明治時代まで「日本人」は存在しなかった? 新政府が1000年前の戸籍制度を“リサイクル”した戦略とは
みなさん、こんにちは。今日は、最近話題になっている興味深いニュースについてお話しします。タイトルにあるように、「明治時代まで『日本人』は存在しなかった?」という衝撃的な話です。このニュースは、遠藤正敬さんの著書『戸籍の日本史』を基に、明治政府が古代の戸籍制度を活用して国民国家を作ったという内容です。江戸時代までの日本では、現代のような「日本人」という統一された身分がなく、明治維新後に新政府が戦略的に戸籍を整備したそうですよ。わかりやすく、優しいお話でご説明しますね。
まず、戸籍って何? 現代の私たちの生活に欠かせないもの
戸籍は、私たちの家族関係や身分を証明する大事な公的書類です。結婚したり、相続したり、海外旅行のビザを取ったりする時に、必ず必要になりますよね。実は、この戸籍制度は古代から続いている日本独特のシステムなんです。日本では、6世紀頃から始まったと言われていて、世界でも珍しい長い歴史を持っています。
ニュースで注目されているのは、明治時代に新政府が「壬申戸籍(じんしんこせき)」という新しい戸籍を作った点です。この戸籍が、すべての人が「日本人」として登録される初めての全国的なものだったんです。それまでは、身分ごとに管理がバラバラで、統一された「国民」という意識がなかったんですよ。
古代日本:戸籍の始まりは1000年以上前! 大化の改新から
戸籍の歴史を振り返ってみましょう。最初は飛鳥時代、645年の大化の改新(たいかのかいしん)からです。この時、中国の影響を受けて、天皇中心の律令国家を作ろうとしました。人民や農地を管理し、税金や兵役を課すために、戸籍が作られたんです。
特に有名なのが、670年の「庚午年籍(こうごねんじゃく)」です。これが日本で最初に作られた全国的な戸籍で、6歳以上の男女を口分田(みんなに平等に分ける田んぼ)に基づいて登録しました。目的は、班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)という土地分配制度を支えること。人民を支配・管理するためのツールだったんですね。
この古代の戸籍は、税と徴兵が主な役割でした。みんなが「国民」として意識されるものではなく、単なる管理簿でした。それが、明治政府が後で「リサイクル」した大事な遺産になるんです。
江戸時代:戸籍の名前はないけど、似たような管理がしっかり
江戸時代になると、徳川幕府が人民をきっちり管理します。でも、「戸籍」という名前は使わず、「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」や「過去帳」がその役割を果たしました。これらは、寺院や五人組頭、家主が管理していたんですよ。
なぜ寺院が? それは、1637年の島原の乱でキリスト教徒の大反乱が起きた後、幕府が鎖国政策を強化し、寺請制度(てらうけせいど)を始めたからです。みんながお寺の檀家(信徒)であることを証明し、キリスト教を根絶するためです。宗門人別改帳には、家族構成、生年月日、職業、血縁関係、所属寺院が書かれていました。
例えば、丁稚奉公(人足奉公)で村を出る時は、寺請証文(てらうけしょうもん)をもらって新しい寺で手続きをしなければなりませんでした。お寺が今でいう役所のような役割をしていたんです。過去帳は寺や家に残る私的な記録で、公的ですが藩が直接管理しない点が違います。
武士は「分限帳(ぶんげんちょう)」という名簿、農民・町人は宗門帳で管理。身分制度が厳しく、農民や町民は基本的に「氏(苗字)」を名乗れませんでした。武士だけが氏を名乗れたんです。
江戸後期になると、租税や警察の目的も加わり、現行戸籍の基礎ができました。幕末近く、1825年(文政8年)に長州藩(今の山口県)で近代的な戸籍法が施行され、これが全国に広がるきっかけになりました。
明治維新:新政府の大きな挑戦! 「日本人」を作るために
ここでニュースの核心です。明治維新後、新政府は江戸時代までの封建社会をぶっ壊し、近代国家を目指しました。でも、問題がたくさん。全国に270以上の藩があり、身分は士農工商でバラバラ。統一された国民意識がありませんでした。「日本人」という言葉自体、現代のような意味で使われていなかったんです。
そこで、新政府は1871年(明治4年)に戸籍法を出し、1872年に「壬申戸籍」を編製しました。これは、皇族から平民までを「戸」を単位に一元管理する初めての全国戸籍です。江戸時代の宗門人別改帳を基に、庄屋(名主)を戸籍編成掛に任命して素早く作りました。
なぜ1000年前の古代戸籍をリサイクル? 戦略的な理由は大きく2つあります。
- 国民統合のため:バラバラの帰属意識をまとめ、「日本人」という法的な身分を創出。すべての人が同じ登録簿に入ることで、国民国家の基盤を作りました。
- 富国強兵のため:人口を正確に把握し、税金(徴税)と兵役(徴兵)を徹底。近代軍隊と経済基盤を築くのに不可欠でした。
壬申戸籍は、印鑑証明や地券発行も兼ね、複雑でしたが、画期的でした。以後、明治5年式戸籍、明治19年、31年、大正4年と様式が変わり、「家」を基本単位とする家制度が確立。戸主が一家の責任者で、身分関係は別途「身分登記簿」に記されました。
戦後:現代戸籍へ。家制度から家族単位へ変わった
戦後、1948年(昭和23年)に新戸籍法が施行され、家制度が廃止されました。それまでは「家」が単位で戸主権がありましたが、今は夫婦と子ども(2世代)が基本。「戸主」は権限のない「筆頭者」に変わりました。これが現在の戸籍です。
江戸時代の宗門帳から壬申戸籍へ、そして現代へ。戸籍はいつも時代に合わせて進化してきました。
遠藤正敬さんの『戸籍の日本史』が教えてくれること
このニュースの元ネタは、遠藤正敬さんの『戸籍の日本史』です。本書では、戸籍を通じて日本の国家形成史を詳しく解説。明治政府が古代の知恵を借りて「国民」を生み出した戦略を明らかにしています。読むと、私たちのアイデンティティが戸籍で作られた面白さがわかりますよ。
江戸時代まで「日本人」が存在しなかったというのは、厳密には「現代的な国民としての日本人」がいなかったという意味です。身分ごとに管理され、統一意識が薄かったんです。新政府の戸籍が、それを一気に変えたんですね。
なぜ今、このニュースが話題? 私たちに何を教えてくれる?
2025年12月29日現在、この話がSNSやメディアでバズっています。理由は、日本人のルーツや国家の成り立ちに興味が集まるから。戸籍は今も相続や選挙で大事ですが、その裏にこんな歴史があったなんて驚きです。
身延町の資料などからも、江戸時代の宗門改めが明治戸籍の基礎だったことがわかります。寺が管理から国へ移行した流れが面白いですね。
みなさんも、自分の戸籍謄本を見てみてはいかが? そこに古代からの歴史が詰まっていますよ。このニュースを通じて、日本の伝統の深さを改めて感じてくださいね。
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