三谷幸喜25年ぶりのゴールデン復帰ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』―大きな期待と苦戦のなかで描かれる青春群像劇の真髄
はじめに
三谷幸喜さんが25年ぶりにゴールデン・プライム帯で脚本を手がけるフジテレビの新ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(通称:もしがく)が今、話題を呼んでいます。
大ヒット作をいくつも世に送り出してきた彼の復帰作ということで、多くの視聴者や業界関係者が注目していましたが、放送開始直後からその評価はさまざまなものとなっています。本記事では、その内容や反響、背景を詳しく解説します。
ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』とは
- 脚本:三谷幸喜
- 主演:菅田将暉
- 共演:二階堂ふみ、神木隆之介、浜辺美波ほか
- 放送局:フジテレビ
- 放送日:毎週水曜22:00~
- 舞台:1984年の渋谷、とある劇場
本作は、1984年の渋谷を舞台に、演劇に情熱をかける若者たちの群像劇を描いています。三谷幸喜さん自身の半自伝的要素が盛り込まれており、脚本は完全オリジナル。民放ゴールデン枠での連ドラ脚本は2000年の『合い言葉は勇気』以来となるため、期待度が非常に高かった作品です。主演の菅田将暉さんは、夢を追い劇場で働く青年・久部三成を演じます。
豪華キャストと相関図
『もしがく』は若手・実力派俳優が集結しています。それぞれが複雑に絡み合う人間ドラマを繊細に体現し、舞台となる劇場の空気感や80年代の渋谷らしさを色濃く醸し出しています。
- 菅田将暉:久部三成(演劇青年、成功を夢見る主⼈公)
- 二階堂ふみ:倖田リカ(ミステリアスなダンサー、久部と再会)
- 神木隆之介:蓬莱省吾(三谷青年をモチーフにした新人放送作家)
- 浜辺美波:江頭樹里(渋谷の八分神社の巫女)
総じて、キャスト・スタッフは豪華かつ個性豊かで、三谷作品ならではの絶妙なキャラクター描写が光ります。
話題の第1話と「わかりにくい」論争
2025年10月1日に30分拡大枠で第1話が放送されました。放送前から演劇ファンや三谷ワールドのファンを中心に大きな前評判を獲得していたものの、初回の世帯平均視聴率は5.4%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)と決して高いとはいえない数字に。SNSなどでは「よくわからない」「長い」といった辛口な感想が目立ち、不評の声も少なくありませんでした。
これには、従来のドラマとは違う構造――比喩やメタファーをふんだんに盛り込み、現実と舞台、虚構と真実が絶妙に交錯する三谷らしい抽象的な演出手法が影響していると言われています。ストーリーのテンポや構成が「タイパ(タイムパフォーマンス)重視の現代視聴者」には馴染まなかったとの分析も。TVコラムニストの桧山珠美さんも「挑戦的な意図は理解できるが、不親切なスタートだった」と指摘しています。
第2話の展開とキャラクターの再会
第2話(2025年10月8日放送)では、主人公・久部が劇場スタッフとして*倖田リカ*と再会を果たすシーンが描かれました。彼女はミステリアスな存在であり、久部の心に大きな揺さぶりをかける役回り。本作では登場人物の過去や本音、夢と現実の葛藤が、渋谷の街や劇場の日常を通して丁寧に表現されているのが特徴です。
また、第2話放送に合わせて15分拡大スペシャルとなり、さらにダンスシーンなど舞台的演出も加わり、視聴者に新たな魅力を届ける工夫がなされました。
ドラマタイトルに込められた意味
『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』というタイトル自体が、現実と虚構、表舞台と裏側を考えさせる重要なモチーフです。演劇的な視点で人生を見つめ直すこと、そして「楽屋(裏側)」こそが本当の自分や居場所ではないか、という深い問いを視聴者に投げかけています。
物語を通じて主人公や登場人物たちが自分の「楽屋」を模索しながら成長し、心の柔らかな部分や弱さにも光を当てていく展開となっています。「この世は舞台」というシェイクスピア的な視点と、三谷流のユーモアが見事に融合した作品です。
テーマソングと話題のMV公開
本作の主題歌は、このドラマのために書き下ろされた新曲「劇上」。10月8日(水)23:15にYouTubeでプレミア公開されるMVが注目されています。音楽もドラマの雰囲気に見事に調和し、登場人物たちの心情や世界観をさらに引き立ててくれる重要な要素です。
- 作曲:得田真裕
- プロデュース:金城綾香、野田悠介、古郡真也
劇場の躍動感や若者たちの葛藤を表現する「劇上」は、ドラマのイメージソングとして、ファンの間でもすでに高い人気を集めつつあります。
制作サイドの“サムい動き”とは?
一部週刊メディアでは、初回の低調な視聴率や「わかりにくい」とする批判に対し、番組制作サイドが過剰に〝話題化演出〟に走ったり、SNSプロモーションに工夫を凝らしたりするなど、“サムい”(滑っている)と評されるような施策があったと指摘されています。
本来は作品そのものの力で評価されるべきところですが、近年は数字やSNSの反響が重視されるテレビ業界の現状もあり、ドラマをめぐっては様々な意見や思惑が交錯している状況です。
なぜ視聴率が伸び悩んだのか
– 「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視する世代にとって、じっくりと観ることが求められるドラマのスタイルが難解に映ったこと
– 構造が分かりづらい、情報量が多い、人物描写が多層的であるため理解に時間がかかる
– 初回の放送枠が30分拡大であったことによる体力的ハードル
など複合的な要因が考えられています。
ただし、往年の三谷ファンや演劇好きには「じっくり浸れる」「登場人物が生きている」と高評価も多く、今後の展開しだいで評価が逆転する可能性も十分残されています。
今後の展望と見どころ
– 三谷幸喜さんならではの台詞回しと、登場人物たちの微妙な関係性
– 若者の夢や挫折、成長のプロセスをリアルに描く群像劇としての完成度
– 舞台と現実、表と裏、人生と演劇という大きなテーマにどう決着をつけるのか
– 豪華キャストの繊細な演技、80年代渋谷の空気感と美術演出
第3話以降では、舞台演出や新たな人物の登場、主人公・久部の葛藤など、さらなるドラマチックな仕掛けが予想されます。
おわりに
『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』は、現代ドラマには珍しくフィルム的でアナログな温もり、舞台芸術へのリスペクトが強く感じられる贅沢な作品です。三谷幸喜さんの「人生は舞台、人間には裏と表がある」というメッセージが、視聴者一人一人の胸に届く日も遠くないでしょう。多少の戸惑いや低評価を受けつつも、本作が今後どのような成長を見せるのか大いに注目です。