新木優子も出演の「良いこと悪いこと」、“ドの子”瀬戸紫苑の登場で考察合戦が過熱
日本テレビ系で放送中の土曜ドラマ「良いこと悪いこと」。
間宮祥太朗さんと新木優子さんがW主演を務めるノンストップ考察ミステリーとして話題を集めています。
物語は、22年前の小学校のいじめと、現在起きている連続殺人事件が複雑に絡み合う構成で、毎話ごとに新たな謎と手がかりが明かされていくスタイルが大きな魅力となっています。
そんな本作で、今もっとも注目を集めているキーワードが「ドの子」、そしてその正体とされる瀬戸紫苑(せと・しおん)の存在です。
第8話のラストで「もう一人の“ドの子”」がいたという衝撃の事実が判明し、SNSでは考察と推理が一気にヒートアップしています。
「良いこと悪いこと」とはどんなドラマ?
「良いこと悪いこと」は、2025年10月11日から日本テレビ系の土曜21時枠で放送されている連続ドラマです。
主演は間宮祥太朗さんと新木優子さんのW主演で、「視聴者参加型」とも言える考察ミステリーとして高い注目を集めています。
物語の軸になっているのは、22年前の小学校6年1組で起きていたいじめと、そのクラスの同級生たちを狙う現在の連続殺人事件です。
当時、クラスメイトたちは、ある同級生を「どの子」と呼び、将来の夢を描いた絵をもとに残酷ないじめを繰り返していました。
ドラマでは、いじめをしていた側・いじめられていた側、そして見て見ぬふりをしていた側など、それぞれの立場にいた元同級生たちが、22年後に再び向き合わざるを得ない状況に追い込まれていきます。
「良いこと」と「悪いこと」の境界線、過去の罪とどう向き合うのかという重いテーマを、ミステリーの枠組みの中で描いている点が特徴です。
“どの子”と“ドの子”——似て非なる2つの存在
本作を語るうえで欠かせないのが、「どの子」と「ドの子」という、よく似た2つの呼び名です。
この2つは同じように聞こえますが、ドラマの中で別の意味を持つ存在として描かれています。
- 「どの子」:6年1組でいじめの標的となっていた猿橋園子のあだ名
- 「ドの子」:字幕などでカタカナ表記される、別のいじめのターゲットを指す可能性が高い存在
つまり、「どの子」は視聴者が序盤から認識していた園子のあだ名である一方、「ドの子」は、物語の背景に隠れていたもう一人の被害者がいたことを示すキーワードとして登場してきたのです。
第8話ラストで判明した“もう一人のドの子”瀬戸紫苑
第8話のラストでは、これまで断片的に示されてきた「ドの子」の正体に大きく迫るシーンが描かれました。
教室で当時のDVD映像を見ていた高木に、同級生だった森智也が「思い出しましたか」と声をかけます。
隣にいた園子が「誰ですか?」と尋ねると、森は静かに「ドの子」と答え、高木は「もう1人の……ドの子……」とつぶやきます。
その視線の先、DVDの画面の中に映っていたのが、瀬戸紫苑と名乗る少女でした。
彼女は「私の夢は、ピアニストになることです」と語り、将来の夢の絵とともに紹介されています。
このシーンによって、視聴者は初めて「“ドの子”瀬戸紫苑」という具体的な名前と顔を持つ存在を認識することになりました。
瀬戸紫苑は何者なのか?小学生時代に何があったのか
では、この瀬戸紫苑とはいったい何者なのか。
ここで重要になってくるのが、物語の中で描かれてきた回想シーンや、SNS上での視聴者の考察です。
ドラマでは、22年前の小学生時代の場面として、クラスメイトの羽立がピアノの工作物を壊してしまうシーンが描かれています。
このエピソードは5年生のときの出来事だとされており、DVDの映像で「将来の夢はピアニスト」と語っていた紫苑の工作物だったのではないか、という指摘がなされています。
つまり、ピアノにまつわるエピソードと紫苑の夢が結びついており、紫苑がいじめの標的になっていた可能性がより濃厚になっているのです。
さらに、第8話では小学生時代の森が、ホームページの掲示板を見ているシーンも登場します。
そこには「明日、どの子無視しようぜ」「ドの子のリコーダー触らない方がいいよ」といった書き込みがあり、これらが紫苑に向けられた悪口だったと考えられています。
このことからも、「ドの子」と呼ばれていた瀬戸紫苑が、クラスの中で深刻ないじめを受けていたことはほぼ間違いないと見られています。
また、6年生のときに転校してきた園子が紫苑の存在を知らなかったことから、
紫苑はいじめが原因で不登校になった、あるいはどこかへ転校してしまったのではないかという推測も語られています。
ドラマ内で明言はされていないものの、紫苑の行方不明や死の可能性まで含め、視聴者の間ではさまざまな憶測が飛び交っている状況です。
「ドの子」は真犯人なのか、それとも…?
