全国唯一の「カール」製造工場、松山の四国明治 松山工場が2026年12月閉鎖へ

多くの人に親しまれてきたスナック菓子「カール」。その全国で唯一の生産拠点として有名だった愛媛県松山市の四国明治 松山工場が、2026年12月に閉鎖されることが発表されました。このニュースは、地元はもちろん、全国のカールファンに衝撃を与えています。

松山工場閉鎖のニュースがもたらす衝撃と惜しまれる声

松山市に根付いた松山工場は、1975年からカールの生産を開始し、長年にわたって「カールの聖地」と呼ばれてきました。カールは2017年以降、西日本限定での販売となり、この工場は全国で唯一のカール製造拠点となっていました。そのため、松山の工場閉鎖は、地域のアイデンティティや観光資源としても大きな影響を与えるものです。

  • 松山のふるさと納税返礼品としてもカールは大人気でした。
  • 道後商店街などの観光地やデパートでも「愛媛・松山のお菓子」として観光客に広く販売されていました。
  • 工場閉鎖により、この光景が失われてしまうのは非常に寂しいと感じている地域の声も多いです。

なぜ閉鎖?――松山工場閉鎖の理由

四国明治によると、「経営基盤強化のため」というのが今回の閉鎖の大きな理由です。企業として持続的な経営を見据えた上での判断と説明されており、今後、松山工場で製造していたカール以外の人気商品(「アポロ」「マーブル」「プチアソート」など)も、他の工場へ生産が移される予定です。

  • 労働人口の減少や施設の老朽化、コスト圧縮などさまざまな要素が「経営基盤強化」に含まれると見られます。
  • 今後の企業存続と競争力強化のために、大きな決断をした形です。

今後のカールの生産と販売はどうなる?

「カールがなくなるのでは?」と心配する声が多く上がっていますが、明治では「カールの製造は大阪工場に引き継がれ、西日本エリアでの販売は引き続き継続される」と発表されています。したがって、カールが日本から消えてしまうことはありません。

  • あくまで製造拠点が変わるだけで、これまでと同じく西日本エリアでカールは購入可能です。
  • ただし、「愛媛産カール」は2026年12月をもって終わりを迎えるため、松山工場製のカールを味わえるのは残りわずかな期間となります。

松山工場と「カール」――その歴史と地域に与えた影響

松山工場は1937年創業という長い歴史を持ち、1975年からカールの生産を開始しました。この50年近い間、子どもたちのおやつ、大人たちの懐かしい味として、世代を越えて地域に愛されてきました。

  • 「カール」は一時期、東日本エリアでも販売されていましたが、2017年から西日本限定商品となり、松山工場がその全量を担ってきました。
  • 松山工場産カールは「ふるさと納税返礼品」として新しい需要も生み出していました。
  • 毎日のように観光客が買い求める光景は、松山の名物のひとつとなっていました。

また、工場閉鎖のニュースをきっかけに松山市民や愛媛県民、とりわけカールファンからは
「子どもの頃から親しんできただけに、非常に残念」「今後は大阪工場産も応援したいけど、松山のカールが食べられなくなるのはさみしい」といった惜しむ声が多数寄せられています。

閉鎖される松山工場の概要とアクセス

四国明治 松山工場

  • 住所:〒791-8078 愛媛県松山市中須賀3丁目5-11
  • アクセス:伊予鉄高浜線「三津駅」から徒歩5分
  • 閉鎖予定日:2026年12月

今後の愛媛・松山と「カール」

松山市にとってカールは、単なるお菓子ではなく、地域の誇りでもありました。特にふるさと納税の返礼品としての活用や観光お土産としての人気など、地域に与えた経済的・文化的影響は小さくありません。

今後は生産拠点が大阪に移ることで、愛媛・松山の“地元のカール”という特別な価値はひとつの区切りを迎えます。しかし逆に考えると、「松山産のカール」を味わうことができる残り約1年半は、地元民だけでなく全国のファンにとって特別な時間となるはずです。思い出の味を再度楽しみ、そして新しい「カール」の歴史に繋げていくクロージングの期間といえるでしょう。

これから「カール」を味わう方へ

もし「松山産カール」を味わいたい方は2026年12月までにぜひ手に取ってみてください。工場の歴史や地域との関わり、美味しさの背景を知ることで、より深く味わい、楽しめることでしょう。長年支えてきた松山の皆さん、そして工場で働いたすべての方々への感謝とともに、この地域の歴史の一区切りを見届けたいものです。

まとめ:カールと松山工場、地域とともに歩んだ50年

「カール」は今後も大阪工場での生産が続くものの、松山で生まれ、守られてきた「愛媛のカール」は終焉を迎えます。地域の歴史を背負い、日本のおやつ文化に一石を投じ続けたその歩みは、多くの人々の心に刻まれることでしょう。

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