坂本龍馬・新選組――幕末を駆け抜けた英雄たちの真実に迫る
はじめに
日本の歴史の中で、坂本龍馬や新選組は、多くの人々に愛され、語り継がれてきた存在です。彼らは、混沌とした幕末の時代を全力で生き抜き、大きな足跡を残しました。しかし、その活動や最期については、いまなお謎が多く、さまざまな説が論じられています。
2025年10月22日に放送された「磯田道史の歴史をゆく」では、歴史学者・磯田道史先生が、最新の史料や研究成果を駆使して、これまで明かされなかった坂本龍馬と新選組の真実を検証しました。この記事では、番組の内容を中心に、坂本龍馬暗殺事件の科学的検証や新選組の実像、さらに初公開された新史料の内容まで、分かりやすく解説します。
坂本龍馬と幕末
- 坂本龍馬は土佐藩の下級武士の家に生まれ、柔軟な発想と自由な志で明治維新へ向けた大きなうねりを創出した立役者です。薩長同盟の仲介や新しい貿易組織「亀山社中」(後の海援隊)設立など、その行動は常に時代を先取りしていました。
- 龍馬が目指したのは、古い体制にとらわれない新しい日本。彼の奔放な人柄や卓越した交渉力、そして「日本を今一度せんたくいたし申候」という有名な言葉に象徴される熱意が、多くの人を動かしました。
新選組――「剣豪集団」の真実
- 新選組は京都守護職の配下として、幕末京都の治安維持を担った武装集団です。局長は近藤勇、副長は土方歳三が務め、「誠」の旗印のもと反幕府勢力との激しい戦いを繰り広げました。
- 一般には剣豪集団として知られますが、2025年に新たに発見された山崎丞の日記には「小隊止まれ」「正面小隊後ろへ下がれ」など西洋式の戦術号令が記されていました。これにより、新選組が実は早くから西欧式戦法を採用していた事実が明らかとなりました。さらに土方歳三が「土方公」と呼ばれ、藩主級の待遇を受けていたことも判明しています。
坂本龍馬暗殺事件――最大の謎に科学が迫る
事件の概要
- 1867年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎は京都・近江屋で何者かによって暗殺されました。事件の犯人については「京都見廻組」(旧幕府の警察組織)や「新選組」の関与が長年議論されてきました。
- 最新の放送では、龍馬を斬ったとされる「桂早之助の脇差」に注目。刀身に激しい刃こぼれが確認されており、襲撃の凄惨さや緊迫した現場の様子が伝わってきます。
誰が坂本龍馬を殺したのか?――史実と証言
- 明治初期、実行犯である今井信郎が「見廻組」による襲撃だったと証言しています。実際の命令者は佐々木只三郎とされ、当初は生け捕りが目的だったものの、壮絶な抵抗により殺害に至ったとされています。
- 一方、江戸や明治期には一部で新選組が実行犯との説も展開され、御陵衛士や脱藩浪士による暗殺説も浮上していますが、これらの史料には矛盾や疑問点が多く、現代の研究では幕府側の見廻組が主体という見解が主流となっています。
磯田道史先生による科学的検証
磯田先生は、現存する刀剣を通じて、暗殺の実際を最新科学で分析。脇差の刃こぼれからは、激しい乱戦の中で何度も刀が打ち合わされたことや、龍馬の抵抗の激しさが読み取れます。さらに、暗殺の実行犯として選ばれた桂早之助の人物像についても「処分歴がなく秘密を守れる信頼の厚い人物」だったと科学的・歴史的双方から分析しています。
新史料「山崎丞の日記」が明かす新選組のリアル
- 新たに霊山歴史館に加わった新選組諜報員・山崎丞の「取調日記」には、普段語られることのない新選組の日常や作戦の実態が記されています。
- 特に「西洋式の戦法」を採用していた事実、さらには内部の厳格な組織運営と幹部への厚遇も明らかとなったことで、従来のイメージとは異なる新選組の姿が浮かび上がっています。
坂本龍馬と新選組――対立だけではない歴史
- 坂本龍馬は薩長同盟を実現し、時代の大きな潮流を作った一方で、新選組は幕府の権威と秩序を守る立場から反政府運動の抑止に奔走しました。両者は信念や立場こそ異なりますが、本気で日本の未来を想い、時代を動かす役割を果たした点では共通しています。
- 新たに発見された佐藤家の家系写真や当時の日記、証言からも、坂本龍馬や新選組が単なる「敵と味方」という図式ではなく、複雑な人間関係や思惑の中で、互いを意識し合いながら歴史を作っていった実像が明らかになっています。
磯田道史先生からのメッセージ――歴史は今なお進化する
最新の科学や史料が明らかにする「真実」は、決して一つの形で固定されるものではありません。磯田先生は「歴史は、未来の私たちが過去に問い続けることで、より豊かで多面的なものになる」と語っています。坂本龍馬の暗殺や新選組の実像は、いまも新たな発見と解釈によって更新され続けているのです。
まとめ
- 坂本龍馬と新選組、それぞれの軌跡と秘められた実像は、最新の科学と史料によって今なお検証されています。
- 龍馬暗殺事件では、「見廻組」の関与が有力。新選組や御陵衛士の関与説もあるが、証拠や証言から見廻組主犯説が近年では支持されている。
- 新選組は「剣豪集団」のイメージを越え、早くから西洋式戦法を導入し、組織運営や現場戦術で高いレベルを誇っていた。
- 歴史は一つの結論に固定されず、今後も新発見や解釈の進展によって変わり続ける運命にあります。
坂本龍馬と新選組――その波乱に満ちた生きざまや死の真相には、現代でも色褪せることのないロマンと謎が詰まっています。新しい史料や科学的手法による研究が進む今、一人の市民として、日本の近代史に向き合い、心を寄せることの大切さを改めて感じさせられます。