連続殺人事件をめぐるミステリーの中心に「ドの子」という存在が浮かび上がったことで、「紫苑=真犯人なのではないか」という見方も一部では出ています。
しかし、考察記事やSNSでは、これについては慎重な見方が多くなっています。
第8話の時点で、「瀬戸紫苑=“もう一人のドの子”という線は物語上かなり有力であるものの、『真犯人かどうか』はまだ確定していない」と指摘する声もあります。
むしろ、「ドの子本人が犯人なのではなく、その家族や親友など、紫苑に近しい人物が復讐を遂行しているのではないか」という考察が多く見られます。
この背景には、本作が「いじめ」をテーマにしていることがあります。
いじめによって深く傷つけられた子どもと、その周囲の大人たち、そして加害者・傍観者たちが、22年後にどう責任を取るべきなのかという問いが、ドラマ全体に通底しているからです。
森先生という“傍観者”の罪と葛藤
「ドの子」の存在と深く結びついている人物として、視聴者から注目されているのが、元同級生であり、現在は教師となっている森智也です。
森は、小学生時代にいじめの加害グループの一員でありながら、積極的に止めることもできなかった“傍観者”として描かれています。
第8話では、「僕は何もしなかった。ホームページを消すことだって……本当は助けたかったんだ……」と涙ながらに語る印象的なシーンがありました。
この場面からは、森が自分を「被害者でもあり加害者でもある存在」として捉えきれず、「自分は悪くない」と言い聞かせながらも、心の奥で強い罪悪感に押しつぶされそうになっている複雑な心理が伝わってきます。
ドラマのテーマである「良いこと」と「悪いこと」のあいだには、はっきり線を引けないグラデーションが存在することを象徴しているのが、この森の姿とも言えます。
いじめの「加害者」と「傍観者」のあいだには曖昧な領域があり、どちらも後になってから後悔や自己嫌悪に苦しむことになる——その現実を、森というキャラクターを通して浮かび上がらせているのです。
「キング」と娘の花音が映し出す“やり直し”の可能性
いじめの加害者側として描かれる人物たちの中でも、特に印象的なのがキングと呼ばれるキャラクターです。
第8話では、キングが娘の花音に対して「俺、悪い子だったんだ」と打ち明けるシーンがありました。
それに対し花音は、「パパはいい子だよ。ちゃんと謝れば森先生も許してくれる」とまっすぐに答えます。
このやり取りは、「悪いことをした人間に、やり直すチャンスはあるのか」という、ドラマ全体の問いを凝縮したような場面として受け止められています。
キングだけでなく、森もまた、自分の中の「良い部分」と「悪い部分」の両方を抱え込みながら、どう生き直していくのかが問われている存在です。
紫苑の存在で“怪しさ”が増した3人と真犯人候補
「ドの子」瀬戸紫苑の登場によって、物語序盤から登場している何人かの人物への疑いも一気に強まりました。
考察記事では、「紫苑の現在」と、「彼女を取り巻く人物」に注目した分析が進められています。
第8話では、高木たちのグループに“7人目”として森智也の存在が判明し、同時にもう一人の“ドの子”瀬戸紫苑の存在が明かされる形で物語が終わりました。
これにより、視聴者のあいだでは、次回以降で明らかになるであろう真犯人候補が数名に絞られたという見方も出ています。
具体的な名前については作品上まだ明言されていませんが、
・紫苑と深い関わりがあったと思われる人物
・22年前のいじめに直接または間接的に関わっていた人物
・現在の事件の被害者・関係者に接点を持つ人物
といった条件から、視聴者の間では3人前後に候補を絞る考察も多く見られます。
一方で、「博士犯人説はミスリード」とする分析も登場しており、作中で怪しく描かれている人物がそのまま真犯人であるとは限らない、という視点も提示されています。
このように、制作側も意図的にミスリードを重ねているとみられ、最終的に誰が真犯人なのかは、依然として大きな謎のまま残されています。
OP映像に隠された“ドの子”の手がかり
「良いこと悪いこと」は、毎週変わるオープニング映像も大きな話題となってきました。
このOP映像の中には、ピアノの工作物、犬、音楽室の様子など、物語の鍵を握るモチーフが繰り返し登場しています。
SNS上では、紫苑がいじめられるきっかけとして、5年生のときに高木が助けた「犬」のエピソードが関わっているのではないか、という考察も挙がっています。
さらに、第9話の予告映像に登場する音楽室のシーンも、紫苑の過去と何らかの形で結びついているのではないかと注目されています。
OP映像に繰り返し挿し込まれるこれらのイメージから、多くの視聴者は「残り2話で紫苑と“ドの子”をめぐる真相が明かされるのではないか」と予測しており、物語のクライマックスに向けて期待が一段と高まっています。
「ドの子」が映し出す“良い子・悪い子”のあいだ
「ドの子」という、一見ふざけたようにも聞こえるあだ名の裏には、実はとても重いテーマが隠れています。
いじめの標的にされ、クラス全体から心ない言葉や行動を向けられた子どもたちの痛み、そしてそれを見て見ぬふりをした周囲の子どもや大人たちの罪悪感——。
本作は、それらを「良いこと」と「悪いこと」のあいだにあるグラデーションとして描き出そうとしています。
森は「自分は悪くない」と自分に言い聞かせながらも、「本当は助けたかった」と泣き崩れます。
キングは、自分の過去の「悪い子」としての行いを認め、娘から「ちゃんと謝れば許してもらえる」と言われることで、初めて“やり直し”の可能性を意識しはじめます。
そうした姿を通して、ドラマは「過去に悪いことをした人間に、もう一度やり直す機会はあるのか」という問いを、視聴者にも静かに投げかけているのです。
一方、瀬戸紫苑という“もう一人のドの子”の存在は、
・いじめがどれほど深い傷を残すのか
・その傷が22年後の現在にまで影響を及ぼしていること
を象徴的に示しています。
紫苑本人が今どこでどうしているのか、そして現在起きている連続殺人事件とどのようにつながっているのか——。
その答えが明らかになったとき、「良いこと悪いこと」というタイトルの本当の意味も、より立体的に見えてくるのかもしれません。
W主演の一角として物語を支える新木優子さんは、過去のいじめと向き合う登場人物たちの感情を、繊細かつ丁寧にすくい上げる演技で作品の世界観を支えています。
彼女が演じるキャラクターや、物語の鍵を握る“ドの子”との関係性がどのように描かれていくのかにも、引き続き注目が集まりそうです。



