80年越しに届けられた感謝――チチヤス牛乳と原爆投下後の広島
はじめに――焼け野原に響いた「ありがとう」
1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾は、街を瞬く間に焼き尽くし、多くの尊い命が奪われました。その壮絶な状況下で、一杯の牛乳がどれほどの希望と力を与えたのか。あれから80年、ある女性が、その牛乳を提供したチチヤス株式会社へ、感謝の思いを伝えに訪れました。奇跡的に命をつなぎとめるきっかけとなった「一杯」は、今も多くの記憶の中で温もりを持ち続けています。
原爆投下直後の広島と牛乳配給
原爆投下後の広島は一面の焼け野原。水も食料も不足し、救援の手段が極端に限られるなか、一部の企業や個人が善意で支援物資を届けました。チチヤス株式会社は、そうした数少ない事業者の一つです。同社は、被爆直後の混乱のなか、被災者に向けて牛乳を配給しました。配られた牛乳は、焼け野原で死にそうな人や子どもたちの命をつなぎ、多くの人々に「生きる力」として記憶され続けています。
配られた牛乳の記憶――「死にそうな人に飲ませてあげた」
「焼け跡で拾った器に入れて運んで、死にそうな人に飲ませてあげた。自分も頂いた」ある女性はそう当時を振り返ります。避難者たちは、あり合わせの容器に牛乳を入れて運び、ひどい火傷や衰弱で倒れている人たちへと配りました。その牛乳の清涼感とやさしい味は「生き延びる理由」「少しでも希望を持ち直すきっかけ」となりました。
80年越しのお礼――「ありがとう」を本社に届けて
2025年、戦後80年を迎えた広島。この夏、当時牛乳を手にした女性が、80年前の感謝の気持ちを伝えにチチヤス株式会社本社を訪れました。混乱と絶望の中、与えられた一杯の牛乳が、いまも彼女の心の支えであり、命の恩人に対する「ありがとう」は、決して色褪せることがありませんでした。社員や関係者たちも、その思いに深く耳を傾け、改めて自分たちの企業の社会的な役割を実感しました。
チチヤス株式会社とは
チチヤス株式会社は、1886年創業の歴史ある乳業メーカーで、広島県廿日市市に本社を置きます。昭和初期から牛乳やヨーグルトを広島県民の日常に届け、多くの家庭に親しまれてきました。「チー坊」のマスコットキャラクターと共に、小さな子からお年寄りまで、幅広いファンを持ち、2025年現在も地域の健康と食文化を支え続けています。
「チチヤス牛乳」と平和の象徴
戦後の混乱期、栄養失調や衛生環境の悪化が深刻な社会問題となっていました。そのなかで配られたチチヤス牛乳は、人々の体だけでなく、心も温める存在となりました。牛乳一杯から紡がれた絆や善意は、「食」が支える平和の意義を今に伝えるものです。
80年後の今も続く「やさしさ」
2025年もチチヤスは、地域とのつながりを大切にしながら、新たな挑戦を続けています。今年8月から9月にかけて開催された「夏のチチヤス・チー坊フェア2025」では、渋谷ロフトなど全国主要都市でコラボ和菓子や新グッズの販売イベントが行われ、大きな盛り上がりを見せました。
- 広島老舗和菓子店とのコラボで生まれた「チー坊みるく饅頭」は、チチヤス牛乳の優しい味わいが詰まった人気商品
- チー坊キャラクターの生活雑貨やグッズが多数登場し、「日々の小さな幸せ」を提案
- アンテナショップではチチヤスヨーグルトを使ったヨーグルセーキも提供
時代が変わっても、地域や人への「やさしさ」を大切にする心は変わりません。80年前に牛乳を届け、人々を支えたその精神が、今の活動にも脈々と受け継がれています。
記憶をつなぐ――戦争体験の継承
80年前のこの体験を「他人事」だと思わず、次の世代にしっかりと伝えていくことも大切です。焼け跡で命をつなぐ力となった牛乳の温もりは、単なる物語ではなく、今を生きる私たちへのメッセージです。チチヤス株式会社とともに社会全体で「ありがとう」を伝え、「平和を守るためにできること」を考えるきっかけにしたいものです。
まとめ――“小さな牛乳”が教えてくれる希望と未来
たった一杯の牛乳が救った命、そして、忘れられないやさしさ。それは80年の時を超えて、今も社会や人々の記憶の中で生き続けています。チチヤス株式会社への「ありがとう」は、これからも人と人との信頼と希望を結び、「平和への願い」を伝え続けていくでしょう。