広島電鉄、被爆80年の特別運行――100年目の被爆電車「156号」の意義と広島駅前の変革
はじめに
戦後80年を迎えた2025年8月9日、広島電鉄は同社が保有する被爆電車「156号」を5年ぶりに運行しました。100年という長い歴史と、原爆による被害を乗り越えた“生き証人”であるこの車両が再び広島の街を走る姿は、多くの市民や鉄道ファン、そして平和の意味を感じる人々の心に深い印象を残しました。この記事では、特別運行の背景や意義、被爆電車156号の歴史、現代の広島駅周辺の変化について、やさしい言葉で詳しく解説します。
1. 2025年8月9日、復活運行の全貌
- 運行日:2025年8月9日(土)
- 時刻:午前7時40分頃に千田車庫出発、原爆ドーム前を午前8時頃通過、午前9時20分頃江波に到着
- 運行経路:千田車庫 → 原爆ドーム前 → 広電西広島 → 観音町 → 横川 → 江波
- 車両:広島電鉄150形(156号)
- 旅客対応:乗客を乗せず、特別運行のみ
- その他:原爆投下後、最初に復旧した「己斐~西天満町(現在の広電西広島~観音町)」区間を走行。新しい広島駅には入りません。
2. 被爆電車156号とは――広島電鉄における歴史的存在
156号は、1925年(大正14年)に製造された広島電鉄最古の車両です。戦時中は江波付近に停車していたため、原爆の被害を受けながらも焼失をまぬがれ、厳しい修復作業を経て再び市内を走り始めました。その後、1971年まで現役で活躍し、以降は保存用途などで大切に維持されています。2025年の運行は、製造100年、そして被爆・戦後復興80年という二つの大きな節目に合わせた特別なものです。
3. 「8月9日」運行の意義
この特別運行にはいくつかの深い意義があります:
- 戦後80年の節目として、原爆による破壊からの復興と平和への願いを広島市民や全国の人々に伝えること。
- 156号自体が生き証人として、当時の被害と復旧の歴史を後世に伝承する役割を果たすこと。
- 平和教育への貢献として、若い世代や観光客にも被爆の記憶と広島の歩みを知ってもらうきっかけになること。
- 市民、ファンとの交流として、数多くの鉄道ファンや市民がカメラを構えて見守る姿が、地域の一体感や郷土愛を高めること。
4. 原爆と広島電鉄――再生と復興の歴史
1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾は街を一瞬で廃墟へと変えました。同時に市内の交通インフラも甚大な損害を受け、本通りの路面電車も倒壊・炎上し、多くの車両が再起不能となりました。しかし、広島電鉄は市民生活と復興の“足”として、被爆からわずか3日後の8月9日に“己斐~西天満町(現・広電西広島~観音町)”区間で運行を再開しました。
これは被爆直後という未曾有の困難の中で、わずか数両の電車が瓦礫の街を走った出来事であり、絶望の中に灯された“希望の光”とも言えます。このとき運行された“被爆電車”のひとつが156号そのものでした。市電の再開は市民に勇気と活力を与え、復興への大きな第一歩となったのです。
5. 形を変える広島駅――変わりゆく街と路面電車の役割
2025年現在、広島駅周辺は大きな変革を迎えています。「駅前大橋線」の開通や、新たな都市計画により大きく景観が変化しています。駅前大橋線の開通後1カ月間には新旧の写真比較が話題となり、現在の広島駅は2階部分を利用した“トランジットモール”という新しい形に生まれ変わろうとしています。これにより、駅前の回遊性(複数の交通手段や商業施設を連携させた街の巡回しやすさ)が大きく向上し、観光客や市民にとっても便利で魅力的な交通拠点となっています。
路面電車が駅2階に直接乗り入れることで、市電と新幹線・在来線の乗り換えがスムーズになり、広島の玄関口としての利便性がますます高まります。これは、過去から未来への“交通の進化”が重層的に進行している象徴的な出来事です。
6. 被爆電車の現在と今後
広島電鉄には現在、156号以外にも650形の3両が被爆電車として保存・運行されています。地域の保存活動やイベントを通じて、これら貴重な遺産を後世に伝える努力が続いています。電車の運行に直接乗客を乗せないのは、歴史的価値や安全面の配慮からであり、今後も保存・公開の方法については工夫と検討がなされる見込みです。
7. 最後に――広島電鉄と平和への祈り
被爆80年、156号の再運行は広島の人々だけでなく、世界に平和の尊さと復興の力を訴える大切な出来事となりました。交通インフラとしてだけでなく、記憶の継承と学びの場としての市電の役割はますます重要になっています。広島は変わり続けますが、100年、80年と続く記憶を、これからも新しい世代へ伝え、誰もが「平和」について考え続ける未来へのメッセージとしたいものです。