山手線の北側が「M」に見える理由と、その知られざる歴史と工夫

はじめに

山手線といえば、東京の中心部をぐるりと取り囲む環状路線として誰もが知る存在です。多くの人が思い浮かべるのは、「まあるい 緑の山手線~」というCMソング。しかし、実はその「まるさ」を覆すような不思議な形が、山手線の北側に隠れていることをご存じでしょうか。それが、「池袋」から「田端」までの区間に現れる、まるでアルファベットの「M」字のような曲線です。なぜ、こんなにも特徴的な線になったのでしょう。それは、山手線が誕生してから現在に至るまでの都市計画、地形、そして人々の暮らしの歴史が複雑に絡みあった結果なのです。

「M」字型のルートが生まれた背景

  • 地形という大きなハードル

    山手線の北側、特に池袋~田端間は都心の中でも起伏が非常に激しい地域です。丘や谷が複雑に入り組み、単純な直線や曲線では線路を敷くことが困難でした。また、明治時代の創業当時は、トンネルや高架橋の建設技術が現在ほど発達していなかったため、できるだけ地形を活かし、無理のない勾配で列車を走らせる必要がありました。

  • 都市生活と商業圏との共存

    山手線の計画ルート検討時、すでに江戸時代から続く中山道や日光街道といった主要な街道沿いには町屋が並び、日々多くの人が暮らしていました。このため、住宅地や商業の中心を大きく破壊しないよう、既存の街道や集落、商圏を避ける工夫が求められました。

  • 未来の都市発展への配慮

    さらに、将来の都市発展も見越し、山手線の敷設場所が決定されました。地形や既存の都市機能、そして東京のさらなる拡大・発展可能性の三者を天秤にかけながら、最もバランスのとれたルートが選ばれたのです。その結果が、あの独特の「M」字線形だったのです。

具体的にみてみよう ― 池袋から田端まで

池袋から田端にかけての区間は、地形を縫うように走る区間です。列車の車窓から外を眺めると、線路が丘や谷を避けるかのように大きく曲がったり、コンクリート壁に囲まれたり、谷戸の緑が見えたりと、風景が目まぐるしく変わります。これが、「まっすぐで丸い」山手線とのイメージの違いを生み出しています。列車が一度南へ下がり、また北へ上るその形は、まるで手書きの「M」の頭と山を描いたかのようです。

明治から現在まで、技術と都市戦略の交錯

この池袋~田端区間が開業したのは1903年のことです。当時、山手線では最大となる10‰(パーミル、1,000分の10=1%)の勾配をどう克服するかも、設計の大きなポイントでした。まさに鉄道技術と都市計画双方の知恵がぶつかりあった場所だったのです。コンクリートで切り開かれた切り通しや、時に谷戸の自然をそのまま活かしたルート取り――これらは決して偶然ではなく、都市の「今」と「未来」を同時に満たすための選択だったことが、今の線路形状からも伝わってきます。

「丸さ」と「現実」のギャップ

  • イメージと違う実際

    皆さんが地図や広告で見る山手線は、ほとんどがきれいな円形です。しかし、この池袋~田端の「M」字区間を見ると、実際には
    ・地形やまちづくりに合わせて「丸さ」をゆずった箇所がある
    ・立体的な起伏や曲がりくねりが強調されている
    ことがわかります。

  • 身近な小さな発見

    列車に乗った際、「今日はこのあたりで窓の外を見てみよう」と思うだけで、普段の通勤や通学がちょっとワクワクする時間に変わるかもしれません。「なぜ山手線は丸くないの?」という素朴な疑問は、驚くほど深い都市のドラマや、明治から最新まで鉄道と都市とのせめぎ合いの歴史につながっているのです。

近年の山手線のトピック――100周年と未来

2025年、山手線は環状運転100周年という大きな節目を迎えました。記念イベントでは、特別ラッピング車両やヘッドマーク付き列車が運行され、山手線を丸ごと一周楽しめるツアーに応募が殺到しています。また、田町駅付近では新たなアクセス線の基盤整備が進められるなど、今も変化と挑戦が続いているのです。

山手線の「M」――都市の成長と人々の知恵の結晶

山手線の北側、「M」字型の線形。その形は、単なる鉄道ルートの違和感ではありません。明治から令和まで、都市の成長、技術革新、そしてそこに生活してきた何百万人もの人々の歩みと知恵が、いま、車窓からも感じられる“生きた記憶”となっています。山手線に乗る機会があれば、ぜひ北側区間の「不思議なカーブ」にも目を向けてみてください。都市と鉄道の歴史をより身近に感じ取れることでしょう。

まとめ――身近な路線から、都市の「不思議さ」と「おもしろさ」を

日常的に利用する山手線にも、知られざるストーリーがたくさん詰まっています。特に北側の「M」の区間は、都市づくりの苦労や生活の知恵、人と街の共存の歴史が凝縮しています。「便利」で「当たり前」な山手線も、ひとつひとつの区間に込められた工夫や物語を知ることで、ぐっと「親しさ」「面白さ」が増してくるはずです。今後も、山手線は新たな挑戦を続けながら、さらに深い東京の歴史を刻んでいくことでしょう。

参考元