ドイツ自動車業界を揺さぶった「ネクスペリア危機」—地政学的対立が露呈した中国依存の脆弱性

2025年10月、世界の自動車産業に激震が走りました。オランダの半導体メーカー・ネクスペリアの中国工場からの製品輸出が一時的に禁止され、自動車メーカーやサプライヤーが生産停止のリスクに直面したのです。この事件は、ドイツを中心とした自動車産業が、いかに中国への依存を深めていたかを浮き彫りにしました。

事件の発端—地政学的対立が引き起こした危機

問題の起点は9月30日、オランダ政府の一つの決断でした。オランダ政府は先端技術や知的財産の流出リスクなど安全保障上の懸念を理由に、ネクスペリアの経営権を強制的に接収すると発表したのです。ネクスペリアは中国のウイングテック・テクノロジーの傘下にあり、その経営を監督下に置くという措置でした。

しかし、オランダ政府が動くと、中国政府も素早く反応しました。わずか数日後の10月4日、中国商務省はネクスペリアの中国工場からの半導体輸出を禁止する措置を発動したのです。この報告は、ドイツの自動車メーカーや部品サプライヤーの経営者たちに大きな衝撃を与えました。

「産業のコメ」と呼ばれる重要な部品

なぜ、一つの半導体メーカーの問題がこれほど大きな影響を及ぼすのでしょうか。その答えは、ネクスペリアが製造する製品の性質にあります。

ネクスペリアが手がけるのは、ディスクリート半導体という、自動車の生産に欠かせない部品です。例えるなら、機械になくてはならないネジのような存在。先端的ではありませんが、自動車産業には絶対に必要な部品なのです。

その生産規模は驚くほど大きく、ネクスペリアは毎年約1100億個のディスクリート半導体を生産しており、そのうち約50%が自動車メーカーや部品サプライヤーに供給されています。年間売上高は約20億ユーロ(約3600億円)と推定されています。まさに自動車産業に欠かせない存在なのです。

中国依存の実態—生産・出荷の仕組み

では、ネクスペリアはどのような生産体制を取っていたのでしょうか。

興味深いことに、ネクスペリアの生産はオランダと中国に分かれていました。具体的には、ドイツのハンブルク工場でウエハー(半導体の生産に使われる円盤状の薄い基盤)を製造し、それを中国・東莞市の工場に輸出していました。中国工場では、この部品を半導体として組み立て、パッケージングを行った後、欧州、アジア、アメリカの自動車メーカーや部品サプライヤーに輸出していたのです。

なぜこのような体制だったのか。中国でのパッケージング処理は、欧州に比べて人件費が大幅に安いためだと考えられます。つまり、ネクスペリアの製造能力の過半が中国に依存していたという構図が成り立っていたのです。

自動車産業に襲いかかった危機

中国政府の輸出禁止措置が発動された時点で、事態は深刻化しました。ネクスペリア製品を使用していた自動車メーカーや部品メーカーは、生産停止や減産を余儀なくされ、市場への新車の供給が一時的に停滞することになったのです。

ドイツの自動車メーカーやサプライヤーは、この危機の中で、自分たちがいかに中国への依存を深めていたかを痛感させられました。一つの禁止措置が、世界規模の自動車産業全体に影響を与える可能性があったのです。これはコロナ禍の時代に経験した半導体不足とは異なり、地政学的な対立から生じた予測しやすい危機でした。

事件の背景—ネクスペリアの歴史

ネクスペリアは、もともと何の企業だったのでしょうか。

ネクスペリアは、元々はオランダの大手電機・電子メーカー、フィリップスの半導体部門から2006年にスピンオフされて誕生したNXP半導体という企業です。NXP半導体は大手の半導体メーカーでしたが、その標準製品部門(ディスクリートトランジスタなどを製造している部門)が分離され、ネクスペリアとなったのです。

その後、2019年には中国のウイングテック・テクノロジーがネクスペリアを買収しました。NXP半導体の経営陣が古いプロセス工場を抱えて従来型製品を製造している部門を、中国企業に売却することで身軽になるという判断をしたと考えられています。

危機からの脱出—妥協成立

しかし、この危機は長く続くことはありませんでした。

関係各位の奔走の結果、2025年11月になって何らかの妥協が成立し、チップ供給が再開されたとみられています。さらに11月19日には、オランダ政府がネクスペリア社を管理下に置く措置を停止すると発表し、その後中国政府も民間企業向けの半導体製品輸出規制措置を解除しました。

自動車業界への半導体製品の供給は、再開に向かっている状況です。しかし、この一時的な危機が示したものは、決して小さくありませんでした。

なおくすぶるネクスペリア問題—編集者の視点

一見すると、この危機は解決したかのように見えます。しかし、問題は決して終わっていません。

ドイツの自動車産業は、この事件を通じて、自らの構造的な脆弱性を露呈させてしまったのです。「産業のコメ」とも呼ばれる基本的な部品さえ、中国への依存が深く、地政学的な対立の前にあっさりと供給が断たれる可能性が明確になったからです。

今回のネクスペリア危機は、2020年代のグローバルな産業構造における、新たなリスクを浮き彫りにしました。コロナ禍の時代には、サプライチェーン全体の脆弱性が問題となりました。しかし、今回の事件は、単なる物流の問題ではなく、地政学的な対立がビジネスに直結する時代へ突入したことを示しているのです。

自動車産業は、今後どのような対応を取るべきなのか。サプライチェーンの多様化、生産拠点の分散、代替部品の開発など、多くの課題が残されています。ネクスペリア問題は、一時的な危機として片付けられるべきではなく、産業全体が抱える深い問題として認識されるべきなのです。

今後への課題と展望

ネクスペリア事件が示したのは、グローバル産業の新たな脆弱性です。自動車産業は今後、中国への依存度をどの程度まで減らすべきか、サプライチェーンをどのように再構築するべきか、という重要な判断を迫られています。

これは単なるビジネス上の判断ではなく、地政学的な時代における企業戦略の根本的な転換を意味しているのです。ネクスペリア問題が完全に解決するには、世界的なサプライチェーンの再構築が必要とされるでしょう。

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