映画『国宝』ブームの陰の立役者・中村壱太郎 女形がひらいた新しい歌舞伎と映画の未来
2025年、邦画界の話題をさらった映画『国宝』。報知映画賞で4冠を達成し、興行面でも社会現象級のヒットとなったこの作品のブームの裏側には、ある一人の歌舞伎俳優の存在があります。中村壱太郎(なかむら・かずたろう)。映画の所作指導を担い、自らも日本舞踊家として伝統芸能と現代映像表現の架け橋となっている存在です。今回は、『国宝』をめぐる受賞ラッシュや世界への広がりとともに、中村壱太郎という人物に焦点を当てて、このムーブメントの意味を丁寧にひもといていきます。
『国宝』、報知映画賞で4冠の快挙 邦画好調の象徴的作品に
2025年の映画界を振り返るとき、真っ先に名前が挙がるのが李相日監督の映画『国宝』です。作品は、歌舞伎をはじめとする日本の伝統芸能を背景に、人間の情念や芸を極める者たちの生き様を描いた本格派ドラマとして高く評価されました。その評価を象徴する出来事が、報知映画賞における4冠達成です。
同賞では、主演の吉沢亮さんが主演男優賞に輝き、作品賞や監督賞など、主要部門を次々と受賞しました。授賞式で吉沢さんは、「自分ひとりの力ではなく、共演者やスタッフ、そしてエキストラのみなさんのおかげで、あの瞬間だけは歌舞伎役者になれた気がしました」と感謝を述べ、特に多数のエキストラが作り出した「場の力」が、歌舞伎の世界を映画の中に立ち上げてくれたと振り返りました。このコメントは、映画『国宝』がスター俳優だけに頼らず、総合芸術として成立している作品であることを物語っています。
興行面でも、『国宝』は公開から110日で観客動員数1066万人、興行収入150億円を突破する大ヒットとなりました。[2]さらに、第98回米アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表作品にも選出され、国内外での注目度は一気に高まりました。[2]
この成功は、2025年の「邦画好調」を象徴する出来事としても位置づけられています。回顧記事では、「常識を破った大ヒット」「多様性が支えた邦画の躍進」といった評価がなされ、ジャンルや表現の幅が豊かになったことが、観客の支持につながったと分析されています。歌舞伎という伝統芸能を題材にしながら、現代の観客にも届くドラマ性とビジュアルを備えた『国宝』は、その代表格といえるでしょう。
トム・クルーズも感銘 ハリウッドでの異例の上映会
『国宝』の勢いは日本国内にとどまりません。ハリウッドでも作品への注目が高まり、トム・クルーズさんが中心となって行われた特別上映会が話題を呼びました。これは、俳優渡辺謙さんからトム・クルーズさんに送られた一通の手紙がきっかけだったと報じられています。
手紙には、日本の伝統芸能を真正面から描いた『国宝』という作品の意義、そしてそこに込められた俳優・スタッフたちの情熱が綴られていたとされます。そのメッセージに心を動かされたトム・クルーズさんは、自身の人脈を活かしてハリウッドでの上映会を実現。通常、日本の芸能を扱った作品がここまで積極的に売り込まれることは珍しく、「異例のプロモーション」として注目を浴びました。
上映会に参加した映画関係者からは、「日本の古典芸能がこんなにもドラマチックに、かつ普遍的なテーマとして描かれていることに驚いた」「身体表現や所作が非常に洗練されていて、美しい」といった感想が寄せられたと伝えられています。ここで高く評価された「所作」の美しさこそ、まさに中村壱太郎が作品にもたらした大きな要素の一つです。
中村壱太郎とは誰か? 名門に生まれた若き歌舞伎俳優
映画『国宝』の成功の陰にいるキーパーソンとして、近年メディアでの露出が増えているのが中村壱太郎です。壱太郎さんは、歌舞伎俳優四代目中村鴈治郎さんの長男であり、祖父に人間国宝の四世坂田藤十郎さんを持つ名門の出身です。[2]
