寺田恵子インタビュー最終回 女性ロックのレジェンド、素顔と“ノーパン伝説”の真相に迫る
1980年代から日本の女性ロックを牽引してきたSHOW-YAのボーカリスト・寺田恵子さん。10月8日には40周年記念カバーアルバム『無限』をリリースし、同バンドはデビュー以来の節目を迎えました。今回、日刊スポーツによるインタビュー最終回が行われ、数々の“伝説”や、プリプリ(プリンセス・プリンセス)との関係、40周年への思いなど、寺田さんの「今」が語られました。
プリプリとの関係は? ライバルか、同志か
寺田恵子さんと言えば、同じ女性ロックバンド「プリンセス・プリンセス(通称:プリプリ)」との関係がたびたび話題になります。どちらも1980年代後半の女性バンドシーンの中心として活躍し、互いに刺激しあいながらも、ファンの間では「ライバル」に見られてきた事実も。インタビューでは、寺田さん自身がこの関係性について初めて本音を語りました。
「今は連絡も取るし、音楽の話も普通にしますよ」と寺田さん。意外にもメンバー同士で個人的な交流があり、「音楽が好きな仲間」としみじみ振り返ります。「当時はライバル性もあったかもしれないけど、いま思えば、同じ時代を頑張ってきた仲間なんです。お互いに頑張っていたからこそ、今の女性ロックがあるんだと思います」と、感慨深く語ります。
「ノーパン伝説」は本当だったのか
SHOW-YAの歴史にまつわる「ノーパン伝説」も根強く残る話題の一つ。かつてライブ中に寺田さんがノーパン(下着を履いていなかった)という噂が話題になったことがありました。この真相についても、今回のインタビューで明かされました。
「あれは本当にやっちゃいました(笑)」と寺田さん。いわゆる“事件”当日は、ステージ衣装の下にショーツを着けるのを忘れて登場し、本人もびっくりしたといいます。「でも、そういう遊び心や、型破りなところもSHOW-YAの魅力。今ではいい思い出です」と笑顔で明かします。
40周年を迎えて、SHOW-YAが今思うこと
1985年デビュー以来、ヒット曲、脱退、再結成、そして現在の活動と、道のりは決して平坦ではありませんでした。今回40周年記念アルバムをリリースし、寺田さんは「一時期はもうやめる覚悟もしていましたが、ファンの皆さん、メンバーの支えがあったから今があります」と語ります。
特に、コロナ禍でライブができなかった時期の苦しさや、今後の活動への思い入れについても打ち明けました。「音楽は“永遠”じゃないけど、今だからこそ伝えたい想いがある。これからも、今を生きるすべての人たちにエールを届けたい」と、力強く語りました。
ヒット曲「限界ラバーズ」誕生秘話 ブラジャーのたたき売りにビョウはどうか?
寺田恵子さんの魅力の一つは、そのシャウトヴォイスと激しいライブパフォーマンス。インタビュー連載第3回では、SHOW-YA最大のヒット曲『限界ラバーズ』の制作秘話が語られました。
ミーハーな歌詞の誕生秘話
『限界ラバーズ』は、1986年に発売され、テレビドラマ『男女7人夏物語』の挿入歌として大ヒット。寺田さんによると、当初は「もっとミーハーな感じで作ろう」と作詞の方針が決まっていたそうです。「最初は“ブラジャーにびょうを貼ってみよう”みたいな、ちょっと変わった歌詞案も出ていました(笑)。でも、結局真面目に恋愛のエッセンスを込めて完成したんです」と、当時の楽しいエピソードも振り返ります。
「ヒットしてからは、毎日のようにテレビ出演の日程が飛び込んできて、あの頃は本当に慌ただしかったですね。でも、今もファンの方が『限界ラバーズ』をカラオケで歌ってくださるのが一番うれしいです」と、当時の熱気と現在の思いを語りました。
SHOW-YA 40周年の軌跡 大ヒット、脱退、復帰、そして“命ある限り”
SHOW-YAの40年は、女性ロックバンドの先駆けとして常に挑戦を続けてきた歴史です。ここでは、寺田恵子さんを中心に、バンドの歴史と現在、そして未来への思いをまとめます。
デビューから一気にブレイク、そして挫折
SHOW-YAは1985年にデビュー。デビュー曲『限界ラバーズ』が大ヒットし、一気にブレイクしました。当時は、女性がロックバンドを組むこと自体が珍しく、メディアの注目度も高かったと寺田さんはいいます。
ところが、当時の音楽業界は今とは大きく異なり、活動を続けるのは想像以上に大変だったそうです。「女の子がロックをやるなんて勇気がいる時代だったし、レコード会社や周囲の理解も十分ではなかった」と、寺田さんは振り返ります。
脱退とバンドの解散危機
大ヒットの波も一時期途絶え、寺田さんは1990年代半ばにバンドを脱退します。実はこの時、バンドは一度解散の危機に直面していました。しかし、ここでファンの存在を思い出したという寺田さん。「自分たちが本当にやりたい音楽を見つめ直すきっかけになった」と語ります。
復帰と新たな始まり
寺田さんの復帰をきっかけに、SHOW-YAは再び活動を再開。ライブやイベントへの出演を通じて、ファンとともにバンドの歴史を紡いできました。「復帰してからは、もっと自由に、自分たちの音楽をやろうという気持ちになりました」と、寺田さんは語ります。
40周年記念アルバム、そして未来へ
10月8日発売の40周年記念アルバム『無限』は、昭和~平成の名曲をSHOW-YA流のアレンジでカバーした一枚。寺田さんは「若い人にも聴いてもらいたい、いろいろな時代の人が楽しめるアルバムになれば」と意欲を語ります。
「命ある限り、SHOW-YAは続きます」という強いメッセージを残し、インタビューを締めくくりました。今後も寺田恵子さんが日本の音楽シーンで果たす役割は、ますます大きくなりそうです。
寺田恵子が伝えたいこと
「当たり前かもしれないけど、『音楽をやめてしまったら、それまで』なんです。だから今、自分たちができることを精一杯やっていきたい」と語る寺田さん。40周年の節目だからこそ感じる感謝の気持ちや、ファンへの思い、そして、若い世代に向けて「自分らしく生きてほしい」と語りかけるメッセージは、今も変わらず熱いものでした。
寺田恵子さんとSHOW-YAの40年。それは「女性がロックをやるのが当たり前ではない時代」を切り拓き、世代を超えてつながる音楽の歴史そのもの。今後も寺田恵子さんの歌声は、多くの人の心に響き続けることでしょう。