“聖地”大阪松竹座、2026年5月で閉館へ―歴史ある劇場に別れの時
大阪・道頓堀の象徴的な劇場「大阪松竹座」が、2026年5月の公演を最後に閉館することが2025年8月28日に正式発表されました。
松竹株式会社によれば、建物や設備の老朽化を理由に、劇場と同ビル内の地下店舗を含めて営業を終了する決断に至ったとしています。
1923年(大正12年)開業以来、100年以上に渡って数多くの名舞台やスターたちの活躍の場であり続けた松竹座。その突然の閉館発表に、多くのファンや関係者からは悲しみと惜しむ声が寄せられています。
松竹座の歩みと歴史的価値
大阪松竹座は、1923年に活動写真館(映画館)として誕生しました。その後、阪神淡路大震災の復興も経て、1997年(平成9年)には演劇ホールとして新たに開館。歌舞伎、現代劇、ミュージカル、コンサートなど幅広いジャンルの公演を継続し、関西演劇界の“聖地”と呼ばれるまでになりました。舞台に立った名優のみならず、観客・地域と共に歴史を刻んできた劇場は、昭和・平成・令和をまたぐ文化の拠点です。
- 開業:1923年(大正12年)、当初は活動写真館(映画館)
- 再開場:1997年(平成9年)、演劇専用劇場としてリニューアル
- 主な公演:歌舞伎、現代劇、ミュージカル、多彩な興行
- 役割:大阪の伝統芸能・演劇文化の発信基地
閉館の理由と発表内容
今回の閉館発表の背景には、建物・諸設備の老朽化があります。本館は築100年を越える歴史的建造物であり、安全面や今後の維持管理の観点から、苦渋の決断が下された形です。
松竹株式会社は公式発表で「長年にわたりご贔屓ご愛顧くださった皆々様のご恩情の賜物」と感謝の意を伝え、閉館後の建物については「現時点で未定。方針が決まり次第発表する」と述べています。
ファンと関係者に広がる悲しみと惜しむ声
SNSや各メディアには「青春を過ごした場所がなくなってしまう」「帝国劇場に続き、松竹座までも…」と、惜しむ声や驚きの声が多数寄せられています。
特に関西の演劇ファンや、かつて舞台に立った俳優・歌手・関係者らは「松竹座は思い出の劇場」「夢の舞台だった」と口々に語り、松竹座の閉館が地域文化や芸術活動の喪失につながることを心配する意見も多く見られます。
- 「私たちの青春そのもの。寂しい」
- 「大阪の街からまた一つ名物が消えるのは残念…」
- 「歴史ある建物をどうにか残してほしい」
- 「帝国劇場に続いて松竹座まで…ショック」
公演はどこへ?松竹の今後の対応
松竹株式会社は「大阪における歌舞伎をはじめとする多彩なラインアップは、場所を変えてさまざまな劇場やホールでの興行を継続する」と表明しています。
つまり、伝統ある松竹座の記憶や精神は形を変えつつ受け継がれ、大阪や全国の各地の舞台で“松竹座クオリティ”を新たに発信し続けていく方針です。
- 歌舞伎や新派、現代劇など、今後も大阪で公演は継続
- 代替会場として大阪の他劇場・ホールが活用される予定
- 「松竹座」ブランドの灯を消さない取り組み
閉館後の建物はどうなる?
現時点で、閉館後の大阪松竹座ビルの活用方法は未定です。今後、松竹側が建物の安全性や文化財的価値、地域との関係性を踏まえつつ、用途や保存方法を検討していくとされています。
伝統的な外観や意匠、歴史的背景からも、今後の動向に大きな関心が集まっています。
道頓堀の“顔”が失われる寂しさ─地域社会への影響
“道頓堀の顔”として観光やまちづくりにも寄与してきた松竹座。観光客にとってもお馴染みのランドマークであり、地元商店街とも密接に連携してきました。
閉館発表後、地域経済やコミュニティー活動への影響を懸念する声も高まっています。「観光資源としての再活用」「文化施設としての保存」など、住民や行政を巻き込んだ幅広い議論が今後活発化する様子です。
松竹座に刻まれた思い出と“最後の舞台”までに
2026年5月の最終公演まで約半年。これから最後の日まで、松竹座には“ありがとう”の気持ちを伝えたいファンや最後の舞台に立ちたい演者が集まります。今後予定される各種公演や特別イベントは、松竹座の歴史を締めくくる「ファイナル公演」として一層の盛り上がりが予想されます。
大阪の文化・芸術を支え続けてきた大阪松竹座。小さな幕引きが、さらなる新しい物語や出会いの幕開けとなることを多くの人が願いながら、“聖地”の最後の灯を見届けることでしょう。
まとめ:時代を超えた文化の継承―あなたにとっての松竹座とは
閉館という大きな区切りですが、松竹の歩みは止まりません。これからも多くの作品や人々の縁を新たなステージで紡ぎ続けることでしょう。
大阪松竹座を愛した全ての人へ――「ありがとう」と「これからも」の気持ちを胸に、100年を超える歴史と記憶が未来に生かされていくことを願いましょう。