1991年11月に初お目見得を果たし、1995年1月に初代中村壱太郎を名のって初舞台を踏みました。[2]さらに、日本舞踊吾妻流の家元を継ぐ立場にもあり、2014年9月には吾妻流七代目家元「吾妻徳陽」を襲名。[2]歌舞伎俳優でありながら、日本舞踊家としても高い評価を受けています。
近年は国内の歌舞伎公演だけでなく、海外公演や映像作品にも活動の場を広げており、現代劇への出演や現代アートとのコラボレーションなど、新たな挑戦を続けています。[2]こうした幅広い活動が評価され、壱太郎さんは「Forbes JAPAN カルチャープレナーアワード 2025」を受賞。[2]文化とビジネスのあいだで新たな価値を生み出す「カルチャープレナー」として、国際的にも注目される存在となりました。
映画『国宝』で“所作指導”を担当 名前は「吾妻徳陽」として
映画『国宝』において、壱太郎さんは所作指導として深く作品に関わりました。クレジット上では日本舞踊家としての名義である「吾妻徳陽」の名前で参加し、俳優たちの立ち居振る舞いや舞踊シーンの振付、細かな身のこなしまでを監修しています。[2]
『国宝』は、日本舞踊や歌舞伎舞踊の美しさを映像に落とし込んだ作品であり、その説得力の裏側には、長年伝統の現場で磨き続けられてきた壱太郎さんの経験があります。たとえば、クライマックスで描かれる歌舞伎舞踊の場面では、足運び、扇の扱い、目線の送り方に至るまで、役柄ごとの心情に即した細やかな違いが表現されています。こうした「身体の言葉」は、所作指導なしには生まれ得なかった要素です。
さらに、壱太郎さんは現場で俳優たちに直接レクチャーを行い、伝統芸能に馴染みのなかったキャストにも、役として自然に見える所作を身につけさせていきました。その積み重ねが、吉沢亮さんの「あの瞬間だけ歌舞伎役者になれた」というコメントにもつながっていると言えるでしょう。
「女形」の魅力と未来を語るプレミアム講座
映画の大成功とともに、壱太郎さん自身の活動にも注目が集まっています。2025年11月18日には、朝日カルチャーセンター新宿教室で「プレミアム講座・中村壱太郎が語る『女形』の魅力~映画『国宝』からART 歌舞伎『道成寺』まで~」と題した特別講座が開催されました。[2]
この講座には、映画『国宝』の原作である吉田修一さんの小説『国宝』を監修した早稲田大学教授の児玉竜一さんも登壇し、歌舞伎研究の第一人者として解説役を務めました。[2]会場では、『国宝』の映像と歌舞伎舞台、さらに現代芸術とのコラボレーションを試みた「ART 歌舞伎 道成寺」などが取り上げられ、女形(おんながた)の表現がどのように受け継がれ、どのように未来へと開かれていくのかが語られました。[2]
壱太郎さんは、自身が女形として舞台に立つ経験と、『国宝』で所作指導を行った立場を交えながら、「映像と舞台、古典と現代が交錯する表現に挑む意味」について言及しました。[2]女形という、男性が女性の役を演じる独特の表現は、単なる性の代替ではなく、「理想化された女性性」「身体を通じて表現される美意識」といった、日本文化特有の奥行きを持っています。その魅力を、映画や現代アートのフィールドへどう橋渡ししていくのか——講座は、その試行錯誤と手応えを共有する場となりました。
Forbes JAPANで語った「真の革新」と『国宝』
壱太郎さんは、ビジネス誌『Forbes JAPAN』でも、映画『国宝』と伝統芸能についての考えを語っています。カルチャープレナーアワードの特集号では、京都の老舗帯メーカー出身でカルチャープレナーとして活躍する細尾真孝さんとの対談が組まれ、表紙も飾りました。[3]
対談の中で壱太郎さんは、『国宝』のポスターに触れ、「演目『二人道成寺』には本来、二人が向かい合う場面はないのに、ポスターでは二人が左右対称に配置されていて驚かされた」と語っています。[3]ここには、伝統の形式を尊重しながらも、現代的なビジュアル表現として新たな解釈を加えるという、「革新」の一つのあり方が示されています。
