たち
一本一本の竹に向き合いながら、参加者は自然と「どんな言葉を刻もうか」「どんな思いを届けようか」と、震災のことを考えます。
灯籠の光は、遠く離れた土地からの「寄り添い」と「連帯」の象徴とも言えるでしょう。
鳥取もまた、過去に大きな地震を経験した地域です。
自らも揺れを知る土地から、神戸へ送られる灯りには、「被災地と被災地が支え合う」という意味も込められています。
こうした地域間のつながりが、災害大国・日本における「支え合いの文化」を育てていきます。
「1.17のつどい」と各地のイベント――防災・減災へとつなぐ動き
阪神淡路大震災の発生から31年となる1月17日には、神戸市中央区の東遊園地で、毎年恒例の追悼行事「1.17のつどい」が開かれます。
会場には、竹や紙で作られた灯籠が並べられ、公募で選ばれた文字を形づくります。
2024年は「ともに」、2025年は「よりそう」、そして2026年は「つむぐ」――。震災を経験した神戸から、その時々の思いが全国に発信されてきました。
2026年は土曜日とあって、主催者は約6万人の来場を見込んでいます。早朝の黙とうや献花、メッセージ記入のブース、防災に関する展示などを通じて、多くの人が静かに祈り、そして防災への思いを新たにします。
また、神戸市内では、震災31年にあわせて、防災意識を高めるさまざまな催しも予定されています。
例えば、コミスタこうべでは、1月25日に「みんなの防災訓練」が開催されます。炊き出し訓練や救出・搬送訓練、心肺蘇生やAEDの使い方など、実践的なプログラムが用意されており、子どもから大人まで、体験を通して防災を学ぶことができます。
さらに、こうべまちづくり会館では、「今こそ神戸から伝えられること」をテーマにした「こうべあいウィーク2026」も計画されています。
震災復興の歩みや災害遺構の紹介、非常食の展示・試食、防災ゲーム「クロスロード」体験など、楽しみながら学べる企画を通して、「まち」と「防災」を一緒に考える機会を提供しています。
これらのイベントに共通するのは、単なる追悼にとどまらず、「命を守る行動につなげる」という視点です。
あの日の教訓を、今と未来の行動にどう生かすのか――その問いに、地域全体で向き合っている姿が見えてきます。
震災を知らない世代へ――「つむぐ」というメッセージ
2026年の「1.17のつどい」のキーワードに選ばれた「つむぐ」には、深い意味が込められています。
実行委員会によると、全国から41件の応募があり、その中から選ばれたこの言葉には、「震災を知らない世代が増える中、記憶や教訓を誰かと分かち合いながら未来につないでいく」という思いが託されています。
震災から31年が経ち、当時を知らない子どもや若者は確実に増えています。
学校で防災の授業を受けることはあっても、「自分の暮らす街で、ほんとうにあんな大きな地震があったのか」と、実感を持てない人も少なくありません。
だからこそ、今必要なのは、「教え込む」のではなく、「一緒に考える」語り継ぎです。
- 壊れた高速道路の構造物を見ながら、「どうしたら守れたか」を考える
- 「のんちゃん」の物語を通して、一人の命の重さを感じる
- 竹灯籠のあたたかな光を見つめながら、「自分にできる備え」を考えてみる
こうした時間の積み重ねは、いつか自分や身近な人の命を守る行動へとつながります。
「つむぐ」という言葉は、まさにそうした「人と人」「過去と未来」をつなぐ行為そのものを表しているのではないでしょうか。
「忘れない」ために、今できること
阪神淡路大震災から31年を前に、各地で進む取り組みは、とても多彩です。
- 高速道路の震災資料保管庫で、構造物の被害と教訓に触れる
- 「のんちゃん」のような一人ひとりの物語に耳を傾ける
- 鳥取からの竹灯籠の光に、遠くから寄せられる祈りを感じる
- 追悼行事や防災訓練、まちづくりイベントに参加して、備えを「自分事」にする
どれも、「大げさなこと」ではないのかもしれません。
けれども、そうした一つひとつの行動が、「震災を風化させない」ための確かな一歩になります。
私たちにできることは、決して特別なことだけではありません。
- 家族で避難場所や連絡方法を話し合ってみる
- 自宅の家具の固定や備蓄を見直す
- 震災や防災について書かれた記事や本を、子どもと一緒に読んでみる
- 追悼行事のニュースに触れたとき、少しだけ立ち止まって、静かに祈る
その小さな積み重ねこそが、「あの日のいのち」に応えることなのかもしれません。
阪神淡路大震災で失われた多くの命、奪われた日常、そして必死に生き抜いてきた人々の物語を、これからもやさしく、丁寧に「つむいで」いくことが求められています。
31年目の1月17日を迎える神戸の街には、今日も人々の暮らしがあります。
その足元には、震災の経験から生まれた数えきれない教訓と、支え合いの物語が眠っています。
阪神高速の資料保管庫に並ぶコンクリート片も、「のんちゃん」の写真も、鳥取から届く竹灯籠も――。
すべては、「もう二度と同じ悲しみを繰り返さないために」という、静かで強い願いの表れです。
その願いに耳を傾けることから、私たち一人ひとりの「防災」が始まります。
震災を知らない世代も、知っている世代も、ともに手を取り合いながら、これからの30年、50年へと、記憶と教訓を「つむいで」いきたいものです。



