小泉セツ―朝ドラ『ばけばけ』で再注目、時代を生き抜いた女性の物語
小泉セツ。2025年後期のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』が始まったことで、一躍注目を集めることとなったこの人物は、明治期に日本と西洋の文化交流の懸け橋となった作家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻です。ドラマ『ばけばけ』は、幕末から明治へと急激な変化を遂げる日本のなかで、時代にもまれ、価値観が「化けていく」さまを描いています。その中心にいるのが小泉セツであり、今、彼女の生涯やその功績、そして縁の地の郷土料理や文化が再び脚光を浴びています。
セツの生い立ち―激動の時代に生きた女性
小泉セツは1868年(慶応4年)2月4日、松江にて生を受けました。父方も母方も名家という士族家庭に育ちますが、当時の日本は幕藩体制から近代化へと大きく揺れ動いていました。身分制度が揺れ、武士階級も名誉と生計の両方を奪われて零落するなか、セツの実家も、養女として出された稲垣家も次第に生活が困窮していきました。
ハーンとの出会いと弟子入り、そして夫婦となる
1890年、アメリカの雑誌記者として日本に来たラフカディオ・ハーンは、松江の英語教師として赴任し「ヘルンさん」と呼ばれ市民の間にも親しまれます。セツはハーンの身の回りの世話を任され、その後1891年結婚し、ハーンの妻となりました。二人がともに過ごしたのは13年8か月という短い期間でしたが、セツにとっては最も輝いていた時期だったのかもしれません。ハーンが日本文化の理解を深め、世界へ発信するなかで、セツの存在は大きな支えとなりました。
セツの人生―“もらい子”という出生の秘密と葛藤
『ばけばけ』の放送で話題になったセツの人生の一側面に、“もらい子”という出生の秘密への葛藤があります。本人は「もらい子という事を思うのは一番いやな事」と語っていたと言われ、出自に悩む姿はドラマのヒロイン像にも投影されています。史実としても、士族没落と養女制度に翻弄された背景が、ひたむきに生きる彼女の強さや優しさにつながっています。その姿は、時代や家制度に苦しむ多くの女性の共感を呼びます。
小泉八雲との家族と晩年―西洋人の妻として日本の中で
セツと八雲の家庭は、決して裕福ではなかったものの、情愛に満ちていました。八雲が帰化して日本国籍を得る際や作家活動を行う上で、セツは家庭を支え、日本文化の内面を八雲に伝える存在ともなりました。八雲が残した作品の創作や再話の成立には、セツの助力が欠かせなかったと言われています。八雲死後は27年もの歳月を一人で過ごし、西洋人の妻として、また日本人女性として時代を生き抜きました。
NHK朝ドラ『ばけばけ』で蘇るセツの物語
2025年9月29日から放送開始となったNHK連続テレビ小説『ばけばけ』は、小泉八雲とセツ、そしてその家族を中心に、幕末から明治にかけて激動の時代を生き抜いた人々の姿を描いています。脚本はふじきみつ彦、ヒロインには髙石あかりが満場一致で抜擢。応募者数は2892人と朝ドラ史上でも多く、話題を呼びました。タイトルの「ばけばけ」には「変化」の意味が込められ、時代に取り残された人々がそれぞれ美しく“化ける”物語が展開されています。
地元の郷土料理が学校給食に―「小泉八雲」ゆかりの味を子どもたちに
ドラマの放送と連動し、小泉八雲ゆかりの地では、特別なイベントも実施されています。その一つが学校給食。「アイリッシュシチュー」に「焼津の黒はんぺん」「熊本の高菜めし」など、地域の郷土料理が給食に登場し、子どもたちが舌鼓を打っています。八雲の故郷・アイルランド、日本の各地で八雲夫妻が関わった土地ならではの料理が並び、食を通じた文化交流・歴史の継承が生まれています。郷土料理は、地元の伝統の味を伝えるのみならず、物語の世界に触れるきっかけともなり、ドラマから実社会へ文化体験が広がっているのです。
- アイリッシュシチュー(アイルランド伝来、八雲の母国に因んだメニュー)
- 焼津の黒はんぺん(静岡・焼津の郷土食、八雲の“化けもの”文学や漁村体験とのつながり)
- 熊本の高菜めし(熊本県の郷土料理、八雲ゆかりの地として登場)
ドラマと企画展を通じて広がるセツの足跡
小泉八雲記念館では、ドラマ放送を受けて特別企画展「小泉セツ―ラフカディオ・ハーンの妻として生きて」も延長開催されています。セツ直筆の草稿やハーンからセツへ宛てられた書簡、帰化に関する書類、遺愛品などが展示され、彼女にフォーカスした内容となっています。こうした展覧会を通じ、セツというひとりの女性を通して、八雲の日本理解や作家活動を振り返る機会が増えています。
“雪女”に重ねた母の姿―ばけばけと八雲作品の核心
小泉八雲は「雪女」など日本の怪談・伝説を多く著しましたが、「雪女」に登場する母の面影とセツの姿を重ねた、とされています。『ばけばけ』では、こうした創作の背景や八雲の母との思い出にセツの心情が重なり、家族、母性、そして異文化理解の物語が丁寧に描かれています。この視点からみる八雲作品は、単なる怪談ではなく、人としての苦悩や愛情が込められた文学であり、多くの日本人、そして世界の人々を惹きつけ続けます。
今、再発見される小泉セツの生き方
小泉セツという女性の生涯は、日本の近代化と家族、女性の生き方に深い示唆を与えてくれます。歴史的背景や「もらい子」としての葛藤、八雲との国際結婚、西洋人の妻としての苦労。ドラマ『ばけばけ』や記念館の企画展、学校給食で伝えられる郷土料理の体験などを通じ、彼女の歩みは今を生きる私たちにも新しい光を投げかけてくれます。
今後への期待―地域・時代・世代を超えて
ドラマや企画展、給食を通じて、小泉セツの物語は子どもから大人まで世代をこえて共感を呼んでいます。世代ごとの悩みや選択に寄り添い、文化と人間の力を信じる希望のメッセージとなっています。“化ける”という言葉のように、激しい時代の変化のなかで自分らしく生き抜くこと、家族や地域、文化を大切にすること、その大切さをセツから教わることができるでしょう。