また、3時間という長尺にもかかわらず、観客を「映画館の椅子に釘づけ」にするような作品が生まれたことについて、壱太郎さんは「大きな意味を持つ素晴らしさだ」と評価しました。[3]ここには、伝統芸能というと「難しそう」「敷居が高い」と感じがちな観客にも、強い物語性と映像の力で訴えかける作品作りへの期待が込められています。
対談全体を通して壱太郎さんが語るのは、「伝統=保守」ではなく、伝統の強さこそが本当の革新を生む土台になるという視点です。何百年も続いてきた型や美意識を深く理解したうえで、それを現代にどう活かし、どう変奏するか——映画『国宝』は、その試みが作品として結実した一例と言えるでしょう。
大阪松竹座での特別対談 映画『国宝』と歌舞伎舞台が交わる瞬間
映画の世界と歌舞伎の舞台がより直接的に交わる場として、2025年12月17日に大阪松竹座で開催される特別イベントも注目されています。これは、「壽 初春歌舞伎特別公演」開催を記念したもので、映画『国宝』と歌舞伎演目『京鹿子娘道成寺』をテーマにしたトークイベントです。[1]
この企画は、2026年1月に大阪松竹座で上演される「壽 初春歌舞伎特別公演」で、『国宝』に登場する演目「二人道成寺」の元となった『京鹿子娘道成寺』を上演することにちなむものです。[1]舞台では、中村鴈治郎さんが大舘左馬五郎を、中村壱太郎さんが白拍子花子を勤めることが決まっています。[1]
イベントには、映画『国宝』で吾妻千五郎役を演じ、同時に歌舞伎指導も務めた中村鴈治郎さん、吾妻流家元・吾妻徳陽として振付や所作指導に携わった壱太郎さん、そして李相日監督が登壇します。[1]撮影時のエピソードや裏話、そして「壽 初春歌舞伎特別公演」の見どころなど、映画と舞台の両側面から『国宝』と「道成寺」を語り合う貴重な場になる予定です。[1]
会場は大阪松竹座、開演は11時から約90分。[1]事前応募制で、約900名の観客が招待されます。[1]スマートフォンを含む録音・録画・撮影は禁止されており、その場にいる人だけが聞ける濃密なトークが期待されています。[1]
「国宝」ブームが照らす、多様性と日本文化のこれから
映画『国宝』の大ヒットと、その周辺で起きているさまざまな動きは、単なる一作品の成功にとどまらず、日本文化と多様性をめぐる新しい潮流を映し出しています。回顧記事で語られる「邦画好調」「多様性が支えた大ヒット」という言葉の背景には、次のようなポイントが見て取れます。
- 題材の多様化:アクションや恋愛だけでなく、歌舞伎や日本舞踊といった伝統芸能を正面から描く作品が観客に受け入れられたこと。
- 表現者の多様化:映画界と歌舞伎界、日本舞踊界、現代アート界など、異なるフィールドの人々が協働することで、新しい表現が生まれていること。
- 観客の多様化:伝統芸能に馴染みのない若い世代や海外の観客が、『国宝』をきっかけに日本文化に興味を持ち始めていること。
その中心で活躍する中村壱太郎さんは、まさにこの「多様性の結節点」に立つ存在だと言えます。名門歌舞伎一門の出でありながら、現代劇や映像作品にも挑戦し、日本舞踊家として海外との交流も重ねる。[2]さらに、Forbes JAPANでカルチャープレナーとして紹介されるように、文化を新しいかたちで社会に接続する役割も担っています。[2][3]
トム・クルーズさんらハリウッドの映画人が『国宝』に感銘を受けたことは、日本の伝統芸能が「ローカルな特殊文化」ではなく、「世界に届く普遍的な物語」として語りうることを示しています。その普遍性を支えているのが、壱太郎さんのように、伝統を深く理解しつつ、現代的な感性で翻訳する存在なのかもしれません。
報知映画賞での4冠、邦画回顧で語られる大ヒット、ハリウッドでの異例の上映会、そして歌舞伎座やカルチャーセンターでのイベント——これら一連の出来事は、バラバラのニュースではなく、一つの大きな流れとしてつながっています。その流れの中で、「壱太郎」というキーワードは、伝統と革新、多様性と日本文化を結びつける象徴として、これからますます重要な意味を帯びていくでしょう